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2007.04.21

神話をなくした民族は命をなくす

フランスの神学者デュジャメルの言葉だそうです。

河合隼雄の「神話と日本人の心」は学者らしく洋の東西を問わず多方面の文献を引用して、日本神話の意味と魅力を語っています。

次に、本書の序章の部分から引用します。

分析心理学者C・Gユングは、東アフリカのエルゴン山中の住民を訪ね、住民の老酋長が、太陽はは神様であるかないかという問いに対して、太陽が昇る時、それが神様だと説明したのに心を打たれる。ユングは、「私は、人間の魂には始原のときから光への憧憬があり、原初の暗闇から脱出しようという抑えがたい衝動があったのだということを理解した」と述べ、続いて「朝の太陽の生誕は、圧倒的な意味深い体験として、黒人たちの心を打つ。光の来る瞬間が神である。その瞬間が救いを、開放をもたらす。それは瞬間の原体験であって、太陽が神だといってしまうと、その原体験は失われ、忘れられてしまう」と指摘している。

--中略--

神話の意味について、哲学者の中村雄二郎は、「科学の知」に対する「神話の知」の必要性として的確に論じている。「科学の知」の有用性を現代人はよく知っている。それによって、便利で快適な生活を享受している。しかし、われわれは科学の知によって、この世のこと、自分にことをすべて理解できるわけではない、「いったい私とは何か。私はどこから来てどこへ行くのか」というような根源的な問いに対して科学は答えてくれるものではない。
 中村雄一郎は、「科学の知は、その方向を歩めば歩むほど対象もそれ自体も細分化していって、対象と私たちとを有機的に結びつけるイメージ的な全体性が失われ、したがって、対象への働きかけもいきおい部分的なものにならざるをえない」と述べ、科学の知の特性を明らかにし、それに対して、「神話の知の基礎にあるのは、私たちをとりまく物事とそれから構成されている世界とを宇宙論的の濃密な意味をもったものとしてとらえたいという根源的な欲求」であると指摘している。科学の知のみに頼る時、人間は周囲から切り離され、まったくの孤独に陥るのである。科学の「切り離す」力は実に強い。

そして、現代人と神話について......
現代人は、「神話に知の獲得に大変な困難を感じており、このことが現代人の心の問題と深く関係しているのである。
「神話の知」の喪失は、現代における「関係性喪失の病」として現れていると述べている。

そして、そして、親と子の生きる神話は、日本の家庭というものは、今どのような神話に支えられているのだろうか。
現代人にとってその生き方を支えてくれる神話を持つことは難しいのではあるが、各人は自分にふさわしい「個人神話」を見出さねばならないのであると結んでいる。

かなりの要約をしました。
興味のある方は、下記をご参照ください。

岩波書店発行
河合速隼雄著
神話と日本人の心
2003年7月一刷

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コメント

elmaさん、コメントを頂きありがとうございます。

古事記は単に読み物としてもおしろいと思います。

原文を読むは、つらいところがありますが、現代語訳で楽しめますよね。

歴史のフィルターを通して残ってきた書物は、それなりに外れがないと思っています。

沢山読みたいのですが、elmaさんほどのエネルギーがありません。

親と子の生の神話、家族の神話、個人の神話、どのように作ってこられましたか。

投稿: elmaさんへ | 2007.04.24 08:28

こんばんは、makoさん!

興味があって、「係る本」を入手しました。
新宿「紀伊国屋書店」に行きましたが、「値段」が高いので、「図書館」にしようと思いました。

「運よく」別のシリーズですが、同じものを得ることができました。今、読んでいます。「ちょっと、難しい!」というのが率直な感想ですが・・・。考えさせらることもありますが、じっくり読んで見たい本です。

返本は、ゴールウィーク明け!の約束です。

求めているものが得られるのか・・・どうか?
いろいろな本を読みたいと思っています。ありがとうございます。いろいろなご示唆をいただきまして・・・。

投稿: elma(自分磨き) | 2007.04.23 23:30

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