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2007.04.08

モディリアーニと妻ジャンヌの物語展

Modhiriani1


初日に行って来ました。
展覧会のタイトルがいかにも.......ですよね。
運命のアーティストカップルというフレーズはいただけませんが。
bunkamuraざ・ミュージアムで6月3日まで開催されています。

タイトルのとおり、モディリアーニとジャンヌの3年間の物語を絵画、写真、手紙等を通して時系列で鑑賞出来る展覧会です。

それにしても、こういう男はもてるのですね。
画家、病、酒、麻薬。
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画家ジェンヌを概観できるまたとない機会です。


最後にたどり着いた女性、ジャンヌ。
ジャンヌは女性、画家として幸福な3年間だったのかもしれません。
自画像、静物画、風景画、人物素描、若いジャンヌは可能性を模索するかのように描きます。
勿論モディリアーニの影響もありますが、彼女の個性は矢張り主張しています。

モディリアーニが35歳でなくなった48時間後、身重のジャンヌはアパルトマンから身を投げます。
21歳の早すぎる終焉です。

この展覧会での私のベスト
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モディリアーニ最晩年の作品です。

彼は、モデルの心象風景を見事の描き出しますね。


初日は、空いていました、ゆっくり鑑賞できました。
1時間20分程度の鑑賞時間でした。
終了後、私の好きな松涛美術館に向かいました。


以下は、HP解説文のコピーです。

Scene 1 出会う前のふたり
第1部 ジャンヌに出会う前のモディリアーニとは
 ジャンヌに出会った頃のモディリアーニは32歳。画家としての円熟期を迎えていました。それまで彼が付き合ってきた女性は、みな大変個性の強い女性たちで、モード・アブランテスはミュージックホールでも活躍していた女優であり、アンナ・アクマートヴァは有名なロシアの詩人。そしてベアトリス・ヘイスティングスはイギリスの詩人でした。当時のモディリアーニは画家としての名声を獲得し始め、画商ポール・ギョームのお抱えとなり、画商ズボロフスキーとの出会いがありました。また、個展も開かれ絵も売れるようになっていました。


第2部 モディリアーニに出会う前のジャンヌ
 モディリアーニに出会った時、ジャンヌはまだ18歳でパリのアカデミー・コラロッシュに通う画学生でしたが、堅実な中産階級の両親のもとで育ち、最初の絵の手ほどきを同じく画家であった兄のアンドレから受けていました。モディリアーニと出会う以前の彼女の作品は、まだ方向性こそ定まっていませんが、日常生活の中に主題を求め、それを表現豊かに描き出し、すでにはっきりとその才能を示しつつありました。
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ジャンヌ・エビュテルヌ
≪自画像≫
グワッシュ・厚紙 個人蔵
© Fond Hébuterne, toute reproduction interdite
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ジャンヌ・エビュテルヌ
≪ピッチャー、瓶、フルーツ≫
油彩・キャンヴァス 個人蔵
© Fond Hébuterne, toute reproduction interdite

Scene 2 出会いと同棲の始まり
 モディリアーニとジャンヌの二人は1916年の末に出会います。それからほどなくして同棲生活をはじめ、 ジャンヌは妊娠します。共同作品ではありませんが、この二人の関係とは切り離せない作品が生まれてきます。ジャンヌは真の才能を自分の中に見出し、またモディリアーニもジャンヌという生涯を通して最も愛し、そしてインスピレーションを受けるモデルと出会い、彼の芸術はさらに発展していきます。
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ジャンヌ・エビュテルヌ
《眠るモディリアーニ》
鉛筆・紙 個人蔵
© Fond Hébuterne, toute reproduction interdite.
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アメデオ・モディリアーニ
《ジャンヌ・エビュテルヌ》
鉛筆・紙 個人蔵
© Fond Hébuterne, toute reproduction interdite.

Scene 3 ニースへの旅立ち
 幼少の頃から病弱だったモディリアーニは、酒と麻薬におぼれた生活により、さらに病状が悪化します。そこで画商ズボロフスキーの勧めで、1918年5月から6月にかけてパリを脱出し、温暖な南仏ニースへと旅立ちます。同年11月にはジャンヌが女の子を出産し、生活は苦しくともモディリアーニは制作に没頭できるようになり、作風も透明感のある明るいものに変わっていきました。ジャンヌも制作を続け、日常の生活シーンなどを描きながらふたりの幸福な情景を永遠のものとして画面に定着しました。
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アメデオ・モディリアーニ
《肩をあらわにしたジャンヌ・エビュテルヌ》
1919年 油彩・キャンヴァス 個人蔵
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ジャンヌ・エビュテルヌ
《モディリアーニとジャンヌ・エビュテルヌ、
ニースにて》
水彩・紙 個人蔵
©Fond Hébuterne, toute reproduction interdite.

Scene 4 永遠の沈黙
 モディリアーニは1919年5月末にパリに戻り、ジャンヌも7月初めに娘とともにパリの彼に合流します。ジャンヌは2人目の子供を身篭り、二人は書面で結婚を誓約します。しかし、モディリアーニの病状は日に日に悪化していき、作品の色彩は再び暗さを帯び、濃いものとなっていきます。一方ジャンヌが描く作品では、彼の運命を悟ったかのような不気味な主題が現れるようになります。そして皮肉にも、モディリアーニの画家としての名声は高まる一方でした。論評は好意的となり、画商ポール・ギョームの画廊では個展が開かれ、ロンドンの展覧会では大成功を収めます。しかし病魔は慈悲もなく、翌1920年、結核性脳膜炎で彼は病院に担ぎこまれ、意識の回復しないまま1月24日に帰らぬ人となります。そして更なる悲劇が起こります。ジャンヌが26日未明に、両親のアパルトマンの6階から投身自殺してしまいます。妊娠8ヶ月でした。がらふたりの幸福な情景を永遠のものとして画面に定着しました。
Pic_k_07
ジャンヌ・エビュテルヌ
《自殺》 
水彩・紙 個人蔵
©Fond Hébuterne, toute reproduction interdite.
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ペール・ラシェーズにある二人の墓








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