山本丘人展
寒い日(日曜日)でしたが、遠方まで出かけてきました。
平塚美術館で26日まで開催されています。
図録は売れ切れでした。
せめて、出品作品リストでも思い、有無を尋ねましたが、こちらもありませんとのことでした。
もう少し対応を考えていただくと、うれしいのですが......。
以下の画像は、チラシおよびHPから引用させていただきました。
初期の人物画、大和絵風の作品、イラストのような、車、人物。
叙情たっぷりの作品群。
娘の坐像 1920年
村道 1939年
《海の微風》
1936年
《公園の初夏》
1928年
既成画壇を飛び出して、益荒男振りを発揮した壮年期の荒々しい風景画。
《北濤》
1955年
夕焼け山水 1961年
今回出品された作品の中のベストです。(私個人の)
作品の前で暫し見入っていました。夕刻の空気に包まれているような錯覚にとらわれます。
金、銀泥でここまで表現している作品は初めて、見事です。
晩年の作品、まるで少女が描いたような作品もあります。
本来の、真実の心象風景を描くこと戻った時期なのかもしれません。
《狭霧野》
1970年
霧に包まれ、風に揺れる花々、幻想的な絵画です。
流転之詩 1974年
地上風韻 1975年
残夢抄 1976年
《幻雪》
1978年
葉山に雪が降ったときに描いた絵だそうです。
つくづく、多面性を持った作家と思いました。
すべてが、丘人の目指した真実の心象風景なのでしょう。
次に、HPの解説を引用させていただきます。
「絵は人なり」-丘人(きゅうじん)が、自分の作品に表したのは、風景を目にした時の感動や、自らが感じた季節観、自らの人生観でした。作品には、権威を嫌い、何ものにも媚びない丘人の強い人間性が感じられ、われわれの心を打ちます。
山本丘人は1900年東京の生れ。東京美術学校在学中、校内コンクールに出品した《娘之坐像》が松岡映丘(まつおかえいきゅう)に認められ、師事。1936年小金井に転居してからは武蔵野周辺の繊細な叙情的風景に画才を発揮します。
戦後、日本が一変すると、旧弊つづく日展を離脱、新しい日本画を求める革新画派のリーダーとして創造美術(現・創画会)を創立。雄大な山容や荒々しい日本海に取材し、造形的な量感表現をめざします。絵具を焼いたり、金、銀箔を多用し、さらに削り、重ねるといった技術も、作家の感動を的確に表現しています。
1960年には大磯に転居、強靭な意志の発露である力強い作品を発表しますが、次第に「真実の心象風景」を追い求める幽玄優美で詩情豊かな作風へと移行します。1977年、在野にあって文化勲章を受章。晩年はさらに象徴性を帯び、夢のなかで遊ぶような画境に到達しています。
本展では、東京圏での本格的回顧展としては12年ぶりであり、過去最大の約90点を出品。映丘に認められるきっかけとなった第一作《娘之坐像》(新発見)、長らく行方不明であった戦前の代表作《村道》をはじめ、初期から晩年までに至る代表作・新発見作品などを一堂に展観し、山本丘人芸術の歩みを紹介します。
| 固定リンク
コメント