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2006.11.11

20世紀コンピュータアートの軌跡と展望

Konato


多摩美術大学付属美術館で12月17日まで開催されています。

勉強のつもりで出かけました。

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例えばlogX(常用対数)の変数xを細かく設定し繰り返し計算をさせたとします。

そのまま、プリンターかプロッターに出力します。とてもきれいな、限りなくX軸に近づく漸近線が描けます。、
さて、セクションペーパーに鉛筆で対数値をプロットします。その点をフリーハンドでなぞっていきます。
なぞっていきながら、いろいろと考えます。(実は、昔、工数見積もり(作業の習熟度見積もり)の計算で描いたいたことがあります。)
「なんてきれいな線が描けるのだろう」
「何処まで行っても、X軸と交わらない間隔を、広いと思うか狭いと思うか、永遠に交わらないことの意味は」

私は、手書きの曲線に魅力を感じてしまいます。感情の揺らぎを感じるといったらいいすぎですが....。

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刺激を受ける作品もありましたし、これだけの仕事をコンピュータにさた構築力と発想には敬意を感じます。

しかし、感動(感情)が伝わってこなかったのも事実です。

鑑賞眼がないからだと思いますが、作品を見てコンピュータとしての個性は、伝わるのですが....。
個々のコンピュータの個性(作家の個性+個々のコンピュータの個性)が感じられるようになると本物
だと思いました。(コンピュータが感性(個々の個性)を持ち表現しうるか)

自己満足の範囲ですが、私も挑戦してみたくなりました。

以下は、HPから引用させていただいた解説文です。

もはやコンピュータは現代に生きる私たちにとって欠かすことの出来ない身近で重要な存在になっています。今から半世紀以上も前に誕生したコンピュータは、時代の経過とともにその役割を益々広く大きなものにしてきました。そして科学技術の分野ばかりではなく芸術分野においても、コンピュータを用いた芸術表現をしようという試みにより、歴史上多くの人たちによって斬新で実験的な作品が世に送り出されてきました。

 それらは単なるエポックメイキングな珍しい表現や、単なる先進性の追求や表出という働きかけではなく、作品や表現を成立させる図像生成の仕組みや芸術理念の根幹に関わる、造形のための方法論・・・すなわちアルゴリズムを分析し構築することによって、今までに無い新しい造形世界を模索しようというものだったのです。逆に言えば、そうした造形のためのアルゴリズムをもっとも効率よく、機能的に具体化していく機械がコンピュータでした。

 絵画やグラフィックデザインの領域においても、感性や技能の踏襲、熟練という手法に依存せず、さまざまな論理性や原理に基づく数理的な解析を用いた記述(プログラム)によって、人間の手だけでは創出できなかった視覚造形を実現することが試みられました。つまりそうした芸術創造の手法を実践してきたアーティストやデザイナーたちは、単なる道具としてだけではなく、コンピュータを用いるための構成理論や思想、原理などの統合的な諸方法にまで踏み込んだ表現の先駆者だったのです。

 1950年代から発生したコンピュータ・アートは、こうしたアルゴリズムを確立し、プログラム化していくことで作品を制作してきました。そうした新しい芸術の道を切り開いてきた先駆者たちの業績は、後の巨大化、高速化し、商品化されていったコンピュータと、定格化され汎用化されたソフトウエア (アプリケーション)によって、簡易にそして大量に製作や発表が可能となったコンピュータ・アートやコンピュータ・グラフィックスへの発展を導く礎でした。そしてまた現在でもその系譜と傾向は、研究・教育の場でも再び重要視されつつあります。21世紀を迎えた現在、こうしたコンピュータ・アートの先駆的活動を再認識し、かつ総括していくことの意義は大きいと考えます。

 この展覧会では、国内外の歴史的なコンピュータ・アートの作品、そしてそれら芸術的アルゴリズムの思想や理論の継承者たちの作品や資料約250点を紹介します。また会期中には、コンピュータ・アート、芸術アルゴリズムに関する講演会、パネルディスカッション、ギャラリー・トークなどが開催されます。

 この展覧会を通して芸術史におけるコンピュータ・アートの意義や、先駆者をはじめとするコンピュータ・アーティストたちの作品を直接的・具体的に紹介することで、これからの美術・デザイン教育、そして芸術創作への新しい可能性に踏み出していく手段と展望を得る、貴重な機会になることでしょう。

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コメント

コレ見てきました。進化の功績を理解するならもう少し時系列の意味合いをはっきりしないとね。ロースペックな頃の壁紙見ているだけに感じてしまう。つまり模様。絵心あって始めてアートであって、模様や柄を単に飾ってあってもそこから審美眼や鑑賞眼といわれてもね。今見て退屈なものなんだから、当時の時代ともっと絡めないと中々その軌跡の意味を理解しがたい。柄から芸術は生まれづらい。美術館を出るときに正直疑問がいっぱいだった。

投稿: デザインとアート | 2006.12.04 07:23

私が、コンピュータを使い始めた頃は、プログラミングをしないとまったく使い物になりませんでした。
いろいろやりましが、ウインドウズになってからは、PCはまったく、ブラックボックスとして扱っています。

コンピュータアートに興味はありますが、時間がありません。
でも、挑戦してみたいとも思うのです。

イーゼルにのせたキャンバスが半年真っ白のままですので....。

コンピュータを専門として仕事をしたことはありません。
体力と根気に仕事ですね。

銀塩現像とデジタル処理はまったく異なると考えます。
どちらが、いいかは個人の好みになりますね。
この辺は、コンピューターアートとつながる話かもしれません。

銀塩粒子の化学処理の意外性は面白いですよ。
30年前には、やっていました。今でも機材は捨てていません。

投稿: elmaさんへ | 2006.11.12 08:01

こんばんは!

makoさんって、コンピュータの専門家ですか?
スポーツもなさって「文武両道」ですね!カバー範囲が広いです(すばらしい♪)
お書きになっている前半の投稿記事は全く、素人の私にはわかりませんでした。(残念・・・)

私も努力して「イラストレータ」「フォトショップ」などを勉強しました。また「Fireworks」「Flash」などのソフトも勉強しましたが、モノになりませんでした。ベジェ曲線が難でした。未だに解像度に悩まされています。

最近、「raw」データに興味を持っています。これをどう加工するかは、現像処理と同じであると言われています。勉強したいと思います。

「アナログの良さ」と「デジタルの良さ」がうまく融合するといいですね!

 いろいろとお教えください。よろしくお願い致します。

投稿: elma | 2006.11.11 22:37

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