武満徹Visions in Time展
2日、雨に濡れながら行ってきました。
武満徹が、如何に幅広いジャンルの人々とも交流し、その中から触発され、作品に昇華して行ったかを実感できる展覧会です。
鎌倉の神奈川近代美術館で開催された山口勝弘展で展示された、作品と同様な作品もありました。実験工房の同志 ですからね。
展示作品等の細部は、チョッと書ききる自信がありません。
カタログ本の中で、感心した文章を引用させていただきます。
表題は、眼を鍛えるです。
私は本を読むたびに、それによって私の「眼」が鍛えられたらと思う。 特殊な芸術の世界だけではなく、たえず変化して行く、予測できない日常世界をその眼で見るのだ。 小さな自我、偏狭な審美感に穢されてしまった眼は、「見る」という素朴な行為によってしか美しくはならない。 そのために、なるべく本を読むように、また、なるべく本を読まないようにという困難な読書の仕方を、私は、自分に課している。 今の日本では、私たちが読むよりは、作家の生産量のほうが多いのではないか。それにしたがっては眼を害うだけだろう。 --マルセル・デュシャン、あるいはビァレリィがしたように、生き生きとした沈黙をまもるということは現代では困難のことであろうか。--「私の本だな」『武満徹著作集5』
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コメント
elmaさん、コメントを頂き有難うございます。
>崇高な思想や感覚を求めるのかもしれません。
私には、そのようなものを理解する能力はありません。あきらめています。
単純に、良いものは良いと思う感性(私だけのもの)を失ってしまったら、悲しいなと思っているだけです。
いや、何よりも好きだから、見たり読んだりしているだけです。
投稿: elmaさんへ | 2006.05.10 05:15
こんばんは、makoさん!
とてもすてきなポスターですね。(洗練されています)
きれいなものに触れるという作業を続け、見るという行為を繰り返すことも何かいいかもしれませんね。
「営々として生きる毎日、その中で、ドロドロの営みの中から、珠玉のような作品が生まれる」これは、昇華かもしれません。ピラミッドの底辺で生きている人々は(私も含めて)、崇高な思想や感覚を求めるのかもしれません・・・。(創造の能力はありませんので)
PS:笑える話に私の笑える話で返答しようと思ったのですが、やはり、笑える内容ではないので、やめました。
投稿: elma | 2006.05.09 22:02