薬師池公園の紅葉
一眼レフデジカメで撮影してみました。
どうでしょうか?一眼デジカメのよさをこれから徐々に発見していくつもりです。
カメラはPENTAX ist DSです。
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一眼レフデジカメで撮影してみました。
どうでしょうか?一眼デジカメのよさをこれから徐々に発見していくつもりです。
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渋谷区立松涛美術館
井の頭線の神泉駅から5分ぐらいのところにあります。
地下一階と地上2階が展示室になっています。2階は喫茶室も兼ねていて、ご老人が一人で紅茶を飲み、ケーキを食べていたり、親子がジュースを飲んでいたり、とても気に入っている美術館です。
既に、終了していますが「安井仲冶 写真のすべて」を見に行ったのですが、こちらの展示も写真の原点を再確認させていただき、大変すばらしいと感じました。
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新宿の東郷青児美術館で”佐野ぬい展 遠い様式・青の構図”を見てきました。
ブルーで心のありようを表現し、その時々に浮かんだパーツをキャンバスに貼り付けるという絵だと感じました。実は、この作家は何を表現したいのだろうと、美術館のベンチに座ってじっと考えてしまいした。
以下は、パンフレットからの引用です。
「ブルーという色は、どれほど言いたいことをかくしているか」と語る佐野ぬいの作風は、「佐野ぬいブルー」と呼ばれる青を基調としています。多彩な色彩と意表をつく様式を持つ都会的で洗練された青の画面を構成しています。
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「神を物として考えると分からなくなる。むしろ働きのほうがいい。物として考えるとどこかにいるような感じがするから余計に分からなくなる。神は全ての物の中に働いている。そう考えるほうが現代人にも分かる」 遠藤さんはよくそういっていました。 例えば、人と人との出会い。出会いの、不思議さの裏にはXがあると遠藤さんが言う時には、そういう力をいっていると思う。 遠藤さんの短編「もし......」にこんな一節があります。一人の人間が他人の人生を横切る。もし横切らねばその人の人生は別だったかも知れぬ。そのような形で我々は毎日生きている。そしてそれに気づかぬ。人々が偶然とよぶこの「もし」の背景に何かがあるのではないか。「もし」をひそかに作っているものがあるのではないか。
”我等なぜキリスト教徒となりし乎”から引用
安岡章太郎、井上洋冶 著 1999年初版
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