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2004.10.24

ミスティックリバー

ラスト侍で渡辺謙さんがアカデミー賞助演男優賞を逃し、結局、ミスティックリバーのショーン・ペンとティム・ロビンスのダブル受賞でした。シナリオもなかなかよく、観て損はしない映画だと思います。役者がいい映画という印象です。私はティムの奥さん役のマーシャ・ゲイ・ハーデンと刑事役のケビン・ベーコンがいいと思いました。ショーン・ペンのような、個性が前面に出る役者はあまり好きではありません。でも存在感は認めざるを得ません。
下記はallsinema onlineの解説文を引用させていただきました。

ジミー、ショーン、デイブの3人は少年時代、決して仲が良いわけではなかったがよく一緒に遊んでいた。ある日、いつものように3人が路上で遊んでいたところ、突然見ず知らずの大人たちが現われ、デイブを車で連れ去っていってしまう。ジミーとショーンの2人は、それをなすすべなく見送ることしか出来なかった。数日後、デイブは無事保護され、町の人々は喜びに沸くが、彼がどんな目にあったのかを敢えて口にする者はいない。それ以来3人が会うこともなくなった。それから25年後。ある日、ジミーの19歳になる娘が死体で発見される。殺人課の刑事となったショーンはこの事件を担当することになる。一方、ジミーは犯人への激しい怒りを募らせる。やがて、捜査線上にはデイブが浮かび上がってくるのだったが…。

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2004.10.17

蒼天の画家入江観の世界展

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茅ヶ崎美術館で”蒼天の画家入江観の世界展”を観てきました。
大半が、風景画で、森と海と湖が多く描かれています。
蒼と緑の色使いが鮮やかで、美術館内の椅子に座って展示されている絵を観ていると、ほっとした気分と、寂寥感が何故か迫ってきます。殆どの絵が画面の三分の二を空が占めます、何故か殆ど人物は、後ろ向きです。蒼天の画家の所以ですが、これだけ空を描き続けるのは、相当勇気のいる作業ではないかと思いながら鑑賞しました。
 セザンヌの研究をされておられていたようでうが、静物、フランスで描かれた風景画には、それらしきイメージが垣間見られます。しかし、日本での風景画は、入江観の世界そのものが満ち溢れています。
11月3日までの開催、一見の価値ありです。秋の好天の日に茅ヶ崎海岸の散歩もかねてお出かけになっては如何でしょうか。観にいかれた方のコメントをいただければ幸いです。

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2004.10.11

泣いて何かを忘れてしまいたい方へのお奨め映画(パイラン)

韓国映画”パイラン”はとにかく泣ける映画です。浅田次郎の小説”ラブレター”を韓国の社会にあわせれリメイクした映画です。

四十過ぎて独りふらふらと暮らすカンジェは、ある日突然「奥さんが亡くなった」と知らされる。身に覚えがなかったが、かつて小金欲しさに中国人女性と偽装結婚したことを想い出す。女の名は「白蘭(パイラン)」。一度も会うことのなかった“妻”の遺体を引き取りに、カンジェはパイランが暮らしていた町を訪れる。部屋に小さな“夫”の写真を飾り、病と闘いながら必至に働いて言葉を覚えていったパイランの最後の手紙。そこにはカンジェへの純な気持ちが切々と綴られていた…。

観初めて、最初の数十分は「時間を損するかも」と思いながら観ましたが、主演のパイラン(白蘭)が登場するあたりから画面に引き込まれていきます。パイラン役のセシリア・チャンの透明感のある美しさが光ります。後半のカンジェ
が、港で残された手紙を読む場面は、カンジェ役のチェ・ミンシクの好演に泣かされます。

とにかく泣いて何かを忘れたい方にお奨めです。

ソン・へソン監督作品
2001年韓国映画

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2004.10.03

「あなた」を下さい

「あなた」とは、神のことです
の書き出しで始まる高橋たか子氏のエッセイはとても示唆に富んでいます。誤解を恐れずに、このエッセイの最後の数行を次に引用させていただきました。(信者ではない私にとって、”神の愛”について、こういう表現も、理解の一助になるのかなと考えさせられました)

つまり、神を愛することへの通路が、男女が愛し合うことの奥にある。女が愛する男に、または男が愛する女に、(肉体ではなく)心を果てしなくもらいたいと思って、どんどんもらうことを通りぬけていくと、いつのまにか、神を果てしなくもらいたい自分に変っている。逆にいえば、愛し合う一対一の男女が、相手に対して本当に欲しいと思っているのは、相手のなかに透けて見えている神なのだ。そう気づかずにさえ。透けて見えているものが見えずに さえ。

高橋たか子著   霊的な出発  1985年初版

オリンピック観戦と、暑い時にこそ身体を動かして、汗をかくのがいい、とばかりに、殆ど本を読まない夏を過ごしてしまいましたが、不思議なもので、暑さを過ぎると、自然に本棚に足が向き、過去読んだ本を再読してみる気になりました。

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2004.10.02

黄檗美術と江戸の版画展

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今日から、町田市立国際版画美術館で、黄檗美術と江戸の版画展が始まりました。江戸時代になって新たに日本に伝わった、禅宗の一派、黄檗宗は当時の日本が中国文化を受容するきっかけともなりました。黄檗美術は江戸絵画様式に大きな影響を与えました。
展示は、肉筆画では独特の色合いを持つ仏教絵画や花鳥図を、版画では、希少性の高い詩箋の数々、黄檗美術とかかわりのある伊藤若冲の作品が展示されています。

江戸時代の浮世絵のコーナーでは葛飾北斎、三代目歌川豊国、歌川国芳、月岡芳年等々の作品が展示されています。江戸錦絵のが堪能できます。

私は、伊藤若冲の浮世絵に興味を持ちました。非常に新鮮なイメージを持ちました。(モダンとすら思いました)
役者絵、武者絵の類は、作者を見分けるのは、私のような素人には難しいですね。

本展示会のお奨め度は、少々低めにしておきます。専門知識がある方にはいい展示なのかもしれませんが.....

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喜びと悲しみについて

そこで一人の女が、「喜びと悲しみ」についてお話しください、と言った。 アムスタファは答えていった。 喜びの仮面をとれば悲しみ。 笑いのあふれる井戸は、しばしば涙で満たされる。 喜びと悲しみには、ほかにどんなかたちがあるというのか。

刻み込まれた悲しみが深ければ深いほど、喜びもまた大きい。
あなたがぶどう酒を注ぐ杯は、陶工の釜で焼き上げたあの盃ではないか。
あなたの心を慰める琴は、ナイフでくり抜いたあの木ではないか。

喜びにあふれるとき、心の奥を見つめなさい。そうすれば、悲しみをもたらしていたものが、今は喜びになっていることが分かるだろう。
悲しみに溢れる時、あなたの心をみつめなさい。そうすれば、前には喜びだったものに、今は涙していることに気づくだろう。

「喜びは悲しみに優る」という人がいる。また、「悲しみのほうが大きい」という人もいる。
だが私は言おう。喜びと悲しみは分かつことができないものだと。
喜びと悲しみは連れ立ってやってくる。喜びがあなたの食卓につくとき、悲しみはあなたの床(ベット)に横たわることを忘れてはならない

まことにあなたは、喜びと悲しみの間に渡された天秤のよう。
心が虚ろなときにだけ、じっと止まって均衡を保つ。
宝の持ち主が金と銀を計ろうとあなたを持ち上げるとき、あなたの喜びと悲しみは、上がり下がりするに違いない。

ジブラーン著 生きる糧の言葉
「喜びと悲しみについて」より

とてもいい散文詩集ですが、絶版になっているようです。
売っている書店があったら情報を頂けると嬉しいのですが...........

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