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2004.04.29

有栖川宮記念公園あたりの話

有栖川宮は変なことで、ワイドショーネタになっていたようですが、有栖川宮記念公園(他人のサイトを無断で借用しました)は私にとってとても懐かしい場所です。子供の頃は、池でアメリカザリガニを捕ったり、学校の美術の授業で写生に何度か行きました。また、都立図書館ができてからは、よく出かけていました。今の図書館ができる前は宮邸の一部を改装?して、日比谷図書館の分室として開放していました。当時は、夏でも空調(冷房)がなく、窓が開けはなたれて、せみの鳴き声とともに、とても趣のある図書館でした。
公園周辺は、かなり変わりましたが、広尾駅から聖心女子大に向かう道の商店街では今でも縁日が行われているようです(5のつく日、今でもそうなのかな?)
所要で、時々広尾に行きますが今でも結構懐かしい場所が残っています。
私の子供の頃は、地下鉄はなく(勿論広尾駅もありませんでした)、明治通りに都電が走っていました。懐かしい!!!
麻布周辺も含め、連休の散策に如何でしょうか。

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2004.04.25

家永三郎コレクション

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町田市立自由民権資料館が2004年度第一回企画展として家永三郎コレクションを開催します。
(4月29日~7月4日まで)
2002年にお亡くなりになりましたが、資料館では、日本近代思想史の研究 に利用された文献資料(明治期の出版物を中心とする)を譲り受け「家永三郎文庫」として保存管理していくことになったそうです。
私自身は、氏の本、論文等は殆ど読んだことはありません。ただ、教科書裁判の件で私の本棚に検定不合格日本史という本があります。

ちょっと興味があるので、この本の序文の一部を下記に紹介します。(文部省の 審査結果内容についてのほんの一部ですが.....)

第3に、過去の史実により反省を求めようとする熱意のあまり、学習活動を通じて祖先の努力を認識し、日本人としての自覚を高め、民族に対する豊かな愛情を育てるという日本史の教育目標から遠ざかっている感が深い。

この本は1956年に検定申請用に提出されたものです。28年経った今、日本人の歴史観も含め何が変わりまた、変わらないのか。比較検証してみるのも良いのでは....
チョト私には無理な課題ですが。

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2004.04.21

映画の話

メジャーの映画もいいですが、米英伊仏以外の映画も良いのではないでしょうか。昔話」ばかりで申し訳ありませんが、岩波ホールでギリシャ、ポーランド等々の映画をよく観ました。今の岩波ホールでも、色々な国の映画を上映しているのでしょうか。高校生の頃に参加した、ソ連映画祭が今でも記憶にあります。三日間で9本の上映でしたが、当時ソ連に関して持っていたイメージと違う印象がありました。(有楽町の読売ホールでした)まだ、ベトナム戦争真っ只中の時代でしたので映画祭の入り口で、政治的パンフレットが配られ、今でも私の本棚にあります。
私の高校時代のクラスメイトは中学生時代から、年間200本以上映画をみているのが自慢でした。今でも時間さえあれば観ることは可能だと思いますがこの年齢では無理。若いときのエネルギーはすごいですね。

いい映画を見た後の充実感はたまりません。めいっぱい泣ける映画はいいストレスの解消にもなりますね

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2004.04.18

ダンテの神曲と高橋和己

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町田市の国際版画美術館では、ダンテ「神曲」の旅。描かれた地獄・煉獄・天国が開催されています。(写真は展示会のパンフレットを転載させていただきました)ギュスターブ・ドレの作品を中心に、丁寧な解説文も添えられており、神曲の全容がわかる展示になっています。 サルバドール・ダリの作品群も、展示されていてドレの作品との対比が面白いと思いました。ダンテの想像力に驚嘆しました。

高橋和己全エッセイ 孤立無援の思想
失明の階層--中間階級論の書き出しから
その人生のなかばに、正しい道をふみあやまり、ほの暗い森の中に自らを見出した「神曲」の詩人ダンテは、ものすさまじい想像力によって、罪と試練と許しとの三つの伽藍を構築したとき、その発端、地獄の門前に、地獄からも拒まれつづける最も悲惨な人々をおいた。絶望の門にすらも入れぬゆえに、永遠に救済される望みも絶たれた人々のミゼールを。
------中略----------
「このあさましき有様におかるるは、誹りをも誉れをもうけずして世を過ごせし人々の悲しき魂なり。彼らに混じれるは神にそむきしにもあらず神に忠なりしにもあらずして、ただ、己れみずからのためにのみ生きたりしところの天使たちのいやしき群れなり」
------中略----------
「これらの人々には死にゆくことの望みもなし、しかしてこの失明の中に生きることのいやしさは、彼らをしていかなる他の宿命をも羨ましむるなり、世は彼らの名のつたえらるるを許さず、慈悲にも正義にも彼らは軽んぜられる。われらもまた彼らにつきて言うことをやめん。汝ただ見てすぎよ」

この高橋和己氏の文面の雰囲気を懐かしいと思われる方は、多分私と同年代か、少し上の方々ではないでしょうか

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2004.04.17

自作スピーカーのリニュウアル

我家の5.1chサラウンドシステムのフロントスピーカーを新規購入し、交換しようと思いましたが、他のものに予算を回してしまったため、どうしようかと考えていました。

屋根裏部屋に入った時に、35年位前に自作したスピーカーユニットがあったので、リニュウアルできないかと考えました。フルレンジのスピーカーをバスレフタイプのボックスに収納してあります。そこで、東急ハンズに電話して、同型式のスピーカーがあるかどうか尋ねてみました。すると、なんとまったく同じものを35年経った今でも販売していました。
(メーカーは、自作派にはおなじみのfostex)

何しろ時間をかけたくなかったので、以下の作業を行い、今では、立派に我サラウンドシステムのフロントスピーカーとして役目を果たしています。(もっと良いシステムが欲しい!!!)
①スピーカーの交換
②スピーカーボックスの外観を顧慮し、ラワン材を木工ボンドで貼り付け、とのこで表面処理し、 ワニスを塗りました。
③角棒を切ってスピーカーネットの枠を作り、そこに黒のネットを張りました。
マジックテープでネットを固定し完成です。

簡単なものでも、自分の手で何かを作るのは楽しいですね

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2004.04.11

パステルカラーの数週間

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近所の写真を掲載しました。
私は、この季節を”パステルカラーの数週間”と名づけています。

若葉の色彩が見事で、最も好きな季節です。
今年は、桜の花も長持ちし、パステルカラーの若葉との競演です。

一日中、自然の中で本を読んだり、写真を撮ったり、無目的に歩き回ったり、自転車に乗ったりしていたくなります。

貴重な数週間ですが、やらなければならないことが、沢山あり、なかなか思うように過ごせません。

いっそのこと、遠出してしまえば、諦められるのですが.........。

さあ、家にいないで自然の中へ。

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2004.04.03

夢違観音

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写真は、国立博物館のパンフレットを引用させていただきました。4月11日まで開催されている特別展示です.夢違観音さんの夢違いとは、お参りすると、悪い夢が良い夢に変わるという意味だということです。もう時間がありません現在悪い夢を見ているのだと思っている方は、急いでお願いに行って、良い夢に変えていただいては如何でしょうか。

実に魅力的なお姿ですよ

法隆寺宝物館の展示室は本当に暗いですね。

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銀塩派それともデジカメ派

デジカメと銀塩フィルムをどう使い分けますか。デジカメは、本当に便利だと思います。私は、もっぱらメモ代わりに使っています。

解像度は、プリントアウトするつもりはありませんので、200万画素で十分と思っています。(印画するとしてもL版程度であれば十分?)その代わり、光学ズームと明るいレンズであることが望ましいと思っています。

銀塩フィルムは、現像段階の処理で、現れる画像が大きく違います。本当に、凝るのであれば、現像、焼き付けまで、自分でやることになります。銀塩フィルムは本当に奥が深く、ある程度納得できる写真に仕上げるには やはりそれなりの習熟時間が必要です。(20歳位の頃モノクロのフィルム現像から印画紙への焼き付けまで自分でやっていました)

最近は、デジカメを使って撮影することが、圧倒的に多いのですが、銀塩フィルムでも時々撮影します。やはり捨てがたい気がしています。印画紙へプリントする時は、銀塩フィルムで撮影しています。

解像度に関しては、銀塩は2000万画素に相当するというような文献もあるようですが人間の目の解像度、印画、ディスプレーおよび、プリント系の解像度等考慮することも必要となり、実はあまり関心がありません。(デジカメの解像度に見合ったシステムを組まないと意味がなくなります)

むしろ、銀塩フィルムの処理過程に潜む、意外性が楽しいと思っています。
一眼レフのデジカメが、今の半額程度になれば、欲しいですね。やはり一眼レフは魅力です。

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生きるということは、よく感じるということでもある。

雨にぬれた木の幹に手を触れたときの印象を述べたものである。「私はなんともいえない優しい声を感じてびっくりしたものだった。それは木の葉がみんなで、たわいのないことをおしゃべりし合っているような響きだった。それ以来、私は雨の滴が真珠の柱のようになって、小枝や葉を伝って流れ落ちる時、よく木の肌に触ってみた。すると何時も小鬼が笑っているような気がした。」
 
 人間の生を豊かにするものは、偉大な思想よりも、むしろ、こういった微細ではあるが鮮烈な日々のイメージなのではあるまいか。

以上は木原武一著、[大人のための偉人伝]のなかでヘレンケラーの文章を引用しての一文です。


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