2026.01.07

上野アーティストプロジェクト2025 刺繍―針がすくいだす世界

雑感ノート mako 2冊目

上野アーティストプロジェクト2025 刺繍―針がすくいだす世界

会期 2025年11月18日(火)~2026年1月8日(木)

東京都美術館

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2026.01.01

新年のご挨拶 

明けましておめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします

雑感ノート 2冊目
新年のご挨拶 2026年 

 

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2025.12.07

東京富士美術館コレクション ヨーロッパ絵画 美の400年

雑感ノートmako 2冊目

東京富士美術館コレクション ヨーロッパ絵画 美の400年

会期 2025年10月4日(土)~2026年1月18日(日)

東京富士美術館

 

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2025.10.25

特別展「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」

雑感ノートmako 2冊目

特別展「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」

会期 2025年9月9日(火)~11月30日(日)

東京国立博物館

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ディーン・ボーエン オーストラリアの大地と空とそこに生きる私たち

雑感ノートmako 2冊目

ディーン・ボーエン オーストラリアの大地と空とそこに生きる私たち

会期 2025年9月12日(金)~11月3日(月・祝)

八王子夢美術館

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2025.07.09

"雑感ノートmako 2冊目"を書き始めました。

本ブログ"雑感ノートmako"の使用容量がほぼ100%に達したため、
新規投稿が出来なくなりました。

はてなブログで”雑感ノートmako 2冊目”を書き始めましたので、
お暇な時にでも覗いてみて下さい。

本ブログ"雑感ノートmako"と"雑感ノートmako 2冊目"を併用する事になると思います。

雑感ノートmako 2冊目はこちらから



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2025.06.10

蔦屋重三郎 「コンテンツビジネスの風雲児」

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蔦屋重三郎 「コンテンツビジネスの風雲児」 

会期 2025年4月22日(火)~6月15日(日)

東京国立博物館 平成館 特別展示室

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喜多川歌麿、東洲斎写楽といった現代では世界的芸術家とみなされる浮世絵師を世に出したことで知られている蔦屋重三郎(1750~97)は、江戸時代・天明、寛政(1781~1801)に、その商才を活かしてコンテンツ・ビジネスを革新し続けました。

蔦重は江戸の遊郭や歌舞伎を背景にしながら、武家や富裕な町人、人気役者、人気戯作者、人気絵師のネットワークを縦横無尽に広げて、さまざまな分野を結びつけながら出版業界に新機軸を打ち出します。

この展覧会は、大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」とも連携した企画展です。
展覧会の入り口は、大河ドラマセットで使われた大門で・・その展開に期待を抱かせます。

「附章 天明寛政、江戸の街」では、大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華之夢噺~」と連携し、ドラマのセットを使って、蔦重が活躍したころの江戸の町を再現。
さながら当時の街にタイムスリップです。
(府章のみ撮影できます)

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展覧会の構成は次の通りです。
第一章 吉原細見・洒落本・黄表紙の革新
吉原で生まれた蔦重
平賀源内との出会い
『吉原細見』:顧客視点の原点
『一目千本』:出版活動の開始
「雛型若菜の初模様」:大型企画への参入
富本正本・往来物:蔦屋を支える商品
戯作界へ乗り出す:朋誠堂喜三二との出会い
『見徳一炊夢』:大田南畝に見出される
黄表紙の流行、日本橋通油町へ進出
人気作者・山東京伝を売り出す
寛政の改革による筆禍
戯作者・蔦重の仕事
曲亭馬琴・十返舎一九の起用
武者絵本・書物・俳諧絵本・読本:自粛ムードから新たなコンテンツへ

第2章 狂歌隆盛 ―蔦唐丸、文化人たちとの交流
狂歌師・蔦唐丸
狂詩本・狂歌本
狂歌絵本:歌麿の才能開花

第3章 浮世絵師発掘 ―歌麿、写楽、栄松斎長喜
喜多川歌麿:美人大首絵で一世を風靡する
版元・若狭屋与市
版元・村田屋治郎兵衛
版元・伊勢屋孫兵衛
版元・近江屋権九郎
版元・鶴屋喜右衛門
鳥居清長
勝川春潮
北尾政美(鍬形蕙斎)
窪俊満
栄松斎長喜:新たなトレンドの創出
勝川春朗(葛飾北斎)
勝川春英
東洲斎写楽:役者絵独占の野望
第1期 花菖蒲文禄曾我
第1期 敵討乗合話
第2期
第3期
第4期

「附章 天明寛政、江戸の街」(写真撮影出来ます)

附章で撮った写真をまとめてみました。


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2025.05.06

井上洋治著 まことの自分を生きる 第一章 宮沢賢治を読み返してみました。

気になっていた映画「銀河鉄道の父」を今更ながら観てみました。

その日に、
たまには、本でも読もうか?と書棚を眺めていて・・・
この本をみつけ、目次をみると「第一章 宮沢賢治」
内容の記憶が一切ない、
ということで読み返してみました。

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井上洋治は、著書「まことの自分生きる」第一章 宮沢賢治のなかで、主に以下作品から引用して記述しています。
詩集「春の修羅」
詩「雨にも負けず」
童話「注文の多い料理店」
「農民芸術概論綱要」
(正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて生きていくことである。)
童話「めくらぶどうと虹」全文

このただ、生進を宗教の世界に生きぬこうと決めた人間として、それなりの見方で語ることをゆるしていただければ、
賢治の中には、芸術家、詩人としての賢治と、すなわち美の女神にとらえられた賢治と、生命の根底を吹きぬける大自然のいのちの風(プネウマ)にとらえられた宗教求道者賢治との、すさまじいばかりの烈しい葛藤があり、それがまた賢治に独特の魅力をあたえていると思われるのである。
私には何か、賢治に限らず、芭蕉にしろ、西行にしろ、すぐれた宗教性を持った偉大な芸術家ほど、この"修羅"の世界を生きざるをえない宿命を負わされており、またそこに彼らの妖しいまでの魅力がうまれているように思われるのである。

 

『注文の多い料理店』の序文から、

わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐ、きれいにすきとほつた風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
・・・中略・・
これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。
ほんたうに、かしはばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかつたり、十一月の山の風のなかに、ふるへながら立つたりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。
ほんたうにもう、どうしてもこんなことがあるやうでしかたないといふことを、わたくしはそのとほり書いたまでです。
・・中略・・・
けれども、わたくしは、これらのちひさなものがたりの幾きれかが、おしまひ、あなたのすきとほつたほんたうのたべものになることを、どんなにねがふかわかりません。

これから私の書く作品は、決して観念や想像力の所産なんかではない。
そのままそっくり虹や月あかりからもらってきたものなのだ。
まことの瞳にうつった、まことの光と生命のやどっている世界なのだ、そう賢治は言いたかったのにちがいない。
その言語分節による表層意識が崩れ去った、ほんとうの世界を、その言語で表現し伝えて、まことの心のたべものにしようというのだから、賢治が推敲に推敲を重ねるのは無理からぬことだというべきであろう。
だがどろだろうか。賢治が、自分の詩は詩ではないといったとき、ひょっとしてもっと深い心のはじらいがかくされていたとはいえないだろうか。

 

まことの自分を生きる
もくじ
第一章 宮沢賢治
第二章 芭蕉
第三章 西行
第四章 良寛
第五章 イエス  

1988年11月25日 初版第一刷発行
1991年3月20日    初版第三刷発行
著者 井上洋治
発行所 筑摩書房

映画は、
「岩手県で質屋を営む裕福な家庭に男の子が生まれる」
そんな場面から始まります。
名前は、隠居した祖父によって「賢治」と名付けられます。
「銀河鉄道の父」と「賢治」の物語が始まります。
「賢治」は家業を継ぐ立場でありながら、かたくなに質屋を継ぐことを拒んでいた。仕方なく進学を許すものの、父政次郎が思っていた大学ではなく、農業学校への進学。そして人工宝石の製造、政次郎と異なる宗教への傾倒と我が道を突き進む賢治。
政次郎は厳格な父親であろうと努めるもつい甘やかしてしまう。やがて、妹・トシの病気をきっかけに筆を執る賢治、夢中で書き続ける賢治は病の床に伏してしまう。
賢治は最期の力を振り絞って、不作に苦しむ農民の相談にのったあと・・・
ラストシーンは、銀河鉄道を思わせる車内で、政次郎は「賢治」と賢治の妹「トシ」に出会って・・・・

 

監督 成島出
原作 門井慶喜
脚本 坂口理子

宮沢政次郎 役所広司
宮沢賢治 菅田将暉
宮沢トシ 森七菜

2023年製作/128分/G/日本
配給:キノフィルムズ
劇場公開日:2023年5月5日

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2025.04.14

”鈴木俊貴著 僕には鳥の言葉がわかる” を読んでみました

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鈴木俊貴著 僕には鳥の言葉がわかる
2025年1月28日 初版第1刷発行
2025年2月18日   第3刷発行
小学館

古代ギリシャ時代から現代まで、
言葉を持つのは人間だけだと決めつけられてきた。
しかし、シジュウカラたちは、
それが間違いであることを教えてくれた。
人間には人間の言葉があるように、鳥たちには鳥の言葉がある。
(本書見返しより)

世界を驚かせた研究者が綴る、大発見に至るまでの鳥愛あふれる研究の日々。


私の散歩道で、いちばん出会う小鳥は”シジュウカラ”だと思います。スズメかな?
自分で、鳥の写真を撮り続けた時期もあり、この本、読まねばと思いました。


もくじ
はじめに・・10
鳥たちの世界へ・・14
子どもの頃の僕にとって、野鳥は遠い存在だった。
そんな僕と野鳥との距離が縮まったのは高校生の頃。お年玉で双眼鏡を買ったのがきっかけだった。
そして僕は鳥の研究ができる大学へと進学し研究者を目指す決意を固めた。
大學三年の冬、運命の出会いがあった、それは、一人で長野県の軽井沢町を訪れた時のことである。

小鳥が餌場で鳴く理由・・26
僕が初めて研究したのは、小鳥が餌場で鳴く声だった。

救いと拷問のキャベツ・・38
卒業研究の完成に向けて軽井沢でのフィールドワークを始めてから二か月ほど経った頃、肉や野菜のみならず、レトルトや冷凍野菜までもがとうとう底をついたのだ。唯一の救いはお米。

ヒロシ先生の思い出・・50
巣箱をかけた話・・58
都会の住宅事情・・66
繁殖の観察・・74
修士課程の秋と冬・・88
秋と冬は何を研究したかというと・・・。実は修士課程の秋と冬は、大学四年の卒業研究とまったく同じテーマをやり直すことにした。

巣箱荒らしの犯人・・96
大発見!ヒナの力・・
106
パースの思い出・・118
博士課程三年目の九月末
今回バースに来た目的はただ一つ。国際行動生態学会への参加である。
学会に大満足して日本に戻ると、一通のメールが届いていた。それは、投稿していた論文が”受理”されたとの知らせであった。

動物の博士・・130
2012年3月、僕はついに”博士になった。シジュウカラの鳴き声の研究論文が学術書に掲載され、博士号を取得するのふさわしいと大学に認められたのだ。

実家の巣箱・・140
ヒナ救出大作戦・・148
井の中の蛙・・158
いつしか僕はシジュウカラ語を手掛かりにタカやヘビを見つけ出すようになっていたし、鳴き声を聞くだけで鳥たちの行動や群れの動きを予想できるようになっていた。シジュウカラにも言葉がある。これは、僕にとって当たり前の話であった。
そんなある日、大学の図書館である本を読んでいて驚いた。そこには。「言語を持つのは人間だけだ」と明記されていたのである!
なんということだ・・・・。紀元前から二千年以上ものあいだ、言葉を持つのは人間だけで、動物たちの鳴き声は感情表現だと決めつけられてきたのである。
ぼくは思った。このままでは人類は「井の中の蛙」である。他の動物たちの言葉に気づかずに、自分たちが言葉を持つ特別な存在だと思い込んでしまっている。

シジュウカラに言葉はあるのか?・・166
もし「ジャージャー」が「ヘビ」意味する言葉であれば、それを聞いたシジュウカラは、頭にヘビをイメージしているはずだ。そしてそれを示せれば、シジュウカラにも言語があると主張できるはずである。
僕は、来る日も来る日も、毎日のように考えた。「ジャージャー」という声を聞いたシジュウカラがヘビをイメージしていることを、どうやったら証明することができるだろうか?
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「ジャージャー」はヘビ!・・174
ある鳴き声が内的な感情ではなく、外的な対象物を指示し、聞き手にそのイメージを想起させることを明らかにした例は一つもなかった。ぼくの研究が初めてそれを証明したのである。
僕はさっそく論文にまとめ、米国科学アカデミー紀要(PNAS)という学術書に投稿した。

シジュウカラは文を作る・・186
ルー語による文法の証明・・200
シジュウカラには鳴き声を組み合わせて文を作る力がある。その語順にはルールがあって、ひっくり返して聞かせてみると、正しく意味が伝わらない。 となると、シジューカラにも”文法能力”があるのではないか、ということになる。
そして完成したのは、「ピーツピ・ディーディー」というシジュウカラ語とコガラ語の混合文。自然界にはありえない、シジュウカラにとってまったく新しい文である。たとえるなら、「ピーツピ・ジジジジ」が「警戒して・集まれ」だとすると、「ピ-ツピ・ディーディー」は「警戒して、トュギャザー」。まさに、鳥語版・ルー語である。
大切なのは、シジュウカラがこの新しい文を、”文法に当てはめて”理解できるかどうかである。

「ぼく・ドラえもん」実験・・212
シジュウカラは、「ピーツピ・ジジジジ」の音列を”文”として認識していいるわけではなく、”単に時間的に連続している二つの鳴き声”として認識いるのではないかというものだ。
察しのいい読者であればもうお気づきかもしれない。そうである。「ぼく・ドラえもん」と「ぼく」、「ドラえもん」をシジュウカラに聞かせてみればよいのである!
つまり、「ピーツピ・ジジジジ」の音列を一つのスピーカーから聞かせる場合と、「ピーツピ」、「ジジジジ」を、二つのスピーカーから聞かせる場合で、それらを聞いたシジュウカラの行動を比較するというアイディアだ。

翼のジェスチャー・・222
カエル人間数出作戦・・232
動物書語学の幕開け・・244
僕は東京大学に新しく研究室を立ち上げた。その名も”動物言語学分野・鈴木研究室”。動物たちの言葉を解き明かす新しい学問を、世界に向けて発信することが研究室の目標だ。
僕は信じている。動物たちの会話を理解し、彼らの世界を知ったとき、僕たちの毎日はもっと豊かで素晴らしいものに変わるはずだ。そして、その未来に向かって、僕の挑戦はまだまだ続くのである。鳥たちとともに。

おわりに・・256
シジュウカラの鳴き声を聞いてみよう・・259
参考文献・・260


特別付録の二次元コードで、シジュウカラの鳴き声を聞くことができます。
散歩の愉しみがもう一つ増えました。

数年前に散歩の途中で撮った写真です。
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2025.03.26

百花ひらく-花々をめぐる美-

百花ひらく-花々をめぐる美-

会期 2025年3月11日(火)~5月6日(火・休)
前期:3月11日(火)~4月6日(日) 
後期:4月8日(火)~5月6日(火・休)

三の丸尚蔵館

三の丸尚蔵館は、この展覧会で一時休館になります。
※新施設の建設工事に伴い、当館は本展をもって一時休館します。全面開館は令和8年(2026)秋を予定しています。

皇室伝来の貴重な収蔵品の中から、
今回は花を題材とした11世紀から現代にいたる絵画・工芸・書跡45件を厳選して紹介しています。

伊藤若冲・国宝《動植綵絵》のうち、花を描いた4幅の公開です。
前期は《牡丹小禽図》と《桃花小禽図》
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国宝 動植綵絵《牡丹小禽図》《桃花小禽図》 伊藤若冲 江戸時代(18世紀) 絹本着色

後期は《梅花小禽図》と《薔薇小禽図》です。

(画像はクリックで拡大表示になります)

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以下に展示作品から 
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七宝四季花鳥図花瓶 並河康之 明治32年(1899) 七宝
1900年のパリ万博において日本美術を世界にアピールするため、明治天皇の御下命を受けて製作されました。(キャプションから)

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春草蒔絵棚 新井半十郎、河之邊一朝ほか 明治14年(1881) 木、漆塗、蒔絵

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桜図屏風 跡見玉枝 昭和7年(1932)絹本着色
左近桜、御車返し桜など計10種が描かれています。(キャプションから)

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菊花図額 1910年頃 陶磁
明治43年(1910)、侯爵徳川家達が欧米視察より帰朝した際、明治天皇は献上されました。(キャプションから)

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黒縮緬地乱菊模様振袖 昭和5年(1930)頃 友禅染、刺繍
昭和5年に高松宮宜仁親王とのご成婚後の内宴で喜久子妃(1911~2004)が着用したものです。(キャプションから)


皇居東御苑で”フキノトウ”を見つけました。
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スマホで撮った写真をまとめてみました。


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2025.03.20

愛しのマン・レイ

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 愛しのマン・レイ

会期 2025年1月11日(土)~3月23日(日)

東京富士美術館

マルチアーティスト(画家、写真家、オブジェ作家などで活躍)マン・レイ(1890-1974)の仕事と交友関係を、富士美術館所蔵の作品と日本における無類のマン・レイ・コレクターまた研究家である石原輝雄氏所蔵の作品と膨大な周辺資料を中心に、マン・レイの足跡を追いつつ、彼の愛すべき人間性を探る展覧会です。

展示品ごとに添えられた丁寧な解説、沢山のマンレイのことば、そして壁面上部に貼られた延々と続く年表、
流石にすべては追いきれませんでした。よくここまで・・感心しました。

展覧会の構成です。
CHAPTER1 ニューヨーク ⇄ リッジフィールド時代 1906 1920
「絵を描くということを、わたしは人間達成の極致と見なしていた」

topic1《ゲイシャ・ガール》と歌川国貞
国貞の浮世絵を模写した油彩がが展示されてます。
《ゲイシャ・ガール 》1906年頃 油彩、カンヴァス

topic2 ブルックリンでの写生活動 
「マン・レイ」という名前を名乗るようにまります。

topic3 フェレール・センター
マン・レイは1912年秋から同センターので美術クラスに通い始めました。

topic4 リッジフィールド
1915年12月までの2年半、マンレイはこの地で絵画制作に励みました。
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マン・レイ《室内または静物+部屋》1918年 油彩・コラージュ、石膏板

topic5 マン・レイとマルセル・デュシャン
マンレイとデュシャンはお互いに影響を与える存在であり、その友情は生涯続きました。

 

CHAPTER2 第1次パリ時代 1921 1940
芸術に進歩などない。人間のさまざまな営為の裏通りには、無限の多様性があるのだ。

topic6 モンパルナスのキキ
マン・レイは1921年暮れに彼女とカフェで知り合い恋仲となりました。1928年に終焉を迎えますが、その後も良好な関係は続き・・

topic7 映像制作
マン・レイは早い段階から写真とともに映像の制作にも携わっています。

topic8 シュルレアリストの仲間との交わり
シュルレアリスムは指導者ブルドンを中心に、多くの人物が関り、交流の中で互いに影響を与えながら多彩な活動を展開しました。
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マン・レイ《贈り物》1921/72年 アイロン、鋲 東京富士美術館

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マン・レイ《ヴァランティーヌ・ユゴーの肖像》1933年 ゼラチン・シルバー・プリント 石原輝雄・純子コレクション

topic9 ソラリゼーション
「ソラリゼ-ション」はマン・レイ自身が名付けた造語です。

topic 10 レイヨグラフと『エレクトリシテ』
1921年から22年にかけての冬、マン・レイはツァラと一緒に写真機を使用せずに印画紙に直接物を置き、感光し焼き付けて撮影する方法を発見します。マン・レイは後にこれを「レイヨグラフ」と名付けました。

topic11 リー・ミラー
前年にキキと別れた1929年の夏前、マン・レイは行きつけのカフェ、バトー・イーヴルでカメラマンを目指す若い女性リーと出会います。

topic12 ファッション写真
マン・レイによるファッション写真は新しいものを求める制作者側とマンレイの意図が合致したうえに、それを求める大衆によって広く認知されるようになりました。 

topic13 メレット・オッペンハイム
シュルレアリスム運動に関わった彼女のヌードを撮影しており、特に銅板プレス機とオッペンハイムを映した連作が有名です。

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エリュアールとマン・レイが共同で制作した刊行物に『容易』と『自由な手』があります。

topic15 シュルレアリスム国際展
1938年にパリのボザール画廊で「シュルレアリスム国際展」が開催されました。主催はブルドンとエリュアールでマン・レイは照明責任者でした。

 

CHAPTER3 ハリウッド時代 1940 1951
自分の作品に何か疑いをもったときなど、敵対的な批評に出会って、自分が正しい道を歩んでいることをかえって確信したものだった。

topic16「我愛しのオブジェ」
1994年9月3日から30日にかけてサークル画廊でマン・レイの個展が開催されました。
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マン・レイ《ミスター・ナイフとミス・フォーク》1944年木、ネット、ナイフ、フォーク、、ビロード 東京富士美術館
本作の着想はシュルレアリストであった詩人ルネ・クレヴェルの著書『バビロン』の『第1章:ミスター・ナイフとミス・フォーク』から得ている。

topic17「告知なしにあり続けるために」
1948年12月13日から翌49年の1月9日にかけてコプリー画廊で開催されたマン・レイの個展には「告知なしにあり続けるために」のタイトルが付けられました。

 

CHAPTER4 第2次パリ時代 1951 1976
私は待ちたくない、私は未来にも過去にも生きない。私は今を生きようとしている。

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マン・レイ《ライナス・ポーリングへのオマージュ》1943/70年 アクアチント、リトグラフ、紙

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マン・レイ《永続するモティーフ》1923/70-71年 メトロノーム、写真

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金色の表紙にマン・レイの自画像が印刷された彼の自伝『セルフ・ポートレート』が1963年4月にボストンのリトル・ブラウン社とロンドンのアンドレ・ドイッチェ社から発刊されました。

topic19 宮脇愛子とマン・レイ
宮脇は「パリでマン・レイのアトリエに入りびたっていた頃は、自分では影響なんて受けていない思っていたけれど、今思うとやっぱり大きな存在」であったとし、彼女の制作姿勢に対するマン・レイの影響について認めています。

topic20 盟友との別れ
デュシャン死との別れ

topic21『大人のためのアルファベット』シリーズ 

topic22『時を超えた貴婦人たちのバラード』

topic23 1971-72年 の大回顧展

topic24 1974-75年の大回顧展

 

生誕135年 愛しのマン・レイ 東京富士美術館
東京富士美術館公式YouTubeチャンネルで
2027年2月19日まで公開されています。

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2025.03.16

ミロ展

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ミロ展

会期 2025年3月1日(土)~7月6日(日)

東京都美術館 

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(画像はクリックで拡大表示になります)

1893年にスペイン、カタルーニャ州に生まれたジュアン・ミロ(1893~1983年)は、同郷のピカソと並び20世紀を代表する巨匠です。
本「ミロ展」は70年に及ぶ創作活動の、初期から晩年までの各時代の変化を一望し、ミロの芸術の真髄を体感できる空前の大回顧展となっています。


展覧会の構成です。
第1章 若きミロ 芸術への決意
1918年にバルセロナのダルマウ画廊で初めての個展を開催する。展示された風景画は、キュビズムの影響を感じさせ、色図解はフォーヴィズムやセザンヌを彷彿とさせるものだった。そこではミロのアイデンティティーを示す風景と前衛的な表現形式が見事な調和を見せていた。(展示会場解説パネルから)
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《自画像》 1919 油彩/カンヴァス ピカソ美術館、パリ
本作を描いた翌年、初めてパリを訪れたミロは尊敬していた画家パブロ・ピカソを訪問し、信頼と敬意に満ちた友情関係を築いた。本作と《スペインの踊り子》はどちらもピカソが生涯手元に置いていた作品である。(キャプションから)

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《ヤシの木のある家》 1918 油彩/カンヴァス 国立ソフィア王妃芸術センター、マドリード
この頃、ミロはそれまで大きく影響を受けていたフォーヴィズムの作品を捨て、細部の描写にこだわった作品の制作を始める。(キャプションから)

― 誰もが木々や山々の大きな塊ばかり求め、それを描こうとしますが、草や葉や小さな花の音楽を聴くこともなく、渓谷の小さな石に注意を払うこともありません。それはとても魅力的なのに ―
ジョアン・ミロからジュゼップ・フランセスク・ラフォルスへの手紙 1918年8月11日付

 

第2章 モンロッチ―パリ 田園地帯から前衛の都へ
1920年にパリを訪れたミロは、1922年にはブロメ通り45番地にあった、画家アンドレ・マッソンの隣のアトリエに移り住んだ。そこでミロはシュル・レアリスムの作家たちや詩人と出会い、交流を深めていく。 20250306
《絵画=詩(栗毛の彼女を愛する幸せ)》 1925 油彩/カンヴァス ジョアン・ミロ財団、バルセロナ
パリで詩人や作家との交流をもったミロは、画面に文字を伴う「絵画=詩」と呼ばれる作品を制作する。、こうした作品では単語やフレーズを加えて絵画的な詩として視に遊びを与えている。「栗毛の彼女を愛する幸せ」と書かれている。(キャプションから)

― 私は絵画と詩を区別していない、時にはカンヴァスに詩的なフレーズを加え、またその逆もある ― 

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《オランダの室内Ⅰ》 1928 油彩/カンヴァス ニューヨーク近代美術館
1928年5月、ミロはベルギーとオランダへ旅行に出かけた。オランダではマウリッツハイス美術館(ハーグ)やアムステルダム国立美術館を見て回った。そこで17世紀オランダ絵画に強い印象を受けた。ミロは作品のポストカードを購入し、帰国後に3点の《オランダの室内》シリーズをを描いた。本作はその最初の作品であり、ヘンドリク・ソルフの《リュートを弾く人》のポストカードをもとにしている。(展示会場解説パネルから)

第3章 逃避と詩情 戦争の時代を背景に
《星座》
1939年の夏、第二次世界大戦勃発の1か月前、ミロはフランス、ノルマンディー地方のヴァランジュヴィル=シュルーメールに移住する。翌年1月からミロはカンヴァスではなく、紙に《星座》シリーズという23枚のグアッシュ画の制作を開始した。
ここに展示される3点はどれもヴァランジュヴィル=シュル=メールで描かれたものである。3点に共通して見られる大きく口を開けた恐ろしげな怪物が、厳しい時代を象徴している。しかし、そうした状況に置かれながらも、ミロはあえて目の前の現実から目を背け、広大な空に瞬く星々を描くことで凄惨な現実に対するアンチテーゼを提示している。(展示会場解説パネルから)
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《明けの明星》 1940 グアッシュ、油彩、パステル/紙 ジュアン・ミロ財団、パリ 

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《女と鳥》 1940 グアッシュ、油彩/紙 ナーマド・コレクション

―《星座》を描いている間、本当に密かに作業をしているという感覚がありましたが、それは私にとって解放でもありました。周囲の悲劇について考えることをやめることができたのです。―

 

第4章 夢のアトリエ 内省を重ねて新たな創造へ
第5章 絵画の本質へ向かって

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2025.03.13

ミロ展 第4章、第5章

ミロ展

会期 2025年3月1日(土)~7月6日(日)

東京都美術館 

第4章 夢のアトリエ 内省を重ねて新たな創造へ
1947年にミロは初めてアメリカを訪れ、アメリカの若い画家とも交流して刺激を受けます。1956年、マジョルカに長年の夢であった広いアトリエが完成すると、自身の芸術を再検討し、じっくりと作品に向き合って制作する時期に入りました。また、かねてから日本の文化に大きな関心を寄せていたミロは、1966年と1969年に訪日し、日本文化と自身の芸術の親和性を再確認していきます。(展示会場解説パネルから)20250309
《クモを苦しめる赤い太陽》 1948 油彩/カンヴァス ナーマドコレクション
第二次世界大戦後ミロはそれまでの試作的絵画とは対照的な作品を描くようなる。本作では黒く太い記号的な線が、カンヴァスの空間を区切り、絵画にどっしりとした存在感を、与えている。一見抽象画にも見えるが、ミロは「私にとって画中のカタチや図像はけっして抽象的なものではなく常に何かを表す記号である」と述べている。(キャプションから)

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《絵画(エミリ・フェルナンデス・ミロのために) 1963 油彩/カンヴァス ジョアン・ミロ財団、バルセロナ
孫のダビットとエミリに捧げた2点のうちの1点である。横長のカンヴァスに左側に人物が描かれ、そこから撮りが現れて星を追いかけている。背景にはミロらしい青が広がりその上に1940年代にかけての作品に特徴的なシンプルな線と鮮やかな色の格子柄が描かれている。(キャプションから)

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太陽の前の人物 1968年 アクリル/カンヴァス ジュアン・ミロ財団、バルセロナ
ミロの造形言語の集大成のひとつである。
筆触はシンプルで力強く、素早く描かれ、カンヴァス全体に飛び散るようで、アメリカの抽象表現主義の技法を思わせる。しかし、同時に東洋的な感性とも結びついており、日本の画僧・仙厓が丸、三角、四角で宇宙を表現した作品とも関連がある。本作にもその3つの形が見て取れる。(キャプションから)

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展示風景

第5章 絵画の本質へ向かって
晩年を迎えたミロは、改めて西洋の伝統的な絵画技法に挑戦するために、オブジェと新たな支持体を用いて、若き日に試みた芸術作品の脱神聖化を推し進めることを決意する。(解説パネルから)
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《焼かれたカンヴァス 2》 1973年 アクリル/切られて焼かれたカンヴァス ジュアン・ミロ財団、バルセロナ(寄託)「焼かれたカンヴァス」と題された5点の連作絵画のひとつ。ミロは、白いカンヴァスに勢いよく絵具を垂らし、したたらせ、踏みつけ、ナイフで切り刻み、最後にガソリンを染みこませて火をつけた。作品を破壊するような大胆で型破りな手法をためらいなく用いた本作は、ミロが80歳を迎えてなお、新たな表現を追求していたことを示している。 

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展示風景

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《涙の微笑》 1973年 アクリル/カンヴァス ジュアン・ミロ財団、バルセロナ(寄託)
1967年に構想を練り始め、それから6年をかけて完成させた作品。タイトルには「涙」と「微笑」という対照的な要素が並ぶが、画面内にも対照的な表現が見てとれる。上半分は手の届かない空の領域で、月や星がむき出しのカンヴァス地の上に描かれる。一方、下半分は足で踏みしめる大地が赤、黄、緑、黒で丁寧に塗られている。(キャプションから)

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展示風景

ポスター
ミロの文化的、社会的、政治的な取り組み
1940年代初めにリトグラフに取り組んだミロは、1960年代から1970年代に再びリトグラフを用いて数多くのポスターを制作する。20250312


本展では、撮影可エリアがあります。
スマホで撮った写真をまとめてみました。

 

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2025.03.08

今津景 タナ・アイル

今津景 タナ・アイル

会期  2025年1月11日(土)~ 3月23日(日)

東京オペラシティ アートギャラリー

 

タイトルにある「タナ・アイル」とは、インドネシア語で「タナ(Tanah)」が「土」、「アイル(Air)」が「水」を指し、二つの言葉を合わせると故郷を意味する言葉になります。
現在拠点にしているインドネシアと自身のルーツである日本の二つの土地での経験と思考に基づき、
自らが生きる場所について考える初の大規模個展。

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(画像はクリックで拡大表示になります)


展示構成です。
(以下、受付で手渡されるパンフレットの記述を引用しています)
Anda Ddisini/You Are Her
私が初めてインドネシアを訪れたのは2017年2月、バンドンでのアイティストインレジデンスに誘ってもらった事がきっかけだった。
レジデンスの最終日、私はGoa Japang(ゴア・ジャパン)と呼ばれるバンドンの北にあるかつての軍事要塞として使用されていた洞窟を訪れた。
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Anda Disini 2024 油彩、キャンバス
Anda disini/You are here 2019 油彩、キャンバス 羽地徹氏蔵

 

Bandoengsche Kinine Fabriek
キニーネはキナの樹液から抽出されるアルカロイド、白い結晶でマラリアの特効薬。Img_2151
Bandoengsche Kinine Fabriek 2024 ミクストメディア サイズ可変

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(展示風景)

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Human Study 2018 油彩、キャンバス 個人蔵(シンガポール)

 

When Facing the  Mud
シドアルジョは世界最大の泥火山だ。今でも噴出は続いている。
シドアルジョのそのあたり一帯は古くからエビ養殖で有名だ。
エビ養殖業を先祖代々いとなむ父と息子に話を聞いた。
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(展示風景)

 

Hainuwele
私は出産後、セラム島に伝わるハイヌウェレという神話に興味を持った。Img_2182
(展示風景)

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(展示風景)

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《When Facing the Mud (Response of Shrimp Farmers in Sidoarjo)》2022
油彩、アクリル、泥、UVプリント、キャンバス 個人蔵

 

Lost Fish
世界一汚染された川という異名を持つチタルム川。
川に住む6割の魚が死滅したという。
特に在来の魚は水質汚染に弱く、ナマズのような魚以外は消えてしまった。(パンフレットから)Img_2224
(展示風景)

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Lost Fish 2021 油彩、再利用した木材


スマホで撮った写真をまとめてみました。

 

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2025.03.03

中世の華・黄金テンペラ画 - 石原靖夫の復元模写 チェンニーノ・チェンニーニ『絵画術の書』を巡る旅

中世の華・黄金テンペラ画 - 石原靖夫の復元模写
チェンニーノ・チェンニーニ『絵画術の書』を巡る旅 

会期 2025年2月15日(土)~2025年3月23日(日)

目黒美術館 


中世から伝わる卵黄テンペラの技法を1970年代にイタリアで学び、技法研究の集大成として取り組んだシモーネ・マルティーニ《受胎告知》(1333年)の復元研究。
石原靖夫はこの板絵を、マルティーニが描いた当時の、真新しい姿に描き出すことを試みました。
マルティーニの時代の画家が行っていた手順で、材料・素材も1970年代に入手可能なものは集め、出来るだけ当時のものに近づくように手作りをし、6年の歳月をかけ復元模写を完成させました。
 本展では、石原の復元模写の大作を、石原が本作制作当時に使用した道具、材料、色材のほか、入念に調べた研究ノートなどの周辺資料とともに展示します。(HPの解説から)
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石原靖夫 復元模写《 シモーネ・マルティーニ〈受胎告知〉》 1972ー78年 卵黄テンペラ、金箔・板 / 226.0×171.0×11.5cm / 金沢美術工芸大学蔵(原画= 1333年/ ウフィツィ美術館蔵)

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(復元模写の部分)大天使カブリエル

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(復元模写の部分)聖母マリア

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(画像はクリックで拡大表示になります)

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展覧会の構成です。
第一話 旅のはじまりーローマへ
第二話 シモーネ・マルティーニ<受胎告知)(1333年)の復元模写
第三話 テンペラ画制作工程
第四話 ラビスラズリと古典技法への旅

イタリア風景に託すテンペラ画
イタリアからの帰国後、石原は、日本の風土にあったテンペラ画のやり方を模索し、支持体となるキャンバスづくりから始め、卵黄のみを使う卵黄テンペラで、主にイタリアの風景に、自分の表現を求める旅を続けている。(会場の解説から)20250202_20250301180701
展示風景

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技法見本 花の聖母寺―フィレンツェ 石原靖夫 卵黄テンペラ、金箔/キャンバス 個人蔵

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花の聖母寺―フィレンツェ 石原靖夫 卵黄テンペラ、金箔/キャンバス 個人蔵

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砦 石原靖夫 1988年 卵黄テンペラ/キャンバス(金箔地) 個人蔵

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(砦の部分)

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展示風景

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展示風景

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輝く森 石原靖夫 2025年 卵黄テンペラ/キャンバス(金箔地)

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(輝く森の部分)

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テンペラ工房

映像でみるテンペラ技法
石原靖夫によるテンペラ画 制作工程
1、全行程ダイジェスト版
2、彩色
3、金箔装飾

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