2024.04.19

没後50年 木村伊兵衛 写真に生きる

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没後50年 木村伊兵衛写真に生きる

会期 2025年3月16日(土)~5月12日(日)

東京写真美術館

1936年の沖縄。
戦前戦後に活躍した画家、作家、俳優。
戦前戦後の列島風景。
戦後間もないヨーロッパ、パリ。
1952-1963年の秋田の民族。

木村伊兵衛流歴史のドキュメントです。

”私が撮り続けてきたのは、人びとの生活や顔である。何かを語ってくれそうな写真を感情の現れた写真を撮り続けてきた”

展覧会の構成は次の通りです。
第1章 夢の島ー沖縄
1935(昭和10)年に東京で開催された日本各地の民族舞踊大会で琉球舞踊を初めて観た木村は、つよい感銘を受けて連日会場に通い撮影した。沖縄が夢のような島という印象を舞踊から受け、矢も楯もたまらない想いにかられ、翌年4日間の船旅で渡航した。ライカ2台、交換レンズ5本、照明機器の大荷物を背負っての旅だった。この一連の作品が、木村が初めて世に出るきっかけともなった。(展示パネル解説から)
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那覇の市場、本通り、沖縄、1936年


第2章 肖像と舞台
木村の最初の個展「ライカによる文芸家肖像写真展」は日本工房の主催で1933(昭和8)年に東京銀座の紀伊国屋ギャラリーで開催された。従来の大型カメラで正面からきっちり捉える肖像写真ではなく、小型カメラで被写体の性格や感情の動きを捉えたものが高く評価された「ライカ使いの名手」としての名声の出発点。また被写人物の日常生活を自然さを尊重して撮影をする姿勢の原点ともなった。(展示パネル解説から)

第3章 昭和の列島風景
東京下町に生まれ育った木村は、戦中戦後を通じ一環として都市の日常風景をスナップショットで描きとり「街角」を記録し続けた。
戦争が終わり、戦後の混乱の中で、自らの写真表現の方向性を模索する。たまたまアンリ・カルティエ=ブレッソンの作品を見て強い衝撃を受け、あらためて報道写真こそ自分の写真の道であるという覚悟を新たにした。(展示解説パネルから)20240404_20240419092501
本郷森川町、東京、1953年

第4章 ヨーロッパの旅
木村が写真への心構えを新たにする契機ともなった一連の旅。

第5章 中国の旅
木村は戦前と戦後それぞれ数回ずつ中国の旅をしている。
私が訪中のたびごとに、変わることなく生活を主とした写真を撮り続けてきたのも、そうした姿や表情をそのときそのときの時点のものとして伝えたかったからである。(展示パネル解説から)
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王府井の酒場にて、北京、中国、1973年

第6章 秋田の民族
1952年、秋田県総合美術展覧会で写真部門の審査のために秋田を訪れた木村を秋田在住のアマチュア写真家たちが審査後県内の農村へと案内した。
木村は、日本社会の縮図があると直感した。農民の姿を捉えたい、そこにこそ自分の探し求めたテーマがあると確信した。それから1971年までの20年間、秋田に21回通い続けて319本のフィルムに収めた。(展示解説パネルから)
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秋田おばこ、大曲、秋田、1953年

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板塀、追分、秋田、1953年

第7章 パリ残像
1954年9月、木村は羽田空港を出発してヨーロッパへの初旅にでた。ギリシャ、イタリア、ドイツなどを回ってパリに入るが・・・
アンリ・カルティエ=ブレッソンと一夜写真について語り合い、ロベール・ドアノーに同行して下町の人びとの人情にふれたことも自身の写真の道を再認識することになった。ニコンとライカM3を使って「富士カラーフィルム(感度ASA10相当)を用い、生きた街―パリの表情を捉えようとした。(展示解説パネルから)
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ミラボー橋、パリ、フランス、1955年 


ーHPの解説ー
本展は日本の写真史に大きな足跡を残した写真家・木村伊兵衛(1901-1974)の没後50年展として、その仕事を回顧するものです。1920年代に実用化が始まったばかりの小型カメラに写真表現の可能性をいち早く見出し、それを駆使した文芸諸家のポートレート、あるいは東京下町の日常の場面を素早く切り取るスナップショットで名声を確立しました。1933年に開催された「ライカによる文芸家肖像写真展」では、従来の型にはまった肖像写真ではなく、被写体の一瞬の表情の変化を捉える独自のスタイルを確立し、また1936年には初めて沖縄を訪れて生活感にあふれた日常を記録するなど、“ライカの名手”としての名を早くに馳せました。

木村伊兵衛はまた、広告宣伝写真や歌舞伎などの舞台写真、カラーフィルムによる滞欧作品、秋田の農村をテーマにするシリーズなど、実にさまざまな被写体を捉えた数多くの傑作を残しました。その卓越したカメラ・ワーク、そして写真機材や感光材料への深い理解などは、旺盛な好奇心と豊かな体験に裏付けられています。印刷メディアを媒体として人間の営みのイメージを伝えるという写真の社会的な機能を自覚して、自らを「報道写真家」と位置づけました。その独特な眼差しにこだわった写真表現は、きわめてユニークなもので、見るものの記憶の中にいつまでも生き続けます。

没後50年に合わせ、本展では最近発見されたニコンサロンでの 木村伊兵衛生前最後の個展「中国の旅」(1972-1973)の展示プリントを特別公開します。

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2024.04.14

令和6年春の特別展「夢みる光源氏―公文書館で平安文学ナナメ読み!―」

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(画像はクリックで拡大表示になります)

令和6年春の特別展「夢みる光源氏―公文書館で平安文学ナナメ読み!―」 

会期 令和6年3月16日(土)〜5月12日(日) 

国立公文書館

令和6年春の特別展では「夢」をテーマに、『源氏物語)』やその注釈書を中心とした平安文学に関する資料を展示します。和歌や物語には、
「夢」が神仏のお告げであったり、亡き人からの伝言であったり、不思議な力を持つものとして描かれています。それは当時の信仰・文化の一つであり、これらを読むことによって平安貴族の精神世界に迫ることができます。(チラシの解説から)

展覧会の構成は次の通りです。
プロローグ
『源氏物語』はある日突然現れたわけではありません。まずは『源氏物語』へいたる道として、様々な平安文学に目を通していきましょう。
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古今和歌集一首撰【編者】大森盛顕(生没年未詳)【成立】嘉永5年(1852)
和歌を学ぶ童女向けに編集された歌書のひとつで、『古今和歌集』 から記名歌人の歌を130 首抄出して掲載したもの。編者は大森盛顕、 序文は在原正高、絵は佐藤玄賢。
展示資料は嘉永6年(1853) 版で昌平坂学問所旧蔵。
(キャプションから)

第Ⅰ章 和歌・漢詩に描かれた「夢」
Ⅰ 勅撰和歌集の「夢」
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古今和歌集【下命】延喜5年(905)【成立】延喜13年(913)頃【下命者】醍醐天皇(在位:897~930)
【編者】紀貫之(生没年未詳)・凡河内躬恒(生没年未詳)・紀友則(?~907)・壬生忠岑(生没年未詳)
第1番目の勅撰和歌集。20巻。約1100首を、四季や恋の展開に合わせて配列する。理知的で優美な歌風が特徴。王朝和歌の美的感覚を確立したもので、以降の勅撰集や『源氏物語』などに多大な影響を及 ぼした。
展示資料は正保4年(1647)版『二十一代集』のうち『古今和歌集 下』で、紅葉山文庫旧蔵。(キャプションから)

第Ⅱ章 物語と随筆に描かれた「夢」
Ⅰ 物語が描く「夢」
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伊勢物語【成立】平安時代前期【作者】未詳
和歌を中心に物語が展開する歌物語。六歌仙の一人である在原業平(825~880) をモデルとするある男の生涯を、初冠(男子が成人して初めて冠をつける儀式)から辞世の歌に至るまで約125の章段で描く。『古今和歌集』以前に存在した業平の物語を中心にして、やがて他の章段が付加され、『後撰和歌集』以降に現在の形になったと考えられている。
展示資料は江戸時代前期に書写されたと思われるもので、幕末の京都で朝廷の教育機関として設置された京都学習院旧蔵。(キャプションから)

Ⅱ 随筆が語る「夢」
「夢語り」と「夢合わせ」
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枕草子【 成立】長保2年(1000)頃【 作者】清少納言(生没年未詳)
約300段にわたる随筆。作者が仕えた藤原定子 (977~1001)の後宮生活や随想を著した。内容はおよそ3種類に分けられ、①同種類のものを「は・・・」「・・・もの」と列挙していく物尽くしの章段。②定子後宮の様子を描いた日記的な章段。③「春はあけぼの」などの随想的な章段。鋭い独自の着眼点が冴えており「をかし (趣がある)」の文学とも称される。
展示資料は慶長年間(1596~1615) に刊行された古活字版で、紅葉 山文庫旧蔵。(キャプションから)


第Ⅲ章 『源氏物語』の「夢」
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源氏物語 紅葉山文庫  夕顔

第Ⅳ章 「源氏物語』の研究の来た道
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源氏物語奧入【成立】天福元年(1233)以降 【編者】藤原定家(1162~1241)
『源氏釈』に続く『源氏物語』のごく初期の注釈書。奥書に定家出家後の署名があることから、定家が出家した天福元年以降の成立と考えられている。元は『源氏物語』写本の各巻の末尾に書き加えていた注記で、別冊としてまとめなおしたという。内容は『源氏釈』を引き継ぐものだが、独自の批判を加えている箇所も多い。 展示資料は写年不明で、和学講談所旧蔵。通称「内閣文庫本」。
(キャプションから)

第Ⅴ章 光源氏たちの「現実」
Ⅰ 歴史物語が描く政変
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大鏡【成立】未詳【作者】未詳 平安時代の歴史物語。大宅世継と夏山繁樹という二人の老翁が、 文徳天皇(在位:850~858) から後一条天皇(在位:1016~1036)までの14代約180年間を回想して物語る。聞き手の若侍が批判を加えながら、藤原道長の栄華を中心として平安時代を描く。展示資料は、慶長~元和(1596~1624)頃に刊行された古活字版で、 教部省旧藏。
(キャプションから)

Ⅱ 史書に見る疫病
Ⅲ 日記が語る災害
Ⅳ 日記が語る事件


挿絵で読む『源氏物語』
本コーナーでは承応三年(1654)再販の『源氏物語』(紅葉山文庫旧蔵)の挿絵と共に『源氏物語』のあらすじをご紹介します。  
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展示風景


展示資料一覧
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2024.04.09

第27回岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)

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第27回岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)

会期: 2024年2月17日(土)~2024年4月14日(日) 

岡本太郎美術館


ほぼ毎年観ている岡本太郎現代芸術賞展、
今年は621点の応募があり、22組の作家が入選を果たしました。


岡本太郎賞
つん《今日も「あなぐまち」で生きていく》
作品サイズ 450x400x250cm
素材 段ボール、ジェッソ、アクリル絵の具、アクリル板、レジン、色鉛筆、防水、水、木材、ボンド、プラ板、毛糸、折り紙、糸、コピー用紙、石塑粘土、ホッチキス、建築模型用パウダー、布、イレクターパイプ、メタルジョイント、モニター、澱粉、ワイヤー、フローラルテープ、ボタン 
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団地も草花もも、ほぼ全てのものが段ボールによ って表現されている作品。
団体で観に来ていた子供たちが、楽しそうに「小さな絵本を」読んで(見て)ました。
作家の言葉から、
幼少期から続けてきた、段ボールで出来た空想の町に住む住民たちは私の心を救い続けている。

岡本敏子賞
三角 瞳《This is a life. This is our life.》
作品サイズ 400×400×400cm
素材 ポリエステル
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作者の言葉から、
わたしたちは生まれながらに遺伝子に束ねられた存在である。普遍的で抗いようのないこれらを、布に絡みつく糸で表現する。これが人生。これがわたしたちの人生。

 

特別賞(10作品)は次の通りです。
池田 武史《Space-X》
長 雪恵《きょうこのごろ》
小山 恭史《無明》
クレメンタイン・ナット《POT-PLANTS》
月光社《MUSAKARI》
小山 久美子《三月、常陸國にて鮟鱇を食ふ》
ZENG HUIRU《BACK-TO-ME》
タツルハタヤマ《小鳥のさえずりを聞くとき、遠くで銃声が鳴り響いた》
フロリアン・ガデン《Anomalies-poétiques/詩的異常》
村上 力《學校》


本展は撮影可能です。
撮ってきた写真をまとめてみました。

 

同じ、生田緑地内のかわさき宙(そら)と緑の科学館
のプラネタリュームに寄り道してきました。
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2024.04.05

3月花散歩 2024

3月、
私の散歩道にも様々な花が咲き始め華やいできました。
散歩がてらスマホで撮影しました。

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2024.04.01

中平卓馬 火―氾濫

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中平卓馬 火―氾濫

会期 2024年2月6日(水)~4月7日(日)

国立近代美術館

日本の写真を変えた、伝説的写真家 約20年ぶりの大回顧展
日本の戦後写真における転換期となった1960 年代末から70 年代半ばにかけて、実作と理論の両面において大きな足跡を記した写真家である中平卓馬(1938-2015)、その初期から晩年まで約400 点の作品・資料から、今日もなお看過できない問いを投げかける、中平の写真をめぐる思考と実践の軌跡をたどる待望の展覧会です。(HPから)

本展で登場する固有名詞を思い出すと、時代背景が想像できるかもしれません。
雑誌・現代の目、アサヒグラフ、季刊シネマ、映画批評、アサヒジャーナル、アサヒカメラ、サンデー毎日。美術出版社、風土社。寺山修司、大山大道、篠山紀信、佐藤信(黒テント)など・・・

(画像はクリックで拡大表示になります)

展覧会の構成です。
第1章 来たるべき言葉のために
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寺山修司「町に戦場あり 親指無宿たち」 1966年 朝日新聞社 展示風景

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中平卓馬《夜》1969年頃      《夜》1969年頃  東京国立近代美術館


第2章 風景・都市・サーキュレーション
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中平卓馬《サーキュレーション―日付、場所、行為》1971年  東京国立近代美術館


第3章 植物図鑑・氾濫 
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中平卓馬《氾濫》1974年 東京国立近代美術館

 
第4章 島々・街路
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中平卓馬《「街路あるいはテロルの痕跡」【『現代詩手帖』掲載作の原稿プリント】》 1976 年 東京国立近代美術館


第5章 写真原点
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5章の展示風景

 

一部を除いて撮影可でした。
撮った写真をまとめてみました。

 

―HPの解説ー
日本の写真を変えた、伝説的写真家 約20年ぶりの大回顧展
日本の戦後写真における転換期となった1960 年代末から70 年代半ばにかけて、実作と理論の両面において大きな足跡を記した写真家である中平卓馬(1938-2015)。その存在は森山大道や篠山紀信ら同時代の写真家を大いに刺激し、またホンマタカシら後続の世代にも多大な影響を与えてきました。1960 年代末『PROVOKE』誌などに発表した「アレ・ブレ・ボケ」の強烈なイメージや、1973 年の評論集『なぜ、植物図鑑か』での自己批判と方向転換の宣言、そして1977 年の昏倒・記憶喪失とそこからの再起など、中平のキャリアは劇的なエピソードによって彩られています。しかしそれらは中平の存在感を際立たせる一方で、中平像を固定し、その仕事の詳細を見えにくくするものでもありました。
本展では、あらためて中平の仕事をていねいにたどり、その展開を再検証するとともに、特に、1975 年頃から試みられ、1977 年に病で中断を余儀なくされることとなった模索の時期の仕事に焦点を当て、再起後の仕事の位置づけについてもあらためて検討します。
2015 年に中平が死去して以降も、その仕事への関心は国内外で高まり続けてきました。本展は、初期から晩年まで約400 点の作品・資料から、今日もなお看過できない問いを投げかける、中平の写真をめぐる思考と実践の軌跡をたどる待望の展覧会です。

 

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2024.03.27

森美術館開館20周年記念展 私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために

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(画像はクリックで拡大表示になります)

森美術館開館20周年記念展
私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために

会期 2023年10月18日(水)~ 2024年3月31日(日)

森美術館

本展のタイトルは、私たちとは誰か、地球環境は誰のものなのか、という問いかけです。
本展では、環境問題をはじめとする様々な課題について多様な視点で考えることを提案します。また輸送を最小限にし、可能な限り資源を再生利用するなどサステナブルな展覧会制作を通じて、現代アートやアーティストたちがどのように環境危機に関わり、また関わり得るのかについて思考を促し、美術館を対話が生まれる場とします。(HPから)

展覧会の構成です。
第1章 全ては繋がっている
この地球上の生物、非生物を含む森羅万象は、何らかの循環の一部であり、その循環をとおしてこの地球に存在する全てのモノ、コトは繋がっています。(HPから)
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ニナ・カネル《マッスル・メモリー(5トン)》 2023年 オホーツク海の海生軟体動物の殻 サイズ可変
【Junior Guideから】
床を埋めつくすホタテ貝の殻は、北海道から送られてきました。毎年大量に捨てられていますが、建物の材料にもなるそうです。自然界の生き物が人間に食べられ、貝殻が粉々にされて建物の一部になり、私たちの生活空間をつくる。この大きな循環を、貝殻のうえを歩きながら、みなさんも想像してみましょう。

第2章 土に還る 1950年代から1980年代の日本におけるアートとエコロジー
日本は戦後の高度経済成長期において、自然災害や工業汚染、放射能汚染などに起因する深刻な環境問題に見舞われました。(HPから)20240304_20240325174901
第2章の展示風景


第3章 大いなる加速
人類は、地球上のあらゆる資源を利用して文明を発展させ、工業化、近代化、グローバル化を押し進めてきました。しかしながら産業革命以降、加速度的に発展した科学技術や産業社会は、「人新世」という地質学上の区分が議論されているように、短い期間で地球環境を変化させました。(HPから)
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モニラ・アルカディリ《恨み言》 2023年 FRP、自動車用塗料、サウンド サイズ可変 音楽:ファティマ・アルカディリ
【Junior Guideから】
モニラの故郷ペルシャ湾岸では、その昔、天然真珠が大きな産業でしたが、100年ほど前に日本で真珠の養殖 が始まると、ペルシャ湾の真珠産業は衰退しました。養殖真珠は、真珠貝に人工的に核を入れて育てられますが、それを真珠の気持ちになって考えてみたらどうでしょうか? モニラがつくった大きな真珠の下に立って、真珠の「うらみ言」を聞いてみてください。


第4章 未来は私たちの中にある
環境危機は私たち自身の「選択」が招いた結果です。現状を打破するには、私たち人間が在り方を改めることが必要でしょう。未来にはどんな選択肢が残されているのでしょうか。(HPから)
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アサド・ラザ《木漏れ日》 2023年 修復された天窓、日光、足場、シルヴィー・セマ・グリッサンによるサウンドスケープ プロデューサー:オリヴィア・フェアウェザー 足場設計:渡邉啓太 足場製作:おだわら名工舎 特別コンサルタント:イザベル・オリヴィエ 協力:Black Cat Daydream(京都)
【Junior Guideから】
アサドは初めて森美術館を訪れたとき、展示室の天窓のスクリーンが長い間開かなくなっていることを知りました。彼は六本木ヒルズ森タワーという高層ビルをひとつの身体ととらえ、怪我を治してこの天窓から再び太陽の光を入れたいと考えました。修理のために木製の足場を組み、再生を祈願する神事も執り行いました。
日中は美しく光の入る展示室で、壮大な太陽系、惑星としての地球の動きを想像してみてください。


撮影可の作品を撮ってまとめてみました。

―HPの解説ー
産業革命以降、特に20世紀後半に人類が地球に与えた影響は、それ以前の数万年単位の地質学的変化に匹敵すると言われています。この地球規模の環境危機は、諸工業先進国それぞれに特有かつ無数の事象や状況に端を発しているのではないか。本展はその問いから構想されました。

本展では、国内外のアーティスト34名による歴史的な作品から新作まで多様な表現約100点を、4つの章で紹介します。第1章「全ては繋がっている」では、環境や生態系と人間の活動が複雑に絡み合う現実に言及します。第2章「土に還る」では、1950~80年代の高度経済成長の裏で、環境汚染が問題となった日本で制作・発表されたアートを再検証し、環境問題を日本という立ち位置から見つめ直します。第3章「大いなる加速」では、人類による過度な地球資源の開発の影響を明らかにすると同時に、ある種の「希望」も提示する作品を紹介します。最終章である第4章「未来は私たちの中にある」では、アクティビズム、先住民の叡智、フェミニズム、AIや集合知(CI)、精神性(スピリチュアリティ)などさまざまな表現にみられる、最先端のテクノロジーと古来の技術の双方の考察をとおして、未来の可能性を描きます。

本展のタイトル「私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために」は、私たちとは誰か、地球環境は誰のものなのか、という問いかけです。人間中心主義的な視点のみならず、地球という惑星を大局的な視点から見渡せば、地球上にはいくつもの多様な生態系が存在することにあらためて気付くでしょう。本展では、環境問題をはじめとする様々な課題について多様な視点で考えることを提案します。また輸送を最小限にし、可能な限り資源を再生利用するなどサステナブルな展覧会制作を通じて、現代アートやアーティストたちがどのように環境危機に関わり、また関わり得るのかについて思考を促し、美術館を対話が生まれる場とします。

 

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2024.03.23

生誕150年 池上秀畝―高精細画人―

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生誕150年 池上秀畝―高精細画人―

会期 2024年3月16日(土)~4月21日(日)

練馬区立美術館


旧派の日本画家とされ、大正・昭和と活躍した池上秀畝の人生とその代表作を紹介する展覧会です。 

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展覧会の構成は次の通りです。
プロローグ 池上秀畝と菱田春章 日本画の旧派と新派
同い年の池上秀畝(1874~1944)と菱田春章(1874~1911)はほとんど同じころに本格的に絵をまなぶべく上京しました。秀畝が進んだのは前近代的な画塾。春宵が学んだのは東京美術学校でした。

コラム 旧派と新派

池上秀畝と菱田春章の作品が並べて展示されています(前・後期展示替え)
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池上秀畝(秋色)1907年 紙本着色 北野美術館
「僕は新派でも旧派でもない」と言った秀畝の自由な表現が見られる作品。

第一章 「国山「から「秀畝」へ
明治22年(1889)高等学校を卒業した國三郎は父とともに上京し荒木寛畝の弟子として入門します。
父の雅号秀花の「秀」と師匠の「畝」の字をとって「秀畝」を号としたそうです。
秀輔の作品と師の荒木寛畝の作品(前・後期1点)が展示されています。

コラム 池上家三代 休柳、秀花、秀畝
コラム 師、荒木寛畝と読書会

第二章 秀畝の精華ー官展出品の代表作を中心に
秀畝は官展のほか、日本美術協会、寛畝の画塾、自身の画塾の展覧会を中心に作品を発表しました。官展出品作は現在も秀畝の代表作として知られる一方、所在不明のものも多くあると。

コラム 秀畝、署名の変遷

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四季花鳥(夏)大正7年(1918) 紙本着色/四幅対のうち 長野県立美術館
秀畝曰く、狩野永徳や山楽の絢爛豪華な作品を研究し現代における花鳥画の新たな表現に挑戦したという(キャプションから)

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《桃に青鸞図》昭和3年(1928)/板戸着色 オーストラリア大使館蔵
三田にあった旧大名家蜂須賀侯爵邸内の板戸絵。秀畝芸術の絢爛さを目の当たりにできる名作であり、旧派の作品が、皇室や家族に好まれた証を知ることができる。(キャプションから)

第三章 秀畝と写生 師・寛畝の教え、”高精細画人”の礎
秀畝は、荒木寛畝の門下で手本を模写する、臨模と写生を厳しくたたき込まれました。修業時代から秀畝がひたむきに取り組んだ沢山の写生作品が展示されています。

コラム 秀畝の『写生帖』
コラム 秀畝の外地旅行ー台湾、朝鮮、中国へ
コラム 『匣書科口』
コラム 鳥よ、鳥よ、鳥たちよー花鳥画を描き続ける


第四章 秀輔と屏風 画の本分 
「大概の人は、そんなに大きいものは描かなかったが、わたしは大概、六曲二双を描いた」(「池上秀畝、口述控」1937年)これは秀畝の官展についての回想です。花鳥画にくわえ歴史画、山水画など、その時々の自分の興味関心に即した作品を制作しました(本展パネル解説から)

コラム 屏風絵のあり方ー会場芸術としての屏風絵・床の間芸術としての屏風絵

エピローグ 晩年の秀畝 衰えぬ創作意欲
秀畝の創作意欲は60歳を超えても衰えず、制作依頼は画塾や自身の個展など制作依頼はむしろ増加します。晩年の仕事で大きなものは旧目黒雅叙園の壁画類と、戦勝祈願のために描かれた奉載記念画が挙げられます。(本展パネル解説から)

雅叙園の作品を詳しく解説しています(動画あり)
次回、雅叙園「百段階段」に行った際には意識して観てこようと思いました。


―HPの解説ー
池上秀畝(1874–1944)は、長野県上伊那郡高遠町(現在の伊那市)に生まれ、明治22年(1889)、本格的に絵を学ぶため上京。当時まだ無名だった荒木寛畝の最初の門人・内弟子となります。大正5年(1916)から3年連続で文展特選を受賞。また、帝展で無鑑査、審査員を務めるなど官展内の旧派を代表する画家として活躍しました。
 同じく長野県出身で同い年の菱田春草(1874-1911)らが牽引した「新派」の日本画に比べ、秀畝らの「旧派」と呼ばれる作品は近年展覧会等で取り上げられることは少なく、その知名度は限られたものに過ぎませんでした。しかし、伝統に基づく旧派の画家たちは、会場芸術として当時の展覧会で評価されたことのみならず、屏風や建具に描かれた作品は屋敷や御殿を飾る装飾美術としても認められていました。特に秀畝は徹底した写生に基づく描写に、新派の画家たちが取り組んだ空気感の表現なども取り入れ、伝統に固執しない日本画表現を見せています。
 本展は生誕150年にあたり、秀畝の人生と代表作をたどり、画歴の検証を行うと共に、あらたなる視点で「旧派」と呼ばれた画家にスポットを当てる展覧会です。


長野県立美術館に巡回します。
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本展を企画した学芸員による対談動画です。(練馬と長野の担当学芸員)

練馬区文化振興協会公式チャンネル
学芸員が語る!「生誕150年 池上秀畝―高精細画人―」【練馬区立美術館】

 

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2024.03.18

邨田丹陵-時代を描いた やまと絵師

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邨田丹陵-時代を描いた やまと絵師

【前期】1月13日(土)~2月18日(日)
【後期】2月24日(土)~3月31日(日)

たましん美術館

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地域ゆかりの絵師、邨田丹陵(1872~1940)の展覧会です。
丹陵は、中央画壇から距離を置き、東京府下の北多摩郡砂川村(現在の東京都立川市砂川町)で半生を過ごしました。

本展には、やまと絵の伝統を継承しつつ進化を極めた丹陵の作品、日本古来の史実をテーマにした歴史画が多く展示されています。


この作品を見て「この絵(大政奉還)を描いた画家なんだ」と思う方も多いのではないかと・・・
私自身、聖徳記念絵画館に行った際大いに印象に残った作品のひとつです。
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聖徳記念絵画館壁画下図「大政奉還」 邨田丹陵 1面 紙本着色 昭和9年(1934) 明治神宮 (前期展示)

展覧会の構成は次の通りです。
第1章 日本青年絵画協会の立ち上げと「丹陵時代」の到来
第2章 諸国遊歴と中央画壇からの引退
第3章 砂川村移住と大作《大政奉還》の制作

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孔子中庸ヲ説クノ図 邨田丹陵(画)・村田直景(賛) 1幅 絹本着色 明治25年(1892) 砂川家 (後期展示)
画面上部に丹陵の父直景が孔子一門の説話を蒐集した『孔子家語』の一節を記している。それによれば描かれているのは「宥座の器」と呼ばれる道具を前にして、儒学の祖孔子が中庸の大切さを弟子に説いている場面。ここに吊るされている器は、空の状態では傾き、水を入れすぐればひっくり返り、程よく水を注いだ時だけ、安定するのだという。(キャプションから)

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巴御前図 邨田丹陵 1幅 絹本着色 明治36年(1903) 個人蔵 (後期展示)
巴御前は『平家物語』に登場する木曽義仲に仕えた女武将である。丹陵は、甲冑をつける前の小袖と袴の姿で、弓に弦を張り戦いに向かわんとする様子を描いている。(キャプションから)


―HPの解説ー
旧田安徳川家に仕えた儒学者村田直景の子として生まれた丹陵は、父より史学や故実の教えを受けて育ち、その父の勧めで武者絵の大家川辺御楯に弟子入りしました。そして10代の頃より内国絵画共進会、東洋絵画共進会、内国勧業博覧会、日本美術協会展覧会などに歴史画を出品し受賞を重ね、明治24年には寺崎廣業や小堀鞆音らと日本青年絵画協会を結成し、同31年に岡倉天心が起ち上げた日本美術院にも特別賛助員として参加しました。
しかし、大正12年の関東大震災に罹災後、東京府下の北多摩郡砂川村(現在の東京都立川市砂川町)に転居し、また展覧会への出品は明治40年の第1回文展を最後に、その後一切行った記録がありません。中央画壇から距離をおき、名声を欲さず、質素な暮らしの中で気の赴くままに筆を揮ったのです。30代半ばにしての早すぎる引退の結果、その名は長く忘れ去られることになり、丹陵の画業や生涯を正面から論じた研究はほぼ皆無です。砂川村に構えた画室で、歴史の教科書等でよく知られる代表作《大政奉還》(明治神宮外苑・聖徳記念絵画館の壁画)を完成させたこともほとんど知られていません。本展は、絵師邨田丹陵に焦点を当てた初の本格的な展覧会となりますが、地域作家の掘り起こしにとどまらず、明治以降の「日本画」創出の動きの中で、日本古来の史実をテーマにした歴史画が果たした役割についても考察します。


たましん美術館には、
昭和記念公園との組み合わせで来てもいいな・・・と思いました。
昭和記念公園立川ゲート、あけぼの口の近所にあります。
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昭和記念館立川ゲート

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2024.03.13

開館40周年記念 源氏物語 THE TALE OF GENJI ─「源氏文化」の拡がり 絵画、工芸から現代アートまで─

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(画像はクリックで拡大表示になります)

開館40周年記念
源氏物語 THE TALE OF GENJI ─「源氏文化」の拡がり 絵画、工芸から現代アートまで─

会期 2024年2月24日(土)~2024年3月24日(日)

東京富士美術館


今年の大河ドラマ『光る君へ』今後の展開がなんとなくみえてきました・・・
タイムリーな企画の本展、楽しく観賞してきました。

本展覧会では、「源氏絵」を中心として、『源氏物語』や紫式部にまつわる美術、工芸、文学作品を紹介します。本展覧会が、それぞれの作品を通して物語を追体験し、『源氏物語』の世界を身近に感じる機会となれば幸いです。(HPから)


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復元装束による打出の再現展示/二人の女房による打出の様子 令和3年(2021) 民族衣装文化普及協会蔵

展示構成は以下の通りです。
第1部 『源氏物語』とその時代
『源氏物語』が成立した平安時代の美術・工芸品とともに、模本や再現された装束を展示しています。
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尾形光琳《紫式部図》 江戸時代、18世紀 MOA美術館蔵
石山寺の一室に籠った紫式部が、琵琶湖に映る月を見て『源氏物語』の着想をえたという伝承を基にした作品。

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《源氏物語小色紙宿木》 平安時代、12世紀 個人蔵
本展で初公開の作品。右側には匂宮、左側には中の宮が描かれ、薫から中の宮への贈り物を前にして語り合う様子が描かれています。薫と中の宮の関係を疑う匂宮、薫からの思いに戸惑う中の宮。2人の心のすれ違いを表現していると考えられ・・・(本展解説から)

第2部 あらすじでたどる『源氏物語』の絵画
『源氏物語』五十四帖のストーリーに沿って、土佐派や住吉派による画帖、絵巻、色紙形式の作品を中心に多種多様な「源氏絵」を紹介しています。(チラシから)
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土佐光吉《源氏物語手鑑》より「桐壺一」 桃山時代、慶長17年(1612)頃 和泉氏久保惣記念美術館蔵

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《源氏物語絵詞》鎌倉時代、13世紀 大和文華館蔵(3/10まで展示)
匂宮が浮舟を山荘に連れ出してともに雪景色を眺めながら歌を詠み交わす場面、薫から届いた文によって匂宮との関係を悟った浮舟が返信を描きあぐねる場面である。(図録から)

 

第3部 『源氏物語』の名品
『源氏物語』の屏風作品を中心に、大画面「源氏絵」の名品の数々。また、「源氏絵」の図様や特徴的なモチーフは、工芸の意匠としても取り入れられるようになります。ここでは、物語を主題とした漆芸品を中心として紹介し、ジャンルを超えた『源氏物語』の拡がりを見ていきます。(チラシから)
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土佐光起《源氏物語図屏風》(右隻、部分) 江戸時代、17世紀 福岡市美術館蔵(森山コレクション)

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狩野晴川院養信《源氏物語図屏風》(左隻) 江戸時代、文政9年 法然寺蔵
右隻に「若菜上」の、六条院で光源氏の40歳の誕生日を祝う場面を描いた「若菜春乃賀」がらり、左隻には同じく「若菜上」の、二条院でお祝いする場面を描いた「若菜冬之賀」があります。

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《紫宸殿蒔絵硯箱》 江戸時代、17世紀 個人蔵

第4部 近代における『源氏物語』
本セクションでは、尾形月耕、松岡映丘、上村松園、安田靫彦らによる「源氏絵」を紹介しています。また、物語の普及に大きな貢献を果たした、与謝野晶子と谷崎潤一郎による現代語訳本の装丁・挿画にも目を向けます。(チラシから)
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上村松園《紫式部図》 大正10年(1921)頃 二階堂美術館蔵
上村松園は、小野小町や清少納言、紫式部などの平安時代の才媛を「心の友」と称しており、美人画風の紫式部図をいくつか手掛けている。(図録の解説から)

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安田靫彦《源氏帯木》 昭和31年(1956) 二階堂美術館
本作は、五月雨のある夜、光源氏の宿直所と呼ばれる泊まり部屋に、頭中将、左馬頭、藤式部丞が集い女性談義に花を咲かせる「雨夜の品定め」の場面を描いています。(本展解説から)

エピローグ 現代に蘇る『源氏物語』
現代作家による工芸、文学、漫画等を紹介し、現代における「源氏文化」の様相を探ります。
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吉岡幸雄《若菜上 女三宮(紅梅の袿と桜の細長)》 平成20年(2008) 染司よしおか蔵 ©紫紅社
父・吉岡常雄の研究成果を継承し『源氏物語』全巻の色彩再現に挑み、平安王朝の彩を植物染めによって現代によみがえらせました。(キャプションから)

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山本茜《源氏物語シリーズ 第1帖「桐壺」》 平成26年(2013) 個人蔵(佐野市立吉澤記念美術館寄託) 
ガラスの中を浮遊する截金がガラスの色彩と融合し、見る角度や光の反射によってさまざまな表情を見せる截金ガラス。光源氏誕生のイメージが「強く光り輝く黄金の玉」として浮かび上がったと言い・・・(図録から)


―HPの解説ー
紫式部によって執筆された『源氏物語』は、平安時代中期に成立して以来読み継がれ、現在でも広く愛読されています。主人公・光源氏を中心に、貴族社会における栄華や恋愛模様を叙情豊かに表したこの物語は、文学、絵画、工芸、芸能、香道など幅広い分野に影響を及ぼし、「源氏文化」と総称し得る文化現象を生み出しました。
 とりわけ、物語場面を絵画化した「源氏絵」は流派や時代を越えて数多く描かれ、人びとに享受されてきました。本展覧会では、「源氏絵」を中心として、『源氏物語』や紫式部にまつわる美術、工芸、文学作品を紹介します。本展覧会が、それぞれの作品を通して物語を追体験し、『源氏物語』の世界を身近に感じる機会となれば幸いです。

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2024.03.08

マティス 自由なフォルム

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マティス 自由なフォルム
巨匠ニースが遺した切り紙絵のあざやかな世界。

会期 2024年2月14日(水) ~ 5月27日(月)

国立新美術館

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展示構成です。
Section1 色彩の道
・初期
・アジャクシオ―トゥールーズ
・フォービズム(野獣派)
1905年、マティスは地中海に面するコリウールで、アンドレ・ドレンとともに制作し、フォービズムを予期する作品を描きました。《マティス夫人の肖像》は、補色関係にある緑系と赤系の色彩対比の効果が示されています。(キャプションから)
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《マティス夫人の肖像》 1905年 油彩/カンヴァス ニース市マティス美術館蔵

・彫刻 ー絵画との並行
1927年、の《横たわる裸婦Ⅱ》に認められる横たわる女性が左肘を地面につけ、右手を頭の後ろに回し、右脚で左脚を跨ぐ姿勢は、画家の絵画に幾度となく表れる馴染みの姿勢です。しかしながら、絵画と彫刻の表現において目指したものが異なることを、マティスは表明しています。(キャプションから)
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《横たわる裸婦Ⅱ》 1927年(鋳造1953年)ブロンズ オルセー美術館蔵蔵(ニース市マティス美術館寄託)

・アルベール・マルケとアンドレ・ドラン


Section2 アトリエ
・ニースに着いて
・赤いオブジェのコレクション
マティスはニースの光に惹かれてこの地でいくつもアトリエを転々としながら制作に励みます。《赤い小箱のあるオダリスク》では、敷物や壁面の幾何学的な背景の中で、女性の身体の量感が曲線によって表現されています。(キャプションから)
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《赤い小箱のあるオダリスク》 1927年 油彩/カンヴァス ニース市マティス美術館蔵

マティスの絵画に描かれている、花瓶、テキスタイル、家具調度品などのオブジェは、実際に画家本人が購入して収集したものです。肖像画のようにクローズアップして描かれた、1946年の《ロカイユ様式の肘掛け椅子》では対象となった椅子が画面の構図から外に溢れ出ています。(キャプションから)
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《ロカイユ様式の肘掛け椅子》 1946年 油彩/カンヴァス ニース市マティス美術館蔵

・彫刻の連作
・女性像、ニース
・1940年代の《ヴァンス室内画》
1943年、マティスは戦火を逃れるためにニースから近郊の町ヴァンスに移りました。1946年から48年にかけて、彼は一連の縦型の《ヴァンス室内画》を描きます。1947年の《ザクロのある静物》はそのうちの一点です。 (キャプションから)
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《ザクロのある静物》 1947年 油彩/カンヴァス ニース市マティス美術館蔵

・裸婦とデッサン
・デッサン ―テーマとヴァリエーション


Section3 舞台装置から大型装飾へ
・ナイチンゲールの歌
・バーンズ財団の<ダンス>・タペストリーの計画
・《パペーテ ―タヒチ》と《森の中のニンフ(木々の緑)》
1935年、マティスは起業家でコレクターのまりー・キュットリからタペストリー制作の依頼を受けました。その下絵として描かれたのが、油彩《パペーテ ― タヒチ》」です。マティスが1930年に訪れたタヒチのパペーテのホテルから目にした光景が描かれています。(キャプションから)
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《パペーテ ― タヒチ》 1935年 油彩/カンヴァス ニース市マティス美術館蔵


Section4 自由なフォルム
・『ジャズ』と『ヴェルヴ』
・ポリネシア、海
・クレオールの踊り子
1950年頃からマティスは女性の身体をモティーフとした切り紙絵による一連の大きな作品を制作しており《クレオールの踊り子》はその中のひとつです。(キャプションから)
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《クレオールの踊り子》 1950年 切り紙絵 ニース市マティス美術館蔵

・筆によるデッサン
1946年から52年にかけて、マティスは顔をモティーフとした筆と墨によるデッサンを数多く制作しています。(キャプションから)
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《大きな頭部、仮面》 1951年 筆と墨/紙 オルセー美術館蔵蔵(ニース市マティス美術館寄託)

・花と果実
マティスは1952年頃、アメリカ人コレクターからロサンゼルスのヴィラのパティオ(中庭)のための大型装飾の注文を受けます。これに応じたマティスはその構想を練り、切り紙絵によるマケットを4点制作しました。そのうちの一つが《花と果実》です。本作は5枚のカンヴァスが繋げられた巨大な切り紙絵です。4枚の花びらないし3つの果実による形態が基本単位となり、各々が反復されて画面が構成されています。画面の左右それぞれには、柱頭を備えた縦縞模様のある青い柱が認められ、また画面の中央右寄りには、5枚の花びらを持つ花の基本単位が縦に 4つ並んでいます。(キャプションから)
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《花と果実》1952-1953年 切り紙絵 ニース市マティス美術館蔵

・《ブルーヌードⅣ》と切り紙絵
マティスは1952年に、切り紙絵による4点の連作《ブルーヌード》を制作しました。
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《ブルーヌードⅣ》 1952年 切り紙絵 オルセー美術館蔵(ニース市マティス美術館寄託)

・日本

Section4の一部の展示作品は撮影可です(条件ンあり)
撮った写真をまとめてみました。 



Section5 ヴァンスのロザリオ礼拝堂 
《ヴァンスのロザリオ礼拝堂》
《カズラ(上祭服)》
《ヴァンスのロザリオ礼拝堂(内部空間の再現》

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展示風景

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2024.03.04

マティス 自由なフォルム Section5 ヴァンスのロザリオ礼拝堂 

マティス 自由なフォルム

会期 2024年2月14日(水) ~ 5月27日(月)

国立新美術館

マティス 自由なフォルム Section5 ヴァンスのロザリオ礼拝堂
1948年から51年にかけて、マティスは南仏のヴァンスのロザリオ修道院に暮らすドミニコ会修道女たちのための礼拝堂の制作を指揮します。彼はこの礼拝堂を、芸術家としての自らの生涯の到達点にして精神的達成とみなしました。 礼拝堂制作のプロジェクトには、実際、建築家、ガラス工、陶工など、様々な職能集団が動員されました。マティスは建築全体から図像プログラム、典礼用調度のごく細かなディテールにまで心血を注ぎ、礼拝堂を綜合芸術作品としてデザインしました。(展覧会場の解説パネルから)

Section5 ヴァンスのロザリオ礼拝堂 
《ヴァンスのロザリオ礼拝堂》
《カズラ(上祭服)》
《ヴァンスのロザリオ礼拝堂(内部空間の再現》

(画像はクリックで拡大表示になります)

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ヴァンス礼拝堂お外観のマケット(1/20)1948年アンリ・マティスのデッサン 制作:Les Waquettes EPI ニース市マティス美術館

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ステンドグラス、「生命の樹」のための習作 ニース、1950年 ガラス工:ポール・ボニ 鉛で接合された色付き透明すろガラス ニース市マティス美術館

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十字架降下 ニース、1950年 陶工:オバーニュ・ブルディヨン 筆による釉/白色のファイアンス板 ニース市マティス美術館

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祭壇のキリスト磔刑像 ニース、1949年 鋳造:ヴァルスアーニ ブロンズ ニース市マティス美術館
聖ドミニクス ニース、1949年 筆と墨、白色のグワッシュと張り紙で修正/べラム紙(カンヴァスで裏打ち)ニース市マティス美術館

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星形のある背景の聖母子 ニース、1949年 筆と墨/クラフト紙に糊付けしたべラム紙(カンヴァスで裏打ち) ニース市マティス美術館


カズラ(上祭服)などのマケット展示風景
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薔薇色のカズラ(上祭服)のためのマケット(背面)(正面)(背面) 1950-1952 グアッシュで彩色、裁断した紙/紙に張り付け(カンヴァスで裏打ち ニース市マティス美術館

ヴァンスのロザリオ礼拝堂(内部空間の再現)展示風景
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撮影可(条件あり)でしたので・・・画像をまとめてみました。

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2024.02.28

開館20周年記念展/帝国ホテル二代目本館100周年 フランク・ロイド・ライト世界を結ぶ建築

開館20周年記念展/帝国ホテル二代目本館100周年
フランク・ロイド・ライト世界を結ぶ建築

会期 2024年1月11日(木)~ 3月10日(日)

パナソニック汐留美術館


私が行った日、大変混んでいました。
入り口の案内の方が、会場内が混んでいるので手荷物のロッカー収納を促していました。
なるほど、会場内に所狭しと大量の展示資料が並べられていました。

2月17日(土)以降、土曜日・日曜日・祝日及び3月1日(金)以降は日時指定予約(当日空きがあれば入場可)だそうです。

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(画像はクリックで拡大表示になります)

 

芸術、建築、デザインから著述、造園、教育、技術革新、都市計画に至るフランク・ロイド・ライトの生涯、仕事を網羅した展覧会です。

展覧会の構成です。
セクション1.モダン誕生 シカゴ-東京、浮世絵的世界観
1 モダン都市シカゴ
・シカゴ万国博覧会と鳳凰殿
2 モダン都市東京
3 キャリアの始まり
・師サリヴァンと自然モチィーフの装飾
・初期の実践
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フランク・ロイド・ライト《第1葉 ウィンズロー邸 透視図》
『フランク・ロイド・ライトの建築と設計』1910年、豊田市美術館蔵
4ユニティ・テンプル:鉄筋コンクリート造の神殿
5日本の発見
・浮世絵的視覚と建築ドローイング
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歌川広重《江戸名所百景 真間の紅葉手古那の社継はし》 安政4(1857)年 神奈川県立歴史博物館
・日本美術愛好家、アートディラー、展覧会プデューサーとして


セクション2 「輝ける眉」からの眺望
6 アメリカ中西部プレイリーの風土と気候
7 ルーツとしてのウェールズ
8 草原植物と『ハウス・ビューティフル
9 住空間の革新
・花の環で世界をめぐる
外と内をつなぐ庭
プレーリー・ハウスの到着店ー有機的建築
・エコロジー住宅の発想 
・在来と外来
10 従来と外来:ジェンス・ジェンセンの庭園思想
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ブース邸計画案(イリノイ州グレンコー)1911年 第1案 透視図  1911年 ニューヨーク近代美術館
11 タリアセン:最初の理想郷
12 地形と建築
13 タリアセン・ウエスト:砂漠の中のもうひとつの理想郷

セクション3.  進歩主義教育の環境を作る
14 ヒルサイド・ホームスクールの実験的教育
15 シカゴ郊外の仕事場
16 クーンリー・プレイハウス幼稚園:風船と紙吹雪のモチーフの展開20240103_20240201162601
オークパーク公園協会への設計競技案「キンダーシンフォニーズ」(№3)(イリノイ州オークパーク)1926年 豊田市美術館
17 リトル・ディパー・スクールと舞台
18 木も花も本来ひとつ:自由学園とローゼンワルド学校計画
19 建築教育の場としてのタリアセン・フェローシップ

セクション4 交差する世界に建つ帝国ホテル
20 写真コレクションにみるデザイン・ソース
21 共鳴するミドウェイ・ガーデンズ
22 帝国ホテル二代目本館クロニクル
23 メガ・プロジェクトの始まり
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フランク・ロイド・ライト《帝国ホテル二代目本館(東京、日比谷)第2案 1915年 横断面図》
コロンビア大学エイヴリー建築美術図書館フランク・ロイド・ライト財団アーカイヴズ蔵
24 宿泊とエンターテイメント
25 総合芸術としての帝国ホテル
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《帝国ホテル2代目本館 椅子「ピーコック・チェア」》デザイン:1913年頃 制作1930年頃 豊田市美術館蔵

26 素材の探求:大理石とすだれレンガ
27 ライト精神の継承

セクション5 ミクロ マクロのダイナミックな振幅
28 フレーベル恩物:ユニットシステムの原点
29 リチャーズ社の通販式プレハブ住宅
30 関東大震災に耐えた構造
31 コンクリート・ブロックの展開
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フランク・ロイド・ライト《ドヘニー・ランチ宅地開発計画案(カリフォルニア州ロサンゼルス)1923年頃 透視図》
コロンビア大学エイヴリー建築美術図書館フランク・ロイド・ライト財団アーカイヴズ蔵
32 ユーソニアン住宅 成長する住宅
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ユーソニアン建築の原寸モデル展示(撮影可)
制作:有限責任事業組合 森の製材リソラ、磯矢建築事務所 2023年 杉赤身材、天神原(南伊豆町)産

33 らせん上建築

セクション6 上昇する建築と環境の向上
34 快適さと機能の追及
35 高層建築ー樹状建築
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《ジョンソン・ワックス・ビル(ウィスコンシン州ラシーン本部棟 中央執務室 南を見る《撮影:2015年、写真提供:SCジョンソン社
36 開けた大地に建つ高層建築ー超高層ザ・マイル・ハイ・イリノイ


セクション7 多様な文化との邂逅
37 ライトへ注がれた同時代の眼
38 ライトとイタリア
39 世界に向けたライトの目
40 未来に向けた目:ブロードエーカー・シティー構想
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《フランク・ロイド・ライトのブロードエーカー・シティー構想に基ずくCGアニメーション》
41 フランク・ロイド・ライトとの対話


―HPの解説ー
フランク・ロイド・ライト(1867-1959)は、落水荘やグッゲンハイム美術館の設計で知られるアメリカ近代建築の巨匠です。彼のアーカイヴの近年の研究成果は、芸術、建築、デザインから著述、造園、教育、技術革新、都市計画に至る視野の広さを照らし出し、新たな全体像を結びつつあります。旅の中で世界の風景や文化をつなぐ情熱からデザインを創出したライトは、東京の帝国ホテル(1923年竣工)でグローバル・アーキテクトの地位を確立。その未来への提言を精緻で華麗なドローイングにご覧いただきます。

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2024.02.23

サムライ、浮世絵師になる!鳥文斎栄之展

サムライ、浮世絵師になる!鳥文斎栄之展

会期 2024年1月6日(土)~ 3月3日(日)
前期 1月6日(土)~ 2月4日(日) 後期 2月6日(火)~ 3月3日(日)

千葉市立美術館


重要な浮世絵師の一人でありながら、明治時代には多くの作品が海外に流出したため、今日国内で栄之の全貌を知ることは難しくなっています。世界初の栄之展となる本展では、ボストン美術館、大英博物館からの里帰り品を含め、錦絵および肉筆画の名品を国内外から集め、初期の様相から晩年に至るまで、栄之の画業を総覧しその魅力をご紹介します。(HPから)

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(画像はクリックで拡大表示になります)

展覧会の構成です。

プロローグ 将軍の絵具方から浮世絵師
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(左)狩野栄川院典信《田沼意次 領内遠望図》
浮世絵師として活躍する以前、栄之は御用絵師狩野栄川院典信の門人でした。典信は、10代将軍徳川家治(1737-86)の寵愛深く老中田沼意次(1719-86)の隣に屋敷を拝領したと伝えられています。本図は田沼が最も信頼した家臣相模藩家老の井上伊織の家に伝えられた作品で、描かれた貴人を田沼そのものの姿と見て伝えられてきたものです。(キャプションから)

(右)鳥文斎栄之《関が原合戦図絵巻》(部分)
上下2巻からなる図巻。上巻は石田三成を中心とした諸大名による大阪城での軍評定の場面から始まり、伏見城の落城が見せ場となています。下巻は関が原合戦が中心となっています。栄之の師であった狩野栄川典信(1730-90)の作品を参考に制作されたもので・・・(キャプションから)


第1章 華々しいデビュー 隅田川の絵師誕生
この章では新人としては異例の扱いを受けた続絵の名品を紹介します。とりわけ晩年までの主要な題材となった隅田川を題材とした続絵は、この章のハイライトです。江戸の人々が愛着を持って眺めた隅田川とその両岸の景観を背景に、上流階級の女性たちが船遊びを楽しむ様子から栄之という浮世絵師の特別な立ち位置が理解されます。(本展解説パネルから)

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鳥文斎栄之《吉野丸船遊び》 大判錦絵5枚組 天明7-8年(1787-88)頃 千葉市美術館蔵
船主に花台を飾り「吉野」の額を掲げた豪華な屋台船を5枚続の長大な画面に描く見応えのある錦絵です。・・・
天明後期頃という比較的早い時期に大判の5枚続を任せられていたことからも栄之が別格の扱いであったことが分かります。(キャプションから)

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川一丸船遊び 寛政8-9年(1796-97)頃 大判錦絵5枚続 版元:西村屋与八 ボストン美術館蔵 ウイリアム・スタージス・ビゲロー旧蔵(撮影可)

 

第2章 歌麿に拮抗 ―もう一人の青楼画家
この章では、歌麿と拮抗して錦絵界で活躍した栄之の遊女絵を中心に錦絵最盛期の代表作を紹介します。(本展解説パネルから)

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鳥文斎栄之《松竹梅三美人》 大判錦絵 寛政4-5年(1792-93)頃 ボストン美術館蔵
江戸の評判娘たちです。中央、浅草髄身門脇の水茶屋難波屋のおきた。右側江戸両国薬研堀(米沢町二丁目)の煎餅屋高島長兵衛の娘おひさ。左側、湯島女坂の立花屋おたつ。

3章 色彩の雅 ―紅嫌い
この章では、紅嫌いを中心に、古典文学に題材を求めた作品をまとめて紹介する。
(紅嫌い:意識的に紅色の使用を控えた錦絵)

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鳥文斎栄之《風流やつし源氏 松風》大判錦絵3枚続 寛政4年(1792)頃 大英博物館蔵

第4章 栄之ならではの世界
栄之の錦絵の購買者が武家や上流階級の人物であれば、その絵に親しみを持つのはもちろのこと、庶民であれば見たことのない裕福な武家の社会を垣間見る憧れの世界となったことでしょう。この章では、栄之だからこそ描くことができた品の良い上流層の女性風俗や、教養を感じさせる個展主題の作品を中心に紹介します。(本展解説パネルから)

第5章 門人たちの活躍
栄之には多くの門人がいました。・・・天明7年(1787)頃の時点で早々に錦絵の分野で門人がいたことが分かります。
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鳥高斎栄昌(生没年不詳)《郭中美人競 大文字屋内本津枝》 寛政9年(1797)頃 大判錦絵 版元:山口屋忠助 ボストン美術館蔵 ウイリアム・スタージス・ビゲロー旧蔵(撮影可)


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鳥橋斎栄里《近江三百景 石山秋月 丁字 屋内 雛鶴 つるし つるの》 大判錦絵 寛政7-9年(1795-979頃ボストン美術館蔵
寛政2-7年まで『吉原細見』に名の載る丁子屋長十郎お抱えの遊女雛鶴です。石山寺は、紫式部が「源氏物語」を執筆した場所と伝えられています。本図は雛鶴を紫式部になぞらえて、文机に片肘をついて思案するようすを描いています。

第6章 栄之をめぐる文化人
この章では、栄之をめぐる文化サークルを想定しながら、揃物や狂歌、絵本を紹介します(本展解説パネルから)

 

第7章 美の極み ―肉筆浮世絵
寛政10(1798)年頃から栄之は、錦絵の版下絵描くことを止め、肉筆画に集中するようになります。いわゆる「寛政の改革」として知られる、幕府の出版規制が影響したものと思われます。(本展解説パネルから)
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鳥文斎栄之《和漢美人図屏風》 絹本着色6曲1隻 文化(1804-18)後期・文政(1818-30)前期頃 個人蔵
中国と日本の伝説の美人を3人ずる配した屏風です。向かって右から小野小町、王昭君、清少納言、楊貴妃、紫式部、趙飛燕でしょうか。(キャプションから)

エピローグ 外国人から愛された栄之
栄之の浮世絵は、ジャポニズムの
なかで、早々に注目され、多くの作品が海外に渡り、愛好されました。エピログでは、錦絵や肉筆浮世絵を集めていたコレクターらの売立目録を紹介します。・・・・
こうして栄之による清麗な美人像は遠く海外で評価を受け作品の大部分は海外にわたり、そのまま留まることになったのです。(本展解説パネルから)

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川一丸船遊び 寛政8-9年(1796-97)頃 大判錦絵5枚続 版元:西村屋与八 ボストン美術館蔵 ウイリアム・スタージス・ビゲロー旧蔵(撮影可)

―HPの解説ー
鳥文斎栄之(ちょうぶんさい・えいし1756−1829)は、旗本出身という異色の出自をもち、美人画のみならず幅広い画題で人気を得た浮世絵師です。浮世絵の黄金期とも称される天明〜寛政期(1781-1801)に、同時代の喜多川歌麿(?−1806)と拮抗して活躍しました。
当初栄之は、将軍徳川家治(1737-86)の御小納戸役として「絵具方」という役目を務め、御用絵師狩野栄川院典信(1730-90)に絵を学びましたが、天明6年(1786)に家治が逝去、田沼意次(1719-88)が老中を辞した時代の変わり目の頃、本格的に浮世絵師として活躍するようになり、やがて武士の身分を離れます。
当時錦絵(浮世絵版画)は、一層華やかな展開期にありましたが、栄之もまた浮世絵師として数多くの錦絵を制作、長身で楚々とした独自の美人画様式を確立、豪華な続絵を多く手がけたことは注目されます。さらに寛政10年(1798)頃からは、肉筆画を専らとし、その確かな画技により精力的に活躍しました。寛政12年(1800)頃には、後桜町上皇の御文庫に隅田川の図を描いた作品が納められたというエピソードも伝わっており、栄之自身の家柄ゆえか、特に上流階級や知識人などから愛され、名声を得ていたことが知られています。

重要な浮世絵師の一人でありながら、明治時代には多くの作品が海外に流出したため、今日国内で栄之の全貌を知ることは難しくなっています。世界初の栄之展となる本展では、ボストン美術館、大英博物館からの里帰り品を含め、錦絵および肉筆画の名品を国内外から集め、初期の様相から晩年に至るまで、栄之の画業を総覧しその魅力をご紹介します。

 

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2024.02.18

水木しげる生誕100周年記念 水木しげるの妖怪 百鬼夜行展 ~お化けたちはこうして生まれた~

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水木しげる生誕100周年記念
水木しげるの妖怪 百鬼夜行展 ~お化けたちはこうして生まれた~

会期 2024年1月20日(土)~3月10日(日)

そごう美術館


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(画像はクリックで拡大表示になります)


妖怪文化の最大の継承者としての水木しげるを紹介する展覧会・・だと思いました。
”妖怪はほんらい怪獣なんかのように創作されるべきではないと思う。妖怪は昔のひとの残した遺産だから、その型を尊重し、後世に伝えるのが良い”(小学館)

展覧会の構成です。
第一章 水木しげるの妖怪人生
境港時代
南方最前線
南方最前線での生活は、地獄そのもの、水木は”塗壁”や”天狗倒し”といった日本の妖怪とよく似た不思議な現象を体験した。
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おかしいと思って手でさわってみると、コールタールの固まりかけたようなものが、右にも左にも上にも下にもあって動きが取れない。しばらく休んで手を出してみるとなにもなかった。
「妖怪になりたい」「南方の妖怪」河出書房新社


第二章 古書店妖怪探訪
水木しげるの古書コレクション
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柳田国男 《妖怪談義》修道社 1958年5版(初版1956年) 水木しげる蔵

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鳥山石燕《画図百鬼夜行》 1776年 水木しげる蔵

妖怪文化人年表
水木しげると妖怪文化年表


第三章 水木しげるの妖怪工房
絵師たちからの継承
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《あかなめ》
風呂桶の垢をなめる妖怪。その姿は『画図百鬼夜行』の「垢嘗」を踏襲する。『画図百鬼夜行』に「垢嘗」はなく、風呂桶の垢を嘗めるという解釈は藤沢衛彦の『妖怪画図全集』日本篇上に拠っている。(キャプションから)

様々な資料からの創作
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《がしゃどくろ》
戦死者や野垂死にした者の骸骨や怨念が凝り固まり、巨大な骸骨の姿となってガシャガシャと野をさまようという。その姿は『別冊少女フレンド』(1966年11月号/講談社)の妖怪特集の文章と、歌川国芳の『相馬の古内裏』を参考にして創作したと推察される。(キャプションから)

文字情報からの創作
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《一反木綿》
長い布のようなものが空を飛び、時には人を襲うという鹿児島の妖怪。その姿は『妖怪談義』『妖怪名彙』に記された文章を参考に創作した。(キャプションから)

水木しげるの妖怪の本
外国語版
その他

第四章 水木しげるの百鬼夜行
山に棲む妖怪
里に棲む妖怪
水に棲む妖怪
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《海坊主》

家に棲む妖怪

エピローグ 妖怪は永遠に
”日本には電気が普及して、日本中明るくなりすぎたのに加え、世の中全体が百鬼夜行の様相になったのに怯え、本物の妖怪が姿を消しつつある” 水木しげる


妖怪カメラ ARコーナー
QRコ-ドを読込んでアプリをダウンロードしてスマホカメラを向けると、妖怪が動き出します。
(写真に収めることができます)
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《がしゃどくろ》 

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《すなこすり》

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《ぬらりひょん》

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《輪入道》

20240222
《アマビエ》

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《一反木綿》

 ARコーナーの妖怪集合
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2024.02.13

ガラスの器と静物画 山野アンダーソン陽子と18人の画家

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(画像はクリックで拡大表示になります)


ガラスの器と静物画 山野アンダーソン陽子と18人の画家

会期 2024年1月17日(水)~ 3月24日(日) 

東京オペラシティ アートギャラリー


山野さんのガラス作品を本にしてみたらどうでしょう」この一言がきっかけとなって、「Glasss Tableware in Still Life」(静物画の中のガラス食器)というプロジェクトが始まりました。
自分で描いてみたいガラス食器について、画家がガラス作家・山野アンダーソン陽子に言葉で伝える。
その言葉に応答して山野がガラスを吹き、出来上がったガラス食器を見ながら画家が絵を描く。
その後、写真家・三部正博が画家たちのアトリエを訪れて写真を撮り、デザイナー・須山悠里が本をデザインする。
そうして生まれたガラス食器と絵画、写真を目にしてもらう機会を作りたいと、本展の実現に繋がりました。(本展チラシから)

 

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木村さんからの言葉で印象に残っているのは、
「花が開く寸前の蕾」「ふっくり」「まっすぐには伸びていない茎」「ゆるやかな動きのある脚」です。
春のような、爽やかで温かみのあるものをイメージしました。
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山野アンダーソン陽子 Stem for Pink for Saiko Kimura 2021 吹きガラス 木村彩子蔵

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木村彩子 Stem for Pink/7 May 2021 綿布に油彩、蜜蝋 作家蔵

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三部正博 木村彩子のアトリエに佇むガラス食器 2021 ゼラチン・シルバー・プリント 作家蔵

 

「背の低めな丸みのあるピッチャー」「柔らかな自然光」「透明感」と言う言葉が、
石田さんからのリクエストの中で印象に残りました。
石田さんの作品にある、人の痕跡のような深みを意識して、
なぜか左から入る自然光を想像をしながら制作しました。
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山野アンダーソン陽子 Jug with Handle for Junichi Ishida 2021 吹きガラス 石田淳一蔵

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石田淳一 アトリエの陽光ー山野アンダーソン陽子のガラス器と私ー 2021 板に油彩 一番星画廊蔵


田幡さんからのリクエストは、丁寧な文章とともに届きました。
中でも、「牛乳のための器」「日常」「歴史的意味」
「差のある二つ以上のもの」「下地の色をほぼそのまま使う」が印象に残りました。
リクエストのメールを読んだとき、ルーブル美術館で観た
アンリ=オラース・ロラン・ド・ラ・ポルトを思い出しました。
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Tall Bottle and Drinking Glass for Kouichi Tabara 2021 吹きガラス 田幡浩一蔵

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田幡浩一 one way or another (glass of milk and tall bottle)#1、#2(2022)#3、#4(2023) 木製パネルに油彩 作家蔵

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三部正博 田幡浩一のアトリエに佇むガラス食器 2022 ゼラチン・シルバー・プリント 作家蔵


本展は撮影可です。(条件あり)
撮ってきた写真をまとめてみました。

 

 

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