2017.05.22

三社祭2017の最終日に行ってきました。

三社祭(浅草寺)最終日の午後に行ってきました。
今年はパスかな~
と考えていましたが、「迷ったら行く」という考え方をするたちなので・・・・

夏のような暑い気候の為でしょうか?去年より人出が少しだけ?少ない様な気がしました 。
と言っても、大変な賑わいですが・・・・ 

皆さん直射日光を避けて、日陰で観覧していたからかもしれません。

所要があって、宮入の時間までは居ることができませんでした。
宮入コースの屋台が店じまいを初めて、宮入り観覧目当てに人々が集まりだすのをしり目に帰路に着きました。

以下、同じような動画を何度も・・・で恐縮ですが・・・・

お祭り広場のの様子です。
皆さん、撮影ポイントは同じようで・・・・


神社境内を巡行する神輿です。
お祭り広場に戻ります。


巡行を終えて、町内に戻ってきたときの摸様です。
これで、今年のこの町内の神輿巡行は終了。

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2017.05.15

神田祭神輿宮入(平成29年度)

江戸総鎮守神田明神平成29年度神田祭神輿宮入に行ってきました。

今年は、神輿宮入には行かずに神幸祭のみを観に行こうか?と思っていたのですが、神幸祭の日はあいにくの雨。
家は出たものの本降りの雨になってきたので引き返しました。

というわけで、神輿宮入の日に、三井記念美術館に寄り道してから行きました。
三井記念美術館でチョット不愉快なことがあって、早々に退館・・・・この美術館には10年以上ほぼすべての展覧会を観に行っているのですが・・・・顧客対応がどうも好きになれなくて、行くのに気が重くなることがあります。(あくまでも私個人の感じ方でです)

美術館を出て日本橋の街に出ると、室町で神輿巡行が行われていました。
宮入を済ませて町内に戻り、町内神輿巡行を行っているところの様でした。

そして神輿宮入観覧に神田明神へ・・・・
神田明神にはお茶の水駅から向かうことが多いのですが、今回は秋葉原駅で降りました。
駅前では、和太鼓の演奏、電気街の神輿広場?では二基の氏子を乗せた神輿が、行ったり来たりしていました。
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秋葉原電気街で・・・

何しろ、200基程の神輿宮入が行われるのですから、交通規制している巡行路には町会神輿毎の渋滞が発生します。担ぎ手達は、道端に座り込んで、お酒を飲んだり、タバコを喫ったり・・です。
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そして、神田明神では引っ切り無しに各町会の神輿が宮入してきます。
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随神門から境内に入ってきた神輿。

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神殿前で、神輿を正面に向かせるための調整を繰り返して・・・

一日中続いた神輿宮入も、終わりに近づいて千貫神輿「神田市場神輿」の宮入です。
皆さん千貫神輿の宮入時間をご存知のようで、観客の数がMAXになります。

警官が場内整理に従わない男を怒鳴りつけたり、神輿が観客に迫って・・最前列の人が押し倒されたりの騒ぎです。

女神輿が先導して、神田市場神輿が大鳥居に向かい、神庭明神境内に入っていきます。
「担ぎ手は1グループ200人総勢2000人」という話を聞いたことがありますが、過大な表現でもない様な気もしました。
神田市場神輿は大きいので隨神門の下は通過しないで、道を右に曲がって神殿前まで巡行します。


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帰り道の子供神輿・・・かわいい子供たち。

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―神田祭とは―
HPからです。

江戸時代の神田祭

 「天下祭」として知られる神田祭は、元和年中までは船渡御であったと言われている。延宝年中までは毎年斎行されていたが、山王祭(千代田区・日枝神社)と隔年で斎行することになり、以後今日までに2年に一度斎行されることが恒例となった。
 江戸幕府の庇護を受け、江戸城・内曲輪内へ、2基の神輿、36番45本前後の山車や附祭、御雇祭などからなる祭礼行列が練りこみ、徳川将軍や御台所の上覧があったことなどから、江戸の庶民たちからいつからか「天下祭」と称されるようになった。
 また、江戸時代を通じて全国的に有名な祭のひとつとして「日本三大祭り」「江戸三大祭り」の中に数えられたている。

明治時代から昭和戦前
 
 明治に入り、神田明神から神田神社と名前を変えたが、明治17年に46本、明治20年に40本の山車が出され、江戸時代と同じくらい盛大な祭礼が行われた時もあった。しかし明治25年、台風の影響などから祭月が9月から5月に変更されたり、不景気と電線架線などの影響もあり、山車が出されなくなっていき各町に備え付けられるのみとなった。

 大正時代に入ると、神社の神輿が渡御する「神輿渡御祭」へと変遷していき、各氏子町は町神輿を作り担ぐようになっていった。渡御祭では、数日かけて神輿が氏子町々を隈なく渡御し長い日には1週間もの日数をかけて渡御が行われた。
 大正11年、2基の神輿を大鳳輦1基に改めた。残念ながら、この鳳輦は大正12年の関東大震災により焼失してしまい、たった1度の渡御しかしていない。
 関東大震災後、1度延期となったが昭和元年に復活、渡御祭の行列では葱華輦が出された。昭和9年には二の宮神輿が新調された。

戦後から
 
 戦後、祭の名称を渡御祭から神幸祭に変更され、昭和27年に初の神幸祭が斎行された。鳳輦が新調され牛が曳いて練り歩いた。また、この祭で氏子町会より町神輿の連合宮入が初めて斎行された。
昭和40年代になると、都心部における自動車などの交通事情の影響のため、5月中旬に行っていた神幸祭を祝日の5月2、3日に改められた。さらに神幸祭の日数も3日間より2日間、そして現在は1日となっている。昭和50年、三越より奉納された二の宮神輿が行列に加わった。
 昭和59年にご祭神に正式復座された平将門命の三の宮鳳輦が新調され昭和62年より行列に加わった。
 平成に入り、諌鼓鶏の山車の復活、相馬野馬追騎馬武者行列の特別参加、町田町火消行列、将門武者行列、静岡県三熊野神社より一本柱万度型山車が特別参加。平成15年には東日本橋二丁目町会により船渡御が復活。KIXプロジェクトやインターネット神田祭.chといったインターネットによる神田祭の生中継も行われ今に至っている。

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2017.05.07

大国魂神社くらやみ祭神輿渡御2017

大国魂神社の例祭に行って来ました。
祭りを通して70万人の以上の人出でがあるとされるくらやみ祭り、例祭の5日 は浅草三社祭の大混雑に匹敵する賑わいでした。(三社祭は150万人だそうです)
屋台の出店数も半端ではありませんでした。

浅草とは、趣の異なる神輿渡御のように思いましたが・・神輿を担ぐ人々の意気込みは変わらないようでした。
歴史の重みと伝統をを感じさせてくれる祭事です。

(この記事は追記、画像の追加をすることがあるかもしれません)

次第
5月5日
■例祭 午前10時
年中行事で最も重要な祭儀
■道清め 午後1時30分
神輿・太鼓の通る道をお祓いして歩く儀式。神輿の渡御に先立ち、その道すじを祓い清める。

■太鼓送り込み 午後2時30分
御先祓大太鼓を始めとする、各宮の大太鼓が各町内から、隨神門内と拝殿前に送り込まれる。約1時間ほどの間、威勢良く打ち鳴らされる。

■宮乃咩神社奉幣 午後2時
境内摂社宮乃咩神社に行き奉幣行事を行う
■御饌催促の儀 午後3時30分
細谷・浦野両氏により神前に供え、神饌の調理催促する儀式
■動座祭 午後3時30分
御霊を御本殿より神輿に移す事を神前に報告する祭典。(一般非公開)
■威儀物授与 午後5時20分頃
神輿の露祓いの意味で奉持する刀や弓を渡す儀式
■御霊遷の儀 午後5時20分
各神輿に本殿から御霊を移す神事
■神輿渡御 午後6時【くらやみ祭のメイン】
花火の合図とともに6張りの大太鼓が打ち鳴らされ、祭の最大の見所である「おいで」と呼ばれる神輿渡御が行われる。8基の神輿は白丁を身にまとった威勢の良い担ぎ手と大太鼓に導かれ、御旅所まで渡御する。


■坪宮奉幣 午後8時30分
境外末社、坪宮に奉幣の儀式を行う神事。
■野口仮屋の儀 午後10時10分ごろ
大國魂大神が当地に降臨したとき野口家に 一泊の宿を求めた故事に基づく事柄を具現する神事。宮司と神職は野口の仮屋に向かい、そこで主人の野口氏の接待を受ける儀式を行う。
■やぶさめの儀 午後10時30分ごろ
宮司は野口の仮屋から神馬に乗って御旅所へ戻り、その北門前で馬上から弓を引き的を射る神事(但し鎌倉の鶴岡八幡宮の神事とは趣を異にする)。やぶさめの儀では矢が必ず的に当たるので、当社では「やぶさめあたり矢」という名前で御神矢を授与している。

5月6日
御神輿
■神輿還御(おかえり) 午前4時から8時頃
早朝午前4時に各神輿が御旅所を出発し、大太鼓に導かれ町内を巡行した後、午前7時半までに神社境内に還る。午前7時半から8時頃には8基全ての神輿が神社参道に揃う。
■鎮座祭 午前9時頃
還ってきた神輿から御霊を本殿に納め、無事大祭が終了した事を報告する祭典。くらやみ祭の終了となる。(一般非公開)

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大國魂大神
小野大神・小河大神・氷川大神・秩父大神・金佐奈大神・杉山大神・御霊大神・国内諸神

御由緒
当社のご祭神は、大國魂大神おおくにたまのおおかみで武蔵の国魂の神と仰いでお祀りしたものである。この大神は 素盞鳴尊すさのおのみことの御子神でむかしこの国土を開拓され、人民に衣食住の道を授け、医薬禁厭等の方法をも教えこの国土を経営された。
当社の起源は、人皇第十二代景行天皇41年(一一一)5月5日大神の託宣に依って造られたものである。出雲臣天穂日命いづものおみあめのほひのみことの後裔が初めて武蔵国造むさしのくにのみやつこに任ぜられ当社に奉仕してから、代々の国造が奉仕してその祭務を掌られたといわれる。
その後、孝徳天皇(596-654)の御代に至り、大化の改新(645)のとき、武蔵の国府をこの処に置くようになり、当社を国衙の斎場とし、国司が奉仕して国内の祭務を総轄する所にあてられた。
又、国司が国内社の奉幣巡拝、又は神事執行等の便により国内諸神を配祀した、これが即ち武蔵総社の起源である。
後に本殿の両側に国内著名の神、六所ろくしょ (小野大神・小河大神・氷川大神・秩父大神・金佐奈大神・杉山大神)を奉祀して六所宮とも称せられるようになった。《※注》
寿永元年(1182)に至り、源頼朝が葛西三郎清重を使節として、その室、政子の安産の祈願が行われた。文治2年(1186)頼朝は武蔵守義信を奉行として社殿を造営し、また貞永元年(1232)2月に将軍頼経の代にも武蔵守資頼を奉行として社殿が修造せられた。
又、天正18年(1590)8月、徳川家康が江戸へ入城してからは武蔵国の総社であるために殊に崇敬の誠をつくし、社領五百石を寄進され、社殿及びその他の造営に心力をつくされた。
正保3年(1646)10月、類焼により社殿は焼失したが、寛文7年(1667)将軍家綱の命により、久世大和守広之が社殿を造営し現在に至る。形式は三殿を横につらねた朱塗りの相殿造りで、屋根は流造りであり、慶応年間に檜皮葺ひわだぶきが銅葺に改められた。本殿は都文化財に指定されている。
明治元年(1868)勅祭社に準ぜられ、同7年(1874)県社に列し、同18年官幣小社に列せられた。
当社はもともと大國魂神社と称したが、中古以降、武蔵の総社となり、又国内著名の神六所を配祀したので「武蔵総社六所宮」の社号を用い、 明治4年(1871)にもとの社号に復し「大國魂神社」と称するようになった。
当社は神威殊に顕著であるので、古来より崇敬者は、武蔵の国はもちろん、関東一円に亘っている。
5月5日には例大祭が行われるが、この祭が有名な国府祭で、当夜八基の御輿が古式の行列を整え、消燈して闇夜に御旅所に神幸するので、俗に「くらやみ祭」といわれている。昭和36年(1961)より御輿の渡御は夕刻に改められた。
《※注》
一ノ宮 小野神社 東京都多摩市一ノ宮
御祭神・・・天ノ下春命(国造の祖神)
二ノ宮 二宮神社(小河神社) 東京都あきる野市二宮
御祭神・・・国常立尊
三ノ宮 氷川神社 埼玉県さいたま市大宮区高鼻町
御祭神・・・須佐之男命・稲田姫命・大己貴命
四ノ宮 秩父神社 埼玉県秩父市番場町
御祭神・・・八意思金命・知知夫彦命・天之御中主神
五ノ宮 金鑚神社 埼玉県児玉郡神川町二ノ宮
御祭神・・・天照大神・素戔鳴尊・大和武尊
六ノ宮 杉山神社 神奈川県横浜市緑区西八朔町

祭事次第、御由緒は、画像を除き大国魂神社のHPからの引用です。

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2017.05.03

散策中に見かけた草花(2017年4月)

いっせいに咲き始めた花々、そして新緑・・・いい季節ですね!

写真は、スマホで撮ったものです。
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黄色い花が咲くんですね!
赤い実もそろそろ・・・・
ヘビイチゴ(蛇苺)
名の由来
へびが出そうなところに生え、へびが食べそうなイチゴと例えたことから。
無毒、無味、食用不向き

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ひとりしずか(一人静)
その姿を静御前に重ねてつけられたもの。

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しろばないかりそう(白花碇草)
白い碇に似た花を咲かせることからこの名が付いた。

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しらねあおい(白根葵)
日光の白根山に多く見られ、花がたち葵に似ることから命名された。

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たんちょうそう(丹頂草)

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ほうちゃくそう(宝鐸草)
花の形や下垂する姿が、お寺の軒先に吊り下げられている宝鐸に似ていることから名付けられた。

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ゆきやなぎ(雪柳)

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はなずおう(花蘇芳)

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しばざくら(芝桜)

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しゃが(著莪)

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菜の花畑 

新緑の公園
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2017.04.16

桜、小田原城、御幸の浜 2017年4月

小田原城には何度か行っていますが、平成の大改修完了ということなので、この桜の時期に行ってみようと・・・
11時前に小田原駅に到着。
駅前商店街を通り抜けてお濠沿いの桜並木を歩き、学橋から小田原場内に入りました。

二の丸広場にも桜並木があって、眺めながら通り抜け銅門、馬出門周辺を散策。
常盤木橋を渡って階段を上り常盤木門をくぐると本丸広場にピカピカの天守閣がそびえます。

本丸広場には、売店休憩所があり、桜の下ではビニールシートを敷いて宴会?の人達も居ました。上野ほどではないですが・・・
私も桜の下のベンチに座ってのんびり昼食。

その後、遊園地に下りて・・・ここの桜も見事に咲き誇り、桜越しに見る天守閣は絶景でした。

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学橋と桜。

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二の丸広場の桜並木。

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常盤木橋


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本丸広場で・・

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遊園地から天守閣を望む。

小田原城の前身は、室町時代に西相模一帯を支配していた大森氏が、現在の県立小田原高等学校付近の高台(八幡山)に築いた山城でした。城の規模や築城年は明らかになっていませんが、15世紀の中頃に造られたのではないかと考えられています。 15世紀末、伊勢宗瑞(後の北条早雲)が小田原に進出し、以後、北条氏が5代約100年にわたって関東での勢力を拡大していきました。小田原城は、関東支配の中心拠点として整備拡張され、豊臣秀吉の来攻に備え城下を囲む総延長9kmに及ぶ総そうがまえ構の出現に至ってその規模は最大に達しました。 しかし、天正18年(1590)、石垣山一夜城の築城をはじめとする秀吉の小田原攻めにより北条氏は滅亡し、戦国時代が終焉を迎えました。 北条氏滅亡後、徳川家康に従って小田原攻めに参戦した大久保氏が城主となり、城は近世城郭の姿に改修されました。その後、大久保氏の改易にあたり、城は破却されましたが、稲葉氏の入城の際に再整備され、城の姿は一新されました。 貞享3年(1686)に再び大久保氏が城主となり、小田原城は東海道で箱根の関所を控えた関東地方の防御の要として幕末に至りました。 小田原城は、明治3年(1870)に廃城となり、明治5年までに城内の多くの建物は解体されました。後に、小田原・足柄県庁・神奈川県支庁の所在地となり、さらに明治34年には、二の丸に御用邸が建てられました。しかし、大正12年(1923)9月の関東大震災により御用邸のほか石垣もほぼ全壊し、江戸時代の姿は失われてしまいました。 その後、昭和9年(1934)に隅櫓が再建され、昭和35年(1960)5月には廃城以来90年ぶりに市民待望の天守閣が復興されました。続いて昭和46年(1971)3月に常盤木門が、平成9年10月に銅門、平成21年3月には馬出門が完成しました。 小田原城は、昭和13年(1938)8月に二の丸・三の丸の一部が、昭和34年(1959)5月に本丸と二の丸の残り全部が国の史跡に指定されています。


帰るにはまだ早いと思って・・・
御幸の浜に寄り道、もう一度小田原城に行き、夕方小田原駅に戻りました。
御幸の浜には人影もまばら、犬を連れて散歩する老人、小石を拾うアベック、男女4人組の外国人、その他数人という風景。
私も小一時間柔らかい陽射しの下、海を眺めてのんびり過ごしました。
潮騒のリズムは心地いいですね〜 

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御幸の浜


小田原の桜は、まだ数日は持ちこたえそうです。
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駅に戻って天守閣を振り返る。


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2017.04.12

東博庭園開放と上野さくら祭り。

東京国立博物館春の庭園開放
2017年3月14日(火)~2017年5月7日(日)
時間10:00~16:00 ※3月31日(金)、4月1日(土)、4月7日(金)、4月8日(土)は19:30まで

金曜日の夕方、上野に寄り道です。
恩賜公園の桜は満開でしたが、トーハクの庭園の桜は盛りを過ぎていました。
喧騒と静寂です。

本館では「博物館でお花見を」が開催されていました。(4/9まで)
こちらは、事前に観ていたので、今回は展示会場をざっと一巡しただけですが、空いていました。

この日(4/7)は、庭園内で何か行事があったのでしょうか、茶室方面は通行禁止になっていて、ほんの一部のみの開放でした。

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トーハク庭園

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トーハク庭園

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トーハク庭園


東博の庭園開放(この日は部分開放)

トーハク動画ナビ。

東京国立博物館 庭園と茶室。
TokyoNationalMuseum

HPから。

本館北側の庭園を公開します。由緒ある5棟の茶室が点在する庭園を散策してみませんか。ソメイヨシノをはじめ、オオシマザクラ、ヤエベニヒガン、エドヒガンシダレなど、約10種類の桜が次々と開花する庭園は、1年でもっとも美しい花の園になります。
今年は特別に、例年より長い期間お楽しみいただけます。

3月31日(金)、4月1日(土)、4月7日(金)、4月8日(土)は19:30までライトアップを実施します。
※ ライトアップ時間(16:00~19:30)中は、本館側のみ立ち入り可能となります。

特別展「茶の湯」の開幕にあわせて、2017年4月11日(火)~5月7日(日)の期間、茶室「転合庵」の内部を外からご覧いただけます(4月15日(土)、30日(日)を除く)。

日程 2017年3月14日(火) ~ 2017年5月7日(日)
時間10:00~16:00 ※3月31日(金)、4月1日(土)、4月7日(金)、4月8日(土)は19:30まで
会場庭園
入口入口は2ヵ所あります。
(1) 本館を正面に見て右側、レストランゆりの木側の入口
(2) 本館を正面に見て左側、平成館との間の入口
料金入館料のみでご覧いただけます。
カフェMOTOYA EXPRESS
桜の美しい庭園を眺めながら、優雅なコーヒーブレイクを。
※3月31日(金)、4月1日(土)、4月7日(金)、4月8日(土)は18:00まで
(ラストオーダーは閉店の15分前)
※庭園開放中止の場合は休み
注意事項お茶室の中に入ることはできません。また、お茶室貸出利用時はお茶室を間近でご覧いただけない場合もございます。
悪天候の時は庭園開放は中止となり、その翌日も庭園の状態により中止する場合があります。
庭園開放中止の場合は、正門の掲示にてお知らせいたします。


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うえの桜まつり

上野公園一帯には約1200本の桜があります。
上野の桜は、かつて寛永寺を創建した天海僧正が吉野山から桜を移植したことから始まります。以来、江戸一番の桜の名所として今日に及びます。

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東照宮参道

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桜並木


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トーハクの本館を遠望。


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清水堂

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弁天堂参道

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ボート池

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桜並木に日が暮れて・・


上野恩賜公園
東照宮参道→桜並木→清水堂→弁天堂参道→ボート池→夕刻の桜並木。

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2017.04.05

皇居東御苑2017年4月

昨日、国立近代美術館(竹橋)の企画展を観に行ってきました。

午前中は皇居東御苑の桜、午後から国立近代美術館という、この季節での習慣になっているコースで・・・・。

大手門から入り、三の丸尚三館で企画展を観て、本丸、天守台、二の丸庭園と歩いて、平川門から出ました。
そこから国立近代美術館に行きました。
(本丸の芝生に座てコンビニ弁当で昼食、ゴロンと横になって・・休憩。気持ちよかったですよ!)

桜は、今週末が一番の見ごろかもしれませんよ、天気が心配ですが。
(満開の天城吉野ももちそうです)


ミラーレス一眼を持っていきましたので、撮ってきました。
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大手門

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三の丸尚三館玄関

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本丸に向かう・・・

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本丸(芝生広場)

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満開の天城吉野

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天守台

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二の丸庭園

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平川門

皇居東御苑

帰り際にチョット千鳥ヶ淵の桜も・・・


皇居東御苑2017年4月

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2017.04.03

春の東京いい庭キャンペーン

ある公園に行ったら、この様な冊子が置いてありました。

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春の東京いい庭キャンペーン
キャンペーン期間 平成29年3月18日~4月16日
発行 「公益財団法人東京都公園協会」 平成29年2月

27の庭園が掲載されていますが、そのうち11の庭園には行ったことないな~、なんて。

季節を選んで全踏破しようかと・・・・

新宿御苑、代々木公園などの公園も含めると、都内に憩いの場所は沢山ありますね。

根津美術館、トーハクの庭も載ってます。
美術館の庭って、結構好きでよく歩きます。

日本庭園は、外国人観光客にも人気の様で、こんなところにも・・・・と思うことがあります。

桜の時期には、「さて今年はどこの桜を見に行こうか」と迷うほどですね!

昨日(日曜日)帰宅の途中に代々木公園に行ってみましたが(行こうとしましたが)明治神宮から代々木公園に向かう歩道は人の渋滞で動きません。
諦めて帰宅しました!
近頃休日の渋谷・原宿の雑踏は異常レベルです。

私が渋谷区立中央図書館に通っていたころは、夜の竹下通りなんて、さみしくなるほど人通り無かったんですけどね~

外国人観光客も、銀座、六本木より渋谷、原宿、新宿に興味ありなのでしょうか?
明治神宮なんて日によっては半分程度は外国人ですね。

遠方にいかなくても、気軽に公園でのんびりもお勧めです。
混んでないといいのですが・・・
実は、近所の公園が一番だったり・・・


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2017.04.01

散策中に見かけた草花(2017年3月)

梅の花は、ほぼ散りましたが、木瓜の花は満開、椿も咲いています。
桜の季節になりました。
そして、様々な草花の開花です。
(以下の写真はスマホで撮りました)


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はねず(朱華(庭梅))
にわうめのことと言うのが有力な説。はねず色とは薄いオレンジ色のことと言われる。


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コブシ(辛夷)の木


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コブシ(辛夷)の花


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しでこぶし(四手辛夷)の花


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タンポポ(蒲公英)


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みつまた(三叉)


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シロバナタンポポ(白花蒲公英)
葉は野菜、花は天ぷらとして食用にできる。また、タンポポの根は、母乳の出をよくする効果がある。
(日本在来種)


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エノコログサ(狗尾草)
俗称(ネコジャラシ)


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じんちょうげ(沈丁花 )


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カタクリ(片栗)


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ナノハナ(菜の花)
摘み立ては美味!


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すずらん (鈴蘭)とはなにら(花韮)


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すずらん (鈴蘭)
有毒植物ですね。


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ヒイラギ(柊・疼木・柊木)
葉のとげとげに触れると痛い!


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オオイヌノフグリ(大犬の陰嚢)


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たんちょうそう(丹頂草 )
だと思うのですが?


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てっぽうずいせん(鉄砲水仙)


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りきゅうばい(利休梅)
何故この名が?
茶花としてよく利用されることから・・・らしいです。
(当初、一休梅と記してしまいました、訂正しました。)


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おうばい(黄梅)

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2017.03.02

散策中に見かけた草花(2017年2月)

早咲きの梅は散り、遅咲きの梅が満開です。
気分的には、春の予感ですね!

2月は風の強い日が多いんですね・・・・、伊豆大島の椿祭りに、行った日は強風の中での見物でした。
伊豆大島日帰りツアーに参加してきました。

曽我梅林の梅まつりに行った日はポカポカ陽気でした。
曽我梅林に行ってきました。(2017年)


2月も街や公園を歩きながら、咲いている花を見つけては、スマホで撮りました。

201702
アタミカンザクラ(熱海寒桜)


20170301
ハナニラ(花韮)
セイヨウアマナ(西洋甘菜)


20140304
ツバキ(椿)


20170302
サンシュユ(山茱萸)


201703
ベニバナトキワマンサク


201704
ボケ(木瓜)


201705
アセビ(馬酔木)


201706
スイセン(水仙)


201707
カンザキアヤメ(寒咲菖蒲)

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