2018.07.09

第31回 下町七夕まつり 2018-07

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上野に出かけたついでに、下町七夕まつりにも行ってきました。

第31回は、平成30年7月5日(木)〜9日(月)に開催。
7月7日(土)、8日(日)の両日は、通り全体が歩行者天国。


猛暑に、W杯サッカーTV観戦の寝不足が加わってバテバテでしたが・・・

都心のお祭りは、押し並べてパターン化して(出店なども)つまらなくなってきているのに比べて、「昔のお祭りってこうだったよね」と思わせてくれる、手作り感たっぷりの楽しいお祭りでした。

但し、大変な人気のお祭りのようで、混んでました!
浴衣姿の外国人も目立ち「これは針金細工ですか?」とたどたどしい日本語で話しかけられたのには驚きました。
何処で得た知識なのでしょうね?

(HPから)
浅草六区の西から道具街を横切り、上野にかけて約1.2km続く「かっぱ橋本通り」にて毎年催される、下町七夕まつり実行委員会主催のお祭りです。

たくさんの七夕飾り、地元商店の出店、そして音楽や踊り、様々なパフォーマーが集まり、この長い通り全体が手作り感のある活気で満たされ、商店街が一年で最高の賑わいをみせる晴れの舞台です。


静止画、動画共にスマホで撮りました。

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2018.07.05

瑞巌寺を拝観してきました。 2018-06

平成20年から開始された瑞巌寺平成の大修理並びに震災被害を受けた参道の復旧工事が終了し、平成30年6月24日に落慶法要が挙行されました。(本堂公開は4月から再開)

東日本大震災発生半年後にも訪れましたが・・落慶法要の日の午後再訪してみました。

落慶法要の関係でしょうか?それとも観光客が確実に戻ってきているのでしょうか?
土曜日のホテル空室は、仙台駅周辺も含めてほぼゼロでした。

国府多賀城市の東北歴史博物館に寄り道して・・・午後1時頃松島海岸駅に到着、短い間でしたが楽しく拝観してきました。


瑞巌寺、平泉の中尊寺と毛越寺、山形立石寺の四寺は、巡礼コース(四寺廻廊)になっています。
いずれも慈攪大師円仁開祖のお寺です。

松尾芭蕉ゆかりの地でもあります。
俳句は詠んでいませんが・・・
松島海岸の景観について・・・・
「扶桑第一の好風にして、几洞庭、西湖を恥ず」
瑞巌寺については・・・
「其後に雲居禅師の徳化に依て、七堂甍改りて、金壁荘厳光を輝、仏土成就の大伽藍とはなれりける。」
と記しています。

中尊寺、山形立石寺には松尾芭蕉の立派な碑がありますね・・・


瑞巌寺参道のシンボルとも言える杉並木は、東日本大震災の津波による塩害によって立ち枯れが目立ったことから、約300本が伐採されることになりました。

今回訪れて時には、植え替えが進んでいました。
「津波到達点」の標識は今でもありました。
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参道・杉並木。

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庫裡玄関から入り・回廊を廻り本堂内部も拝見できますが、写真撮影は禁止です。
廻る中で建物外観、枯山水の庭などは撮影できました。

本堂・御成玄関、庫裡・回廊は国宝に、御成門・中門・太鼓塀は国の重要文化財に指定されています。

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庫裡

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中門

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五葉松・登竜門

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本堂
以下、内部の襖絵などは撮影できません、パンフレットからの引用です。
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上段の間
藩主御成りの間。襖絵は長谷川等胤筆
火頭窓の上の「円満」の額は、五代吉村公の筆。

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松に孔雀図(復元部分)狩野左京筆(室内孔雀の間)

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唐戸欄間
根来の工匠刑部一門の作

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臥龍梅・南蛮鉄灯篭(後景は御成玄関・本堂) 

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御成門

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法身屈


五大堂などについては、拙ブログ投稿記事をご参照いただければと・・・
松島 瑞巌寺と伊達政宗展

動画にまとめました。

法要後の余韻を楽しむかのように・・神輿を担ぎ、芸能を披露していました。
後半は福浦橋。渡ったところで引き返してきました。

静止画動画ともミラーレス一眼で撮りました。

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瑞巌寺の沿革(HPから)
瑞巌寺は正式名称を「松島青龍山瑞巌円福禅寺」といい、現在臨済宗妙心寺派に属しております。

開創は平安の初めにさかのぼります。天長5年(828)比叡山延暦寺第三代座主慈覚大師円仁が淳和天皇の詔勅を奉じ、3000の学生・堂衆とともに松島に来て寺を建立しました。この寺は延暦寺と比肩すべき意を持って延福寺と命名され、平泉・藤原氏の外護を受けました。

藤原氏滅亡の後は鎌倉幕府が替わって大檀越となりました。北条政子は当時学徳一世に高かった見仏上人に仏舎利を寄進し、夫の菩提を弔わせています。その仏舎利・寄進状は今に伝わっております。

この天台宗延福寺は鎌倉時代中期、開創以来28代約400年の歴史をもって滅しました。
天台宗延福寺にとって替わった寺は、法身禅師が開山とされ円福寺と命名されましたが、正確な開創年はわかっておりません。
歴代住持の経営努力によってその勢力を岩手県南部にまで伸長していき、寺格も五山十刹に次ぐ諸山から、やがて十刹の高位に昇りました。しかし、戦国時代を経て次第に衰退し、妙心寺派に属するようになりました。

慶長5年(1600)関ヶ原の戦いが終了した後、仙台に治府を定めた伊達政宗は、仙台城の造営と併せて神社仏閣の造営も行い、塩竃神社・仙台大崎八幡宮・陸奥国分寺薬師堂を相次いで完成させました。
当寺の造営は特に心血を注いだ事業でした。用材を紀州(和歌山県)熊野山中から伐り出し、海上を筏に組んで運びました。大工は梅村彦左衛門家次一家や、刑部(鶴)左衛門国次ら名工130名を招き寄せております。工事は慶長9年(1604)、政宗自ら縄張りを行って始まりました。丸4年の歳月をかけ、慶長14年(1609)に完成しております。

伊達家の厚い庇護を受け、瑞巌寺は110余りの末寺を有し、領内随一の規模格式を誇りました。
しかし、明治維新を迎え王政復古の政策は廃仏毀釈を惹起し、さらに伊達家の版籍奉還による寺領の撤廃が瑞巌寺を始め松島の諸寺院を直撃し、零落・廃絶・焼亡等の憂き目を見ることになりました。瑞巌寺はそれでも時の住持太陽東潮の努力により、ようやく維持されていたのですが、明治9年(1876)、天皇の行在所となり、内帑金千円が下賜され、復興の契機となりました。
現存する本堂・御成玄関、庫裡・回廊は国宝に、御成門・中門・太鼓塀は国の重要文化財に指定されております。

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2018.06.30

伊達政宗公御霊屋 瑞鳳殿を拝観してきました。

伊達政宗公御霊屋 瑞鳳殿を拝観してきました。


真夏のような陽気の日、長い参道を歩いて瑞鳳殿に向かいましたが・・・樹齢数百年の杉木立に日差しは遮られ、道のわきに綺麗に咲く紫陽花を眺めながらゆっくり歩くのはとても気持ちのいいものでした。

そして、目の前に現れた桃山様式の御廟はとても美しいもので、伊達家の遺徳を偲ばせるものでした。

仙台駅から「るーぷる仙台バス」に乗って停車場「瑞鳳殿前」で降車。
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るーぷる仙台バス(バス停「瑞鳳殿前」)

杉木立そびえる参道を歩いて瑞鳳院に向かいました。
参道沿いに紫陽花が綺麗に咲いていました。
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石造りの階段は、戦争による焼失を逃れた藩政時代からのもので、その数は、伊達家の禄高(62万石)を表したものと言われます。左右に聳える杉の並木は古いもので樹齢380年余りにもなります。


長い参道を昇りきると「涅槃門」に到着します。
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「涅槃」は広くは「来世」という意味にもなります。
瑞鳳殿の涅槃門は樹齢数百年の青森檜葉を用いて焼失前と同様の豪華な飾り彫刻が施されています。


涅槃門横の通用門?を通り、階段を昇ると拝殿の向こうに瑞鳳殿が見えてきます。
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拝殿

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唐門と瑞鳳殿

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瑞鳳殿
瑞鳳殿は1636(寛永13年)、70歳で生涯を閉じた正宗公の遺命により、その翌年、ここ経ヶ峯に造営された霊廟(墓所)です。桃山文化の遺風を伝える江戸時代初期の豪華絢爛な廟建築として1931(昭和6)年、国宝に指定されましたが、1945(昭和20)年の戦災で惜しくも焼失しました。現在の建物は1979(昭和54)年に再建されたものです。2001(平成3)年には改修が行われ、柱には彫刻獅子頭を、屋根には竜頭瓦を復元し、創建当時の姿が蘇りました。


瑞鳳殿の拝観を終えて、林道を歩き「感仙殿」「善応殿」に向かいます。
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「感仙殿」「善応殿」に向かう林道

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山門

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手前が「感仙殿」向こうに「善応殿」が並んでいます。


感仙殿は、二代藩主伊達忠宗公(1599~1658)御霊屋です。
瑞鳳殿と同じ経緯を経て、1985年(昭和60)年に再建されました。2007(平成19)年 には改修が行われ、彫刻獅子頭の復元が行われました。
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感仙殿

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感仙殿


善応殿は、三代藩主伊達綱宗公(1640~1711)の御霊屋です。
感仙殿とともに再建されました。2007(平成19)年の改修により鮮やかな極彩色となりました。
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善応殿

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善応殿


山門を通り抜けて、次の目的地の仙台博物館に向かうため、バス停に戻りました。
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動画にまとめました。

瑞鳳殿隣には「資料館}が有ります。
発掘資料、瑞鳳殿など再建の経過ビデオの観賞で理解を深めることができます・・・こちらで予備知識を仕込んでから拝観するというのも良いかも知れません。

無料で解説していただけるガイドさんもおられますので・・・こちらの解説も楽しいですよ。


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静止画、動画共にミラーレス一眼で撮りました。

拝観時に頂いたパンフレットの解説を引用しています。


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2018.06.28

仙台の博物館と伊達政宗ゆかりの地を巡ってきました 2018-06

仙台東北歴史博物館で開催されていた(24日で会期終了)
東日本大震災復興祈念特別展「東大寺と東北-復興を支えた人々の祈り」の最終日に行ってきました。
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偶然ですが、購入した図録見開きに・・・東大寺のお坊様から揮毫して頂くことができました。
とても良い記念になりました。
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この展覧会鑑賞を切っ掛けに「国宝 瑞巌寺」「仙台市博物館」「瑞鳳殿」「国宝 大崎八幡宮」と巡ってきました。

仙台東北歴史博物館は初めての訪問ですが、東北本線国府多賀城駅に隣接していて分かり易くて助かりました。
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東北本線国府多賀城駅ホームから・・・
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東北歴史博物館正門入口

企画展鑑賞後、瑞巌寺まで最も早く行けそうなルートを検索しました。
東北本線で塩釜駅に行き、
塩釜駅から仙石線西塩釜駅まで徒歩で向かい、
西塩釜駅から松島海岸駅に・・・というルートが早いと思い選択。
徒歩ルートに不安はありましたが、標識通りに歩いて迷わず行けました。
誰一人すれ違う人はいませんでしたが。

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仙石線松島海岸駅

当日は、瑞巌寺本堂の平成大修理落慶法要の日でもありました。
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祭事も終了して・・・

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瑞巌寺参道


東日本大震災の年の9月にも訪れていますが、瑞巌寺本堂内部は見ることができなかったので、この日を楽しみにしていました。
落慶法要が行われた日の午後のせいでしょう・・・大混雑でした。(少々残念)
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本堂拝観待ちの行列

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別の日、
るーぷる仙台バス利用で、瑞鳳殿、仙台博物館、大崎八幡宮をめぐりました。

るーぷる仙台は、仙台市内観光の定番で平日は20分間隔で(休日は15分間隔)で観光地を約1時間10分かけて一周します。(折り返しなしの一方通行なので、計画的に・・・・)
(過去に美術館、メディアテーク、城址公園に行ったときにも利用しましたが、今回は大変混んでいて、場所によっては乗り切れない観光客もいました。外国人観光客がここにも増えたため?・・・・)
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るーぷる仙台バス

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瑞鳳殿((伊達政宗霊屋(おたまや))

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瑞鳳殿((伊達政宗霊屋(おたまや))

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仙台博物館


仙台博物館訪問の主目的は、
仙台博物館テーマ展示室Ⅱ
ユネスコ記憶遺産・国宝慶長遣欧使節関係資料
の観賞です。
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仙台博物館テーマ展示室Ⅱ

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大崎八幡宮

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大崎八幡宮
大祓式準備で?テントが張られていて景観が台無し・・・がっかりです。

個別関連投稿は後程、のつもりですが・・・・

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最近は、あまり多くの場所に行かず、2か所ぐらいでじっくり鑑賞するようにと、心がけているのですが・・・せっかちな性格は、なかなか治らず、今回も反省です。
博物館でもっと時間をとればよかった・・・
松島海岸で、のんびり過ごしたかった・・・

いつの日か、また訪れる・・・ということで。

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2018.06.10

築地波除神社「獅子祭」 2018年

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築地波除神社「獅子祭」に行ってきました。
今年は三年に一度行われる本祭りです。

今週は「鳥越祭」そして「山王祭」の二年に一度の本祭り。

迷いましたが今年は築地にしました。
9日の渡御祭(宮神輿・厄除天井大獅子・弁財天お歯黒獅子御巡行)に参戦です。

普段でも人気の築地、この日は気温30℃の暑さと人混みに・・・数時間の滞在で退散でしたが、築地の個性がふんだんで楽しいお祭りでした。

今日(10日)はあいにくの雨ですね。
「御神楽祭・町内神輿連合社参」も楽しそうですが・・・・


築地市場は今年10月豊洲に移転することが決まっていて、派手に送り出そうと100年ぶりに「船渡御」が復活、6月8日に行われました。(ちなみに築地場外市場はこの場所に残ります)
宮神輿を台船に乗せて町衆とともに、隅田川を行き来して海の平安を祈願しました。
台船から降ろされた宮神輿は浜離宮に造営した「御旅所」で一泊し、9日に築地の町を練り歩きました。

(朝日新聞DIGITALがyoutubeにアップした動画です。)

浜離宮の一日限りの「御旅所」から場外市場、町中に巡行する宮神輿を追いかけてみました。
主にミラーレスカメラで撮りました。
一部スマホの動画も使っています。

波除神社のご紹介(神社のHPから)
今から350年程前、この築地一帯は一面の海でした。江戸開府(1603)時の慶長江戸絵図には、今の日比谷のお堀の辺りまで汐入を描き、八重洲の海岸に船の役所が見えます。開府前より始まった江戸城西丸の増築に掘られた、お堀の揚げ土を以って日比谷入江から埋め始められた、江戸東南海面埋立は、その後全国の諸侯七十家に千石に一人の人夫を出させ、後にはその埋立の役員の名をとり、尾張町、加賀町等と名附けられました。
 そして70年の後、明暦の大火の後に4代将軍家綱公が手がけた最後の埋立の工事困難を極めたのが、この築地海面でした。堤防を築いても築いても激波にさらわれてしまうのです。

 或夜の事、海面を光りを放って漂うものがあり、人々は不思議に思って船を出してみると、それは立派な稲荷大神の御神体でした。皆は畏れて、早速現在の地に社殿を作りお祀りして、皆で盛大なお祭をしました。ところがそれからというものは、波風がピタリとおさまり、工事はやすやすと進み埋立も終了致しました。萬治2年(1659)の事です。

 人々は、その御神徳のあらたかさに驚き、稲荷大神に 『波除』 の尊称を奉り、又雲を従える<龍>、風を従える<虎>、一声で万物を威伏させる<獅子>の巨大な頭が数体奉納され、これを担いで回ったのが祭礼 『つきじ獅子祭』 の始まりです。

 それ以来今に至るまで、「災難を除き、波を乗り切る」 波除稲荷様として、災難除・厄除・商売繁盛・工事安全等の御神徳に崇敬が厚いのであります。その御神徳はその後も益々大きく、当時辺境の地であった築地も次第々々に開け、現在の如く繁華街となったのであります。


詳細はクリックで築地・波除神社のHPへ


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2018.06.09

薬師池公園の花菖蒲と紫陽花

今年は、桜にしても、牡丹にしても、開花が早かったですね。
そして枯れるまでの期間も短いような気がします。

花菖蒲も、紫陽花もしかり・・・・既に満開です。
毎年の私的恒例?
薬師池公園の花菖蒲、紫陽花を鑑賞、撮影してきました。

花菖蒲は品種が豊富ですが、個体より群生の景色が良いです、好きです。

紫陽花も様々な品種があり、時に宝石のように美しい色味の花に出合います。
日々変化するグラデーションも魅力ですね。

毎年変わらない映像のアップで恐縮ですが、スマホで撮ってきたので・・・

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2018.05.14

鴨の親子その後

朗報です!鴨の子が一羽増えていました。8羽になっていました。
先日は7羽確認できました・・・鴨の親子ウォッチャー?の方が「9羽の子鴨が居たんだけどな~」といっていたので、心配していたのですが。
きっと迷子になっていたんですね~
帰ってきたんですね~
もう一羽加わってくれると本当に安心なのですが・・・・

子鴨は、少し親鴨から離れて遊ぶようになってきました、どんどん成長しますね!

アノ追いかけまわしていた、2羽の鴨は何処へやら、でした。
代わりに、同じ蓮田には鶴(サギ?)がのんびり歩いていました。
平和な景色になっていました。


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2018.05.13

鴨の親子は・・・心配。

お母さんの後を一時も離れずについていく7羽の小鴨、可愛らしくてたまりません!

とばかり言ってられません!
生存競争、縄張り争いが行われていて、ずっと2羽の鴨に追いかけ回されているのです。
そのたびに、親子は離れ離れになり、やがて母鴨が「ここだよ、ここだよ」叫びながら小鴨のもとに戻ってきます。
この繰り返しが、止めどなく繰り返されていました。
「この子供たちを連れて、私にどうしろというのよ」という母鴨の叫びが聞こえてくるようで・・・・

隣の方の「9羽いたはずなんだがな~」の声にドキリ、しんぱいで、心配で・・・・
カラス、蛇、タヌキ?など天敵の存在もあるだろうし・・・・・
「なんとか親離れするまで頑張って」祈るような気持で、この場を離れました。

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2018.05.06

連休合間の報国寺2018-05

少々ご無沙汰の鎌倉報国寺に行ってきました。
連休の合間を狙ったのですが・・・・
当てが外れて混んでいました。

かつて川端康成 が近くに住んでいたことがあり、よく散歩に訪れた報国寺、
歴史の重みを感じながら、このお寺で ゆっくり長時間と思っていたのに~

老若男女、外国人観光客、 ツアー客(団体)で大賑わい・・ この日は外国人の団体が大はしゃぎで騒々しいこと・・・


報国寺のHP「お寺について」
禅とお茶と竹の庭
建武元年(1334年)報国寺開山(仏乗禅師)さまは、現在地に休耕庵を建てて修業なされました。また余暇を得て、詩作を楽しみとしつつ、静かな御生涯を過ごされました。
そのゆかりの御堂跡に、今こんなに美しい竹が生い繁るようになったのです。何卒こころ静かに眺めて下さい。

又この寺の開基は足利家時ですが、上杉重兼も寺の創設にかかわっています。家時から二代後の足利尊氏は室町幕府を樹立し、関東を治めるのに子息基氏を鎌倉公方に据えました。鎌倉では四代九十年にわたって栄えておりましたが、雄途むなしく永享の乱に於いて戦い利あらず、四代鎌倉公方持氏は瑞泉寺塔頭の永安寺において、嫡子義久は菩堤寺報国寺に於いて自害割腹されました。報国寺は関東に於ける足利公方終焉の地であります。

又この谷戸は往時より宅間法眼一派の芸術家達が住いした谷間です。従って現在も宅間谷戸と呼ばれています。
近年では川端康成、林房雄、各氏等々寺領内に住まわれ、特に川端先生は、この山あいのしじまの音なき音を「山の音」と表現されました。

この古都鎌倉では、一木一草が歴史を語り、時代の情念が身に迫る思いが致します。まさに、功名手柄をたてんとて、「いざ鎌倉」と馳せ参じて、武運拙く散って行った若き武士たちに思いを致しつつ、粗茶粗菓ですが茶を喫して下さい。

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歩いてくると、汗ばむ陽気の日でしたが、枯山水の前に佇むと涼風が心地よかったです。
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この横穴式墳墓には、
足利家時(室町幕府開祖、足利尊氏の祖父)、足利義久(四代鎌倉公方、持氏の嫡男、10歳でこの地で自刃。)などの足利一族の墓があります。
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動画です(静止画、動画ともスマホで撮りました)

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2018.04.20

よく歩く道(明治神宮)

原宿や渋谷に行く時は、時間が許す限り小田急線参宮橋駅で降りて、西門から入って、西参道の森を歩いて本殿へ、本殿を出て南参道を歩いて原宿に抜け、そして目的地に向かうようにしています。

原宿から南参道を、ぞろぞろと大勢の人が本殿に向かいますが、参宮橋から本殿に向かう人はまばらで、緑の道をのんびり歩くことができます。

ご存じのことと思いますが神宮の森は人工の森です。
「明治神宮が出来る前はこの辺り一帯は南豊島御料地(皇室の所有地)といって、現在の御苑一帯を除いては畑がほとんどで、荒れ地のような景観が続いていたそうです。」(明治神宮HPから)
100年後には自然の森に・・・・と考えた設計者の思いを感じながら歩くのも楽しいものです。

現在、明治神宮は、鎮座百年を迎えるにあたって改修工事が進められています。
蘇る神社建築を、その変化の過程を観るのも楽しいですよ。
「明治神宮では現在、鎮座百年祭記念事業の一環として御社殿群の銅板屋根葺替え工事を行っております。工事は外拝殿の銅板屋根葺替え工事を終え、内拝殿、本殿へと進んでいきます。(明治神宮HPから)
 
スマホで撮りながら歩いてみました。
西参道の鳥居→本殿に向かう道(西参道)→チョット左の道に寄り道、広場へ→西参道に戻って→本殿→本殿を出て→南門を振り返る→原宿方面へ向かう道(南参道)→日本一の大鳥居をくぐって・・・・・・

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