2019.08.17

「マンモス展」-その『生命』は蘇るのか-

0001_20190817094801
「マンモス展」-その『生命』は蘇るのか-は、
科学未来館で開催されています。
会期  2019年6月7日(金)~11月4日(月・休)

およそ5万年前にアフリカを出て北へと住む場所を広げ始めた新人(ホモ・サピエンス)は、その1万年後にはシベリアにたどり着きます。人類はマンモスやケサイ、トナカイ、バイソン、ヘラジカなどからなるマンモス動物群と出会います。
01_20190815161501
ケナガマンモスのレプリカ

02_20190815162001
チュラプチンスキーのケナガマンモス
体高が285cmで30〜40歳の雄のマンモス。2〜3頭分の骨より組み立てられています。 

03_20190815162601
ケサイ

002_20190815164001
ステップバイソン

001_20190815164101
ホラアナライオン

004_20190815165401  ヒグマ、オオカミ、ユキウサギ、ウマ、クズリ、シベリアビッグホーン(別名ユキヒツジ)
人類はマンモスだけを狩猟していたわけではありませんが。大きな骨格と牙は、日常生活のさまざまな面で役立ちました。肉や内臓を食べるだけでなく、骨格で骨組みをつくり、毛皮でで覆ってテントのような住居を作って暮らしていました。
005_20190815172101  
ヤナRHS遺跡の骨角器

006_20190815172301
ヤナRHS遺跡の石器

 007_20190815172501
トナカイの角でできた銛(上) ケサイの角でできた槍(下)

シベリアにマンモスが現れたのは、およそ40万年前です。そして今からおよそ1万年前に、孤島で生き残ったマンモス以外は、突如シベリアから姿を消しました。マンモスが人類と一緒だったのは2万〜3万年間です。
では、マンモスはなぜ絶滅したのか「気候の変化によるもの」か「人類が滅ぼしたのか」今のところ、どちらの説も根拠となる事実が足りません。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
008_20190815173901
仔ケナガマンモス「ディーマ」(標本)
年代:40,000年前/発掘:1977年6月/
発掘場所:マガダン州 コリマ川上流域

010_20190816065301
仔マンモスのレプリカ(ミュージアムショップで展示) 

009_20190815174801
ケナガマンモスのの頭骨と下顎骨
ケナガマンモスの歯は、上に2本下に2本の計4本です。
草をすりつぶすようにして食べていました。一日に16時間ほどかけて200㎏位食べていたそうです。

ケナガマンモスの毛を触ることができます。細いワイヤの感触でした。
003_20190815175501

マンモスの糞
011_20190816070001
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
マンモスをめぐる旅は現代へと移り、近畿大学先端技術総合研究所の加藤博己博士がロシア連邦サハ共和国の永久凍土で行われた発掘調査の現場を紹介します。本展最初のみどころである「ケナガマンモスの皮膚」や「仔ウマ」、「仔イヌ」など、世界初公開を含む数々の冷凍標本を間近で観察することができます。また、2018 年8 月にロシア北東連邦大学北方応用生態研究所(IAEN)と「マンモス展」チームにより実施された合同発掘調査の一部始終を、「マンモス展」チーフ・プロデューサーが日記形式で楽しく紹介します。(HPから)
0002_20190817101401

世界初公開、日本初公開の冷凍標本
(マイナス20℃以下の冷凍展示ケースで展示されています)
012_20190816073301
ケナガマンモスの皮膚(冷凍標本) 世界初公開
特別重要文化財(ロシア連邦)
年代:31,150年前/発掘:2018年8月12日/
発掘場所:サハ共和国 ベルホヤンスク地区 ユニュゲン

13_20190816073401
仔ウマ「フジ」(冷凍標本) 世界初公開
特別重要文化財(ロシア連邦)
年代:41,000~42,000年前/発掘:2018年8月/
発掘場所:サハ共和国 ベルホヤンスク地区 バタガイカ・クレーター

14_20190816073401 ケナガマンモスの鼻(冷凍標本) 世界初公開
特別重要文化財(ロシア連邦)
年代:32,700年前/発掘:2013年9月/
発掘場所:サハ共和国 ノボシビルスク諸島 マールイ・リャホフスキー島
16_20190816073501
仔イヌ(冷凍標本) 日本初公開
特別重要文化財(ロシア連邦)
年代:12,450年前/発掘:2015年8月/
発掘場所:サハ共和国 ウスチ・ヤンスク地区 スィアラアフ川流域
17_20190816073601
「ユカギルバイソン」(冷凍標本) 世界初公開
特別重要文化財(ロシア連邦)
年代:9,300年前/発掘:2011年8月/
発掘場所:サハ共和国 ウスチ・ヤンスク地区 ヤナ・インジギルカ低地 チュクチャラフ湖

18_20190816073601 ライチョウ(冷凍標本) 世界初公開
特別重要文化財(ロシア連邦)
年代:1,600年前/発掘:2016年8月/
発掘場所:サハ共和国 ベルホヤンスク地区 ユニュゲン


「ユカギルマンモス」(頭部冷凍標本)の実物は冷凍室に展示されています。(この展示だけ撮影不可です)
レプリカがミュージアムショップに展示されています。
19
コカギルマンモスのレプリカ

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この展覧会場で大きなスペースをとっているのが、近畿大学の「マンモス復活プロジェクトです。
この類の展覧会には必ずといっていいほど登場します。
マンモスの正体を知る鍵となるマンモスの「細胞核」を採取する上で直面した困難や、マンモスの細胞核が生命活動の兆候をみせたという発見など最新研究を紹介しています。
研究成果による様々な波及効果、必ず付きまとう生命倫理等にも触れています。
20 21

 

| | コメント (0)

2019.08.14

ムーぜの森(軽井沢絵本の森美術館、エルツおもちゃ博物館・軽井沢) 2019年6月

001_20190814085501
前回投稿、軽井沢タリアセンの近くにミュージアム・パーク「ムーゼの森」があります。
ムーゼの森は「軽井沢絵本の森美術館」と「エルツおもちゃ博物館・軽井沢」を併設する施設です。

絵本の森美術館のまとめ映像です。

絵本の森美術館の、  
第一展示館では、初期から現代まで続く欧米の絵本を常設展示し、その魅力を紹介しています。
他に、名誉顧問で欧米児童文学研究者の吉田新一文庫と日本人絵本画家木葉井悦子氏寄贈作品の展示もあります。
01_20190813073101
第一展示館

02_20190813073201
第一展示館2階展示室。解説展示があります。

03_20190814072401窓からの緑。

第二展示館では企画展が開催されています。
002_20190814085701
04_20190813073501
第二展示館

第3展示館では、ピーター・ラビットの常設展示が行われています(ピーター・ラビットひみつの部屋)05_20190813073601
第3展示館


静かな環境の絵本図書館(1,800冊を超える絵本が閲覧できます)で本を読んで、ピクチャレスク・ガーデンでのんびり花を愛でながら過ごす、このような時間も良いですよ。
06_20190813073701
図書館

07_20190814071501
ピクチャレスク・ガーデン

—HPから—
西洋に端を発し300有余年の歴史に彩られた絵本文化は西洋文化の息づく軽井沢と融合するとの考えから、軽井沢絵本の森美術館は、欧米絵本の創成期から現代まで広く紹介する絵本の専門美術館の先駆けとして、1990年7月に開館いたしました。その後、3期にわたり施設の拡充を行い、現在は15,000㎡の森に3つの展示館、図書館、ショップなどが点在し、自然の中で潤いと安らぎの時間をお過ごしいただけます。また、敷地内の「ピクチャレスク・ガーデン」も、絵本の世界と併せてお楽しみください。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

エルツおもちゃ博物館・軽井沢
03_20190814075401

—HPのから—
「エルツおもちゃ博物館・軽井沢」は、「ドイツ・エルツ地方の伝統的木工工芸おもちゃと、欧州を中心とする知育玩具などを蒐集・展示する専門博物館で、ドイツ・ザクセン州ザイフェン村立「エルツ地方のおもちゃ博物館(Erzgebirgisches Spielzeugmuseum Seiffen)」の姉妹館として、1998年4月に開設いたしました。ドイツ人の質実剛健で伝統文化に対する誇りと、マイスターから生み出される感性豊かな巧みの技術は日本における民俗文化とも通じ、国や地域を超えたモノづくりの精神性は共通できるものと考え、開館に至りました。

003_20190814085601

01_20190814074001

02_20190814074001

| | コメント (0)

2019.08.11

軽井沢テリアセン(ペイネ美術館、軽井沢高原文庫)2019年6月

6月に軽井沢にある九つの美術館を訪れてきました。
その中の一つがペイネ美術館です。
001_20190811085901
01_20190811070501
02_20190811070601


ぺイネ美術館は旧帝国ホテル建設時に来日したアントニン・レーモンドが、昭和8年に建てた「軽井沢・夏の家」と呼ばれるアトリエ兼別荘を移築し、美術館として使っています。
玄関でスリッパに履き替えて、館内を見てまわります。建物とペイネ作品を楽しむことになります。
ペイネ美術館は塩沢湖を中心にした自然豊かな軽井沢タリアセン内にあります。
「軽井沢・夏の家」の他にも旧朝吹山荘「睡鳩荘」などの歴史的建造物が移設されています。
また、軽井沢高原文庫には、野上弥生子書斎、堀辰雄の山荘などもあります。 

01_20190811091601
旧朝吹山荘「睡鳩荘」

01_20190811091901
堀辰雄の山荘

軽井沢タリアセンにはバラ園、遊興施設、レストラン、ショップなどがあります。
まとめです。

 

—軽井沢タリアセンのHPから—
軽井沢タリアセンは
軽井沢町の南に位置する塩沢湖を中心として、美術館や遊戯施設、レストラン、ショップなどが集まった総合的リゾート施設です。軽井沢高原文庫では、この地にゆかりのある作家・詩人の資料を見ることができます。
また、柔らかなタッチで寄り添う恋人たちを描いたレイモン・ペイネの作品を収蔵するペイネ美術館や、深沢紅子による繊細で可憐な野の花の絵が楽しめる深沢紅子野の花美術館があり、静かな森の雰囲気ともあいまって、心穏やかな時間が流れます。
敷地内はレジャー設備も充実。ゴーカートやモノレールでさわやかな風を切るひとときは、家族みんなの素敵な思い出となるはず。

「タリアセン」とは──────────
直訳すれば、ウェールズ語で「輝ける額」という意味です。
もともの語源はケルト神話に由来し「知恵者」であり芸術をつかさどる妖精「タリエシン」から、といわれています。

| | コメント (0)

2019.08.09

サントリー芸術財団50周年 遊びの流儀 遊楽図の系譜

01_20190729185101

サントリー芸術財団50周年 遊びの流儀 遊楽図の系譜は、
サントリー美術館で開催されています。

会期 2019年6月26日(水)〜8月18日(日)

「遊びをせんとや生まれけむ」

この展覧会で遊びの流儀を遡り、「遊びって・・本来こういうことなんだよね」と妙に?関心しました。
展示作品に描かれている「遊び」を探しながら、遊びに加わる人々の表情、周辺の様子を熱心に鑑賞してきました。
まず、「個」で遊ぶというシチュエーションは登場しません。絵にならないから、ということもあるでしょうが、そもそも遊びとは皆で楽しむものなのでしょうね。

屏風等の作品を展示ケースの全面に展示して細部まで見やすいように工夫されているようでした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

琴棋忌書画は君子の嗜みでもあり、沢山描かれてきました。
古の(伝統的な)遊びには貝合、鶯の鳴き声の優劣を比べる鶯合などの鳴合、2種以上の香を薫き合せて香の異同を判別し、その香の名を言いあてる組香などが知られます。さらには蹴鞠小弓打毬に至るまで、平安時代の貴族が楽しんだ雅な遊びが紹介されていて、その遊びに使われる道具も展示されています。

08_20190730070701
《琴棋書画図屛風》 遮莫筆 六曲一双(部分)室町時代 16世紀 個人蔵
【展示期間:6/26~7/22】

一年十二か月の行事や風物を描く「月次絵」には、羽子板雪遊び花見月見など、季節の遊びや祭礼に興じる人々が描かれています。
06_20190730071301
重要文化財 《十二ヶ月風俗図》 一帖のうち(一月)桃山時代 16~17世紀 山口蓬春記念館
【展示期間:6/26~7/22】

「邸内遊楽図屛風」には、庭先における輪舞や、池の舟遊び釣りをする人、蹴鞠小弓に熱中するグループなど、座敷では酒宴に興じる人々、の調理場面も描かれます。風呂場の男と世話をする湯女も。
11_20190730071701 12_20190730071801
重要文化財 《遊楽図屛風(相応寺屛風)》 八曲一双 江戸時代 17世紀 徳川美術館
©徳川美術館イメージアーカイブ / DNPartcom 【展示期間:6/26~7/15】

芝居見世物物見遊山、アウトドアで娯楽尽くし。
09_20190808065001
重要文化財 四条河原遊楽図屛風 二曲一双のうち右隻
江戸時代 17世紀 静嘉堂文庫美術館
©静嘉堂文庫美術館イメージアーカイブ / DNPartcom
【展示期間:7/24~8/18】

遊楽図の諸様相。 三味線が奏でる浮世のリズム、舞踏煙草ファッション文使い・・・・・02_20190730072401 03_20190730072501
国宝 《婦女遊楽図屛風(松浦屛風)》 六曲一双のうち右隻(部分)江戸時代 17世紀 大和文華館

05_20190808071601
重要文化財 本多平八郎姿絵屛風 
二曲一隻 江戸時代 17世紀 徳川美術館
©徳川美術館イメージアーカイブ / DNPartcom
【展示期間:6/26~7/15】

04_20190808072501
誰が袖図屏風 六曲一双のうち左隻 江戸時代 12世紀 根津美術館 【展示期間:7/24~8/18】

異国から伝わったカードゲーム
10_20190809102901
金地うんすんかるた 一揃 江戸時代 17世紀 滴翠美術館 【全期間展示】

Backgammon boardから絵双六まで・・

07_20190809103001

重要文化財 清水・住吉図蒔絵螺鈿西洋双六盤 一合 桃山時代 17世紀 サントリー美術館【全期間展示】

 

展覧会の構成は次の通りです。
第1章 「月次風俗図」の世界  暮らしの中の遊び
第2章 遊戯の源流  五感で楽しむ雅な遊び
第3章 琴棋書画の伝統  君子のたしなみ
第4章 「遊楽図」の系譜(1) 「邸内遊楽図」の諸様相
第5章 「遊楽図」の系譜(2) 野外遊楽と祭礼行事
第6章 双六をめぐる文化史  西洋双六盤・盤双六・絵双六
第7章 カルタ遊びの変遷  うんすんかるたから花札まで
第8章 「遊楽図」の系譜(3) 舞踊・ファッションを中心に

 

—HPの解説—
遊びをせんとや生まれけむ」とは、平安時代末期の歌謡集『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』の有名な一節です。この展覧会は美術のテーマとなった「遊び」に着目し、双六やカルタ、舞踊やファッションなど、男女が熱中した楽しみごとの変遷をながめます。とくに近世初期の「遊楽図」における屈指の名品の数々が一堂に集まり、暮らしと「遊び」のかかわりを探るかつてない機会となります。
古くから主要な画題であった「風俗図」や「遊楽図」には、平安時代以来の貝合や蹴鞠、羽子板など、情趣ゆたかな遊びに熱中する人々が描かれています。また、中世以降には、中国の士君子のたしなみとして奨励された「琴棋書画(きんきしょが)」(琴・囲碁・書道・絵画)の影響を受けて、「琴棋書画図」が屛風や襖絵に数多く制作されました。近世に入ると、花見や風流踊りに興じる開放的な気分にあふれた「野外遊楽図」が流行しますが、江戸時代前期には幕藩体制が安定に向かうとともに、室内で親密に遊ぶ様子を描く「邸内遊楽図」に中心が移ります。画面を眺めると、琴は三味線に、囲碁は双六に姿を変えて、「琴棋書画」の宴に見立てて描かれた遊楽の場面が幾つも見出せます。
現代を生きる私たちは、手中のスマートフォンで音楽やゲームに興じ、メールや画像をやり取りしています。その様子はあたかも、「琴棋書画」が端末1台に完結しているような趣です。しかし、一昔前までは、実際に人々が出会い、集わないかぎり成立しなかった技芸や遊びは少なくありません。
この展覧会は、とくに「遊楽図」の中で遊ぶ一人一人の表情に迫ります。ある時は無邪気に笑顔を交わし、またある時は物憂げに遊び暮らした先人たちの、遊びの極意や、浮世を生きる術に、思いを馳せるひとときをお届けします。

| | コメント (0)

2019.08.04

日本・オーストリア外交樹立150周年記念 ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道

02_20190804051501

日本・オーストリア外交樹立150周年記念
「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」は、
国立新美術館で開催されています。

会 期 2019年4月24日(水)~8月5日(月)

クリムトとシーレの作品を観るが大きな目的の一つだったので一様満足ですが・・・
この展覧会のコピーは、
ウィーン世紀末の全貌をまだ、あなたは知らない。
ウィーン世紀末 — それは新たな始まりだった。   

ウィーンの世紀末文化を「近代化モダニズムへの過程」という視点から紐解く新しい試みの展覧会です。(展覧会の概要から)
絵画、建築、グラフィック、工芸、音楽、ファッション、調度品それぞれ分野での時代を代表する作品の数々に私の能力ではなかなか整理がつかなかった。でもこの規模の作品を集めて見せてくれたのはありがたかったです。

展覧会の構成は次のとおりです。
第1章 啓蒙主義時代のウィーン — 近代社会への序章 —
女帝マリア・テレジアの、息子、皇帝ヨーゼフ2世は啓蒙思想の支持者で、行政や法律、経済、教育においてさまざまな改革を行った。ウィーンは自由な精神をもつ知識人たちを魅了し、ヨーロッパ文化の中心地へと変貌しました。
1-1 啓蒙主義時代のウィーン 
1-2 フリーメーソンの影響
1-3 皇帝ヨーゼフ2世の改革

第2章 ビーダーマイアー時代のウィーン ― ウィーン世紀末芸術のモデル ―
ウィーン会議以降、1848年に革命が勃発するまでの期間は、「ビーダーマイアー」と呼ばれました。人々の関心は「倹しい生活をそつなく送る」私的な領域に向けられました。画家たちは、日常生活や農村風景を描きました。

2-1 ビーダーマイヤー時代のウィーン
2-2 シューベルトの時代の都市生活
16_20190804065401 
《髭剃り用洗面器》 フランツ・ヴァルネーファー 1821年頃 プレス成型された銀 ウィーン・ミュージアム蔵

2-3 ビーダーマイヤ時代の絵画
2-4 フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミューラー — 自然を描く
2-5 ルドルフ・フォン・アルト — ウィーンの都市景観画家

第3章 リンク通りとウィーン — 新たな芸術パトロンの登場
皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の治世の間(1848-1916年)に、ウィーンは帝国の近代的首都へと変貌を遂げ、1857年に皇帝が都市を取り囲む城壁の取り壊しを命じ、新しいウィーンの大動脈となる、「リンク通り(リンクシュトラーセ)」を開通させました。沿道には、古典主義様式の国会議事堂、ゴシック様式の奉献教会、ルネサンス様式の大学などさまざまな歴史主義建築の建物が立ち並び、さらに19世紀末にはウィーン分離派のメンバーによる建物も建設されました。

3-1 リンク通りとウィーン
3-2「画家のプリンス」ハンス・マカルト
13_20190804063501 
ハンス・マカルト《ドーラ・フルニエ=ガビロン》18797-80年頃 油彩/板

3-3 ウィーン万国博覧会(1873年)
3-4「ワルツの王」ヨハン・シュトラウス

第4章 1900年 世紀末のウィーン — 近代都市ウィーンの誕生
カール・ルエーガーがウィーン市長として活躍した時代(1897-1910年)には、さらに都市機能が充実します。路面電車や地下鉄など公共交通機関も発展し、建築家オットー・ヴァーグナーがウィーンの都市デザイン・プロジェクトを数多く提案しました。(HPから)
絵画の分野では、1897年にグスタフ・クリムトに率いられた若い画家たちのグループが、オーストリア造形芸術家組合(ウィーン分離派)を結成、また、1903年には、ウィーン工房が設立されました。 

4-1 1900年 世紀末のウィーン
4-2 オットー・ヴァーグナー  — 近代建築の先駆者
11_20190804055301 
オットー・ヴァーグナー《カール・ルエーガー市長のための椅子》 1904年 ローズウッド、真珠母貝による象嵌、アルミニューム、皮

4-3-1 グスタフ・クリムトの初期作品 — 寓意画
4-3-2 ウィーン分離派の創設
04_20190804052901
グスタフ・クリムト 《パラス・アテナ》 1898年 油彩/カンヴァス ウィーン・ミュージアム蔵

18_20190804070701 
グスタフ・クリムト《第一回ウィーン分離派ポスター》検閲後 1898年 カラーリトグラフ ウィーン・ミュージアム蔵

4-3-3 素描家グスタフ・クリムト

4-3-4 ウィーン分離派の画家たち
05_20190804053701
マクシミリアン・クルツヴァイル《黄色いドレスの女性(画家の妻)》1899年 油彩/合板 ウィーン・ミュージアム蔵

14_20190804064401
カール・モル《朝食にて(母と子)》1903年 油彩/カンヴァス ウィーン・ミュージアム蔵

4-3-5 ウィーン分離派のグラフィック
4-4 エミーリエ・フレーゲとグスタフ・クリムト
01_20190804043001
グスタフ・クリムト 《エミーリエ・フレーゲの肖像》1902年 油彩/カンヴァス
ウィーン・ミュージアム蔵 
この作品は撮影可でした。 

10_20190804054201
《エミーリエ・フレーゲのドレス》複製 ウィーン・ミュージアム蔵

4-5-1 ウィーン工房の応用芸術
4-5-2 ウィーン工房のグラフィック
4-6-1 エゴン・シーレ — ユーゲント・シュティールの先へ
03_20190804051801
エゴン・シーレ《ひまわり》
1909-10年 油彩/カンヴァス 149.5 x 30 cm ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum / Foto Peter Kainz

09_20190804052201
エゴン・シーレ《自画像》 1911年 油彩/板 ウィーン・ミュージアム蔵

17_20190804070001
エゴン・シーレ《美術批評家アルトゥール・レスラーの肖像》 1910年 油彩/カンヴァス ウィーン・ミュージアム蔵

4-6-2 表現主義 — 新時代のスタイル
12_20190804061101
オスカー・ココシュカ《『夢見る少年たち』8.少女リーと私 出版:ウィーン工房 1907-08年 ウィーン・ミュージアム蔵

4-6-3 芸術批評と革新

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

展覧会概要(HPから)
19世紀末から20世紀初頭にかけて、ウィーンでは、絵画や建築、工芸、デザイン、ファッションなど、それぞれの領域を超えて、新しい芸術を求める動きが盛んになり、ウィーン独自の装飾的で煌きらびやかな文化が開花しました。今日では「世紀末芸術」と呼ばれるこの時代に、画家グスタフ・クリムト(1862-1918)やエゴン・シーレ(1890-1918)、建築家オットー・ヴァーグナー(1841-1918)、ヨーゼフ・ホフマン(1876-1958)、アドルフ・ロース(1870-1933)など各界を代表する芸術家たちが登場し、ウィーンの文化は黄金期を迎えます。それは美術の分野のみならず、音楽や精神医学など多岐にわたるものでした。
本展は、ウィーンの世紀末文化を「近代化モダニズムへの過程」という視点から紐解く新しい試みの展覧会です。18世紀の女帝マリア・テレジアの時代の啓蒙思想がビーダーマイアー時代に発展し、ウィーンのモダニズム文化の萌芽となって19世紀末の豪華絢爛な芸術運動へとつながっていった軌跡をたどる本展は、ウィーンの豊穣な文化を知る展覧会の決定版と言えます。

国立新美術館「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」
InternetMuseum

 

| | コメント (0)

2019.08.02

観てきた展覧会備忘録 2019年7月

華めく洋食器
大倉陶園100 年の歴史と文化
会期 2019年6月8日(土)~7月28日(日)
渋谷区立松涛美術館

青のある暮らし ―江戸を染める伊万里焼―
会期 2019年7月2日(火)~9月22日(日)
戸栗美術館

日本・フィンランド外交関係樹立100周年記念 モダン・ウーマン―フィンランド美術を彩った女性芸術家たち
会期 2019年6月18日(火)~9月23日(月・祝)
国立西洋美術館

世界報道写真展2019
会期 2019年6月8日(土)〜8月4日(日)
東京都写真美術館

サントリー芸術財団50周年
遊びの流儀 遊楽図の系譜
2019年6月26日(水)~8月18日(日)
サントリー美術

中山英之展 , and then
会期 2019年5月23日(木)~8月4日(日)
ギャラリー間

唐三彩 ―シルクロードの至宝
会期 2019年6月22日(土)~8月25日(日)
出光美術館


特別展日本の素朴絵 ーゆるい、かわいい、たのしい美術
会期 2019年7月6日(土)~9月1日(日)
三井記念美術館


インプリントまちだ展2019
-田中彰 町田芹ヶ谷えごのき縁起
会期 2019年7月6日(土)〜9月23日(月)
町田市立国際版画美術館

畦地梅太郎・わたしの山男
会期 2019年7月6日(土)〜9月23日(月)
町田市立国際版画美術館


「綴プロジェクト」-高精細複製画で綴るー スミソニアン協会フリーア美術館の北斎展
会期 2019年6月25日(火) 〜 8月25日(日)
すみだ北斎美術館

特別展「江戸のスポーツと東京オリンピック」
会期  2019年7月6日(土)~8月25日(日)
江戸東京博物館


恐竜博2019 The Dinosaur Expo 2019
会期 2019年7月13日(土)~10月14日(月・祝)
国立科学博物館

北海道縄文人 全ゲノム完全解読(礼文島の船泊遺跡から出土した約3800年前の縄文人)
会期 2019年6月29日(土)~7月21日(日)
国立科学博物館


日本・オーストリア外交樹立150周年記念
ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道
会期 2019年4月24日(水)~8月5日(月)
国立新美術館

ジュリアン・オピー Julian Opie
会期 2019年7月10日(水)〜 9月23日(月)
東京オペラシティアートギャラリー

収蔵品展067 池田良二の仕事
会期 2019年7月10日(水)〜 9月23日(月)
東京オペラシティアートギャラリー


マイセン動物園展
会期 2019年7月6日(土)〜9月23日(月・祝)
パナソニック汐留美術館


日中文化交流協定締結40周年記念 特別展「三国志」
会期 2019年7月9日(火)~9月16日(月)
東京国立博物館

 

野球殿堂博物館にも行って来ました。

| | コメント (0)

2019.07.31

ジュリアン・オピー(Julian Opie)展

ジュリアン・オピー(Julian Opie)展は、
東京オペラシティ アートギャラリーで開催されています。

会期  2019年7月10日[水]─ 9月23日[月]

シンプルでポップ。
部屋を整理して、オピーの作品を一つ置いたらと想像して・・・気分一新、軽やかの気分になるかも。
でもこのサイズは無理ですよね。
左下に女性が写り込んでいます(作品に同化しちゃってます?)

05_20190731061201
Walking in New York1 壁面にエマルジョン塗料、塗装した木材 2019

04_20190731061201
Working in Boston3 壁面にエマルジョン塗料、塗装した木材 2019

まん丸顔に、太い輪郭線で 身体全体を描いています。シンプルでありながらそれぞれの個性が良く表現されていますよね。
オピーはモデルのあらゆる動作を写真に納めて、個性際立つフォルムを探し作品に仕上げています。

03_20190731062501
(左)Towel (右)Headphones  オーバーレイのアクリルパネル 2018

09_20190731072301
Telephone  青銅、石の台座 2018 熊谷正寿氏蔵

作品に使われている素材にも注目です。アクリルパネル、ナイロン、アルミに自動車用塗料、塗装した木材など身近にあるものです。
オピーの制作意図が分かります。

06_20190731070001
Towers1 アルミニュームに自動車塗料 2018

07_20190731070001
Rever3  アルミニュームに自動車塗料 2019

コンピューター・アニメーション作品も登場、シンプルフォルムの人々が歩いています。妙にリアルです。
10_20190731073301
Wolking in London コンピューター・アニメーション LEDスクリーンン

展示風景です。
01_20190731070101 02_20190731070301
08_20190731071001

—HPの解説—
イギリスを代表するアーティストの一人、ジュリアン・オピー(1958- )。点と線という最小限の視覚言語で構成された人物像やポートレート、風景などが、絵画、彫刻、映像そしてインスタレーションとして展開されます。オピーは1980年代よりヨーロッパのアートシーンで頭角を表し、その作品が世界の主要な美術館に所蔵されるなど、現代アートの歴史を語るうえでも欠かせない重要な存在となっています。
グラフィックデザインやアニメーションともシンクロするオピーの平面作品は、絵画という枠にとどまらないハイブリッドな魅力に満ち溢れています。また、オピーは日本の浮世絵のコレクターでもあり、輪郭線を強調した彼の特徴的な作風も浮世絵から着想を得ています。
ジュリアン・オピーの作品は、さまざまなジャンルが融合し、グローバル化がますます進行する現代において、重要な示唆を与えてくれることでしょう。

| | コメント (0)

2019.07.27

唐三彩 ―シルクロードの至宝

01_20190725190101
「唐三彩 ―シルクロードの至宝」は、
出光美術館で開催されています。


会期 2019年6月22日(土)~8月25日(日)


これだけ纏まった唐三彩を鑑賞するのは、久しぶりというか、初めてのような気がします。
丁寧な解説が理解を深める手助けをしてくれます。

王侯貴族の葬礼に際し、来世での使用のために墳墓内に納められた唐三彩は、文字通り唐時代(618 - 907)主に緑釉・褐釉・白釉(透明釉)で彩色された陶磁器作品です。さらにコバルトを用いた藍釉を施した作品も加わります。

施釉陶器を墳墓の副葬品として埋納する風習が広まった漢時代(206 B.C.-A.D.220)から南北朝(439 - 589)、隋(589 - 618)時代、そして中国陶磁を代表する存在となった唐三彩。
シルクロードを通じた東西の交流から生まれた唐三彩のフォルム。
さらに中国周辺の国々で作られた作品を紹介して、三彩陶磁器の系譜を、全容を概観しています。

展覧会の構成は以下の通りです。
プロローグ 三彩への道
第1章 唐三彩 ―シルクロードの至宝
02_20190727111501 
三彩胡人 中国 唐時代 出光美術館
胡人、つまり外国人の俑である。俗に深目高鼻と呼ばれる特徴や髪が巻き毛になっているなど、エキゾチックな胡人の特徴が良く表現されています。(キャプションを参考にしています)
 
03_20190727111801  
三彩馬 中国 唐時代 出光美術館
西方伝来のプロポーションのよい優良場にさらにエキゾチックな趣を加えている。馬の俑も、駱駝とともに明器として好んで墓に副葬された唐三彩を代表する動物俑である。(キャプションを参考にしています)

04_20190727110301
三彩騎駝人物 中国 唐時代 出光美術館
駱駝に騎乗する胡人の俑である。先のとがった帽子、褐色の長いブーツを履くなど、イラン系のソグド人を表していると思われる。(キャプションを参考にしています)

07_20190727110501
三彩貼花文壺(万年壺)中国 唐時代 出光美術館
このような壺は、死後の世界での未来永劫に続く飲食を支えるための食物を蓄えた明器の壺ということで、万年壺と呼ばれる。(キャプションを参考にしています)

05_20190727113001  
三彩蓮花瑞鳥文三足盤 中国 唐時代 出光美術館
型づくりの平縁の盤である。底部には3本の脚がつく。このタイプの三脚付き盤は唐三彩として作例も多い。(キャプションを参考にしています)


第2章 伝統と革新の融合 ―唐三彩の諸相
06_20190727110901
三彩貼花騎馬人物文水注 中国 唐時代 出光美術館
色鮮やかな三彩の水注。西方より伝来した素材の異なるこのタイプの水注の特徴を兼ね備えた三彩水注である。(キャプションを参考にしています)

第3章 遼三彩とペルシア三彩
08_20190727111201
三彩印花牡丹文稜花長盤 中国 遼時代 出光美術館
型作りで印花装飾が施された稜花形の長盤は遼時代の三彩作品に多く見られる。このような遼花長盤は金属器の盤に倣ったものと考えられる。(キャプションを参考にしています)

エピローグ 三彩スタイルの系譜 

 

—HPの解説—
20世紀初頭の中国で鉄道敷設工事中に偶然発見され、その存在が知られるようになった唐三彩。その名の通り、唐時代(618 - 907)に緑釉・褐釉・白釉(透明釉)という三色、あるいは、コバルトを用いた藍釉を加えた多彩な鉛釉をかけ分けた装飾が特徴です。華麗な色釉に彩られた多色釉陶器である三彩は、またたく間に世界のコレクターを魅了し、今では中国陶磁を代表する存在となっています。
この時代はシルクロードを通した東西交流が盛んな時代でもありました。砂漠の貿易商人である胡人(ソグド人)や長距離交易の際の乗り物であったラクダといった異国情緒たっぷりな人物や動物の像、さらには西方伝来のうつわ類を再現した唐三彩は、国際色溢れる当時の雰囲気を私たちに教えてくれます。
また、王侯貴族の葬礼を彩り、来世での使用のために墳墓内に埋納された唐三彩は、当時の陶芸技術の粋をあつめた芸術品でもあり、まさに至宝と呼ぶにふさわしい作品なのです。
本展では、平成21(2009)年開催の「中国の陶俑(とうよう)」展以来10年ぶりに、出光コレクションの唐三彩を厳選し、一堂に展観します。
さらに、中国の周辺、北部草原地帯に王朝を建設した契丹(きったん)族の遼(りょう)と西方のペルシア地方に誕生した独特の三彩(遼三彩とペルシア三彩)、および、唐の滅亡後におこった歴代の王朝(金~清時代)において、制作の伝統が守られながらも、新たに発展してきた多種多様な三彩スタイルの陶磁器もあわせてご紹介します。 陶磁器装飾の一つのスタイルとして、アジア各地で花開いた三彩の美の世界をご堪能ください。

| | コメント (0)

2019.07.23

恐竜博2019 The Dinosaur Expo 2019

0001_20190723072101
恐竜博2019 The Dinosaur Expo 2019は、
国立科学博物館で開催されています。

会期 2019年7月13日(土)~10月14日(月・祝)

この展覧会の見どころは、巨大なデイノケイルスの復元展示と北海道のむかわ町でほぼ完全な形で発見された「むかわ竜」ですね。
そして「羽毛恐竜」の発見、「子育て恐竜」などなど興味は尽きません。今後の新発見を予感・期待させてくれる楽しい企画展です。 

ベンチに座って休憩していると、おばあさんが話しかけて来ました「こんな世界が何で絶滅したんでしょうね?人間はいつまで存在するの?」

地質年代から恐竜の生きていた「中生代」は、「三畳紀」「ジュラ紀」「白亜紀」に分けられます。最初の恐竜が現われたのは、今から2億2千万年ほど前、三畳紀の後半です。三畳紀という時代には恐竜の他にも、海に住む魚竜や空を飛ぶ翼竜が現われ、哺乳類の祖先も登場した時代です。恐竜は、その出現以来、1億6千万年近くも栄えていましたが、白亜紀の末、今からおよそ6550万年前に絶滅してしまいました。
隕石衝突の影響で恐竜は絶滅しましたが、一部は鳥として存続しました。本展の「hapter5 絶滅の境界を歩いて渡る」で詳しく解説しています。

展示会場の解説パネルに沿って・・・
恐竜研究50年史
1969 デイノニクスの命名
恐竜はワニやトカゲのような変温動物ではなく、鳥類のような恒温動物だった可能性が高いことが指摘され、恐竜のイメージが一新。「恐竜ルネサンス」の幕開けとなった。
002_20190722152901
デイノニクス 学名の由来:恐ろしいツメ
テノントサウルス 学名の由来:腱のトカゲ
001_20190722152901
デイノニクスの前足

1970 デイノケイルスの命名
2.4mもある巨大な前足と肩帯が、発見されデイノケイスと名づけられる。
003_20190722153201
デイノケイルスの肩帯と前肢
004_20190722153401 
デイノケイルス 学名の由来:恐ろしい手
0002_20190723072301

1976 鳥類の恐竜起源説
ジョン・オストロムが獣脚類恐竜から鳥類に進化したとする説を復活させた。

1979 子育て恐竜の発見
マイアサウラの発見により、子育てを行う恐竜がいたという可能性が示される。
005_20190722153801
マイアサウラ 学名の由来:よい母親トカゲ

1982 ディノサウロイド
トロオドン類のような恐竜が白亜紀末に絶滅せず進化を続けていたらという仮説がデール・ラッセルにより発表される。
00004
ディノサウロイド(恐竜人間)

1986 分岐分析によって鳥類が恐竜に分布される
恐竜の中に鳥類が含まれるという解析結果が発表される。

1996 「羽毛恐竜」の発見
羽毛をもつシノサウロプリクスが新種として命名される。

1998 風切羽をもつ恐竜の発見
恐竜ですでに風切羽が進化していたことがわかった。

2003 四翼の恐竜の発見
前あしだけでなく後ろあしにも発達した風切羽がある四翼の状態があった証拠が報告される。

2008 オスも抱卵を分担
恐竜のオスも一部の現生鳥類のように抱卵していることが分かる。
0003_20190723081801
006_20190722154301
マクロエロンガトゥーリトゥス 学名の由来:大きな細長い卵石

2010 ついに恐竜の色が明らかになる
羽毛の表面に残るメラノソームから、シノサウロプリクスの尾、アンキオルニスのほぼ全身の色が明らかになる。

2017 新たな分類仮説の提唱
鳥盤類と竜盤類というこれまでの分類に代わる新しい分類仮説が提唱される。130年ぶりに、恐竜の大分類が変わるのか?

2018 恐竜も吐き戻した?
消化しにくいものを塊状にして吐き出すという、鳥類にみられる行動が白亜紀の恐竜で確認された。


北海道では「むかわ竜」が・・・・ 
2003年 北海道むかわ町で、町民男性が部分化石を発見、首長竜の一部として穂別博物館で保管。
2011年 東京学芸大の佐藤たまき准教授が首長竜でないことを指摘、北海道大学の小林快次准教授が恐竜の化石と確認し現地を再調査。
2013年 本格的な発掘開始。
2017年 「国内で最も完全度の高い恐竜全身骨格発見」を発表。
2019年 全身骨格復元、本展公開
007_20190722230001 
「むかわ竜」推定全長8m 鳥盤類 ゲナサウルス類 鳥脚類 ハドロサウルス 白亜紀後期

NHK室蘭放送局のページで詳しい動画が見られます。
立ち上がる「むかわ竜」(NHK室蘭放送局のページに移動します
「むかわ竜」の発見から全身復元骨格の製作・公開まで。その記録を辿ります。
01.むかわ竜がよみがえった
02.化石の町に恐竜
すべて©NHK


展覧会の構成は以下の通りです。
Chapter1 恐竜ルネサンス
Chapter2 ベールを脱いだ謎の恐竜
Chapter3 最新研究からみえてきた恐竜の一生
Chapter4 「むかわ竜」の世界
hapter5 絶滅の境界を歩いて渡る
0005_20190723080101

展覧会場をスマホで撮ってきました。

 

日本館2階回廊、子供の行列ができていました。
「トロオドンとあそぼう」

| | コメント (0)

2019.07.21

北海道縄文人 全ゲノム完全解読(礼文島の船泊遺跡から出土した約3800年前の縄文人)

01_20190721073601
国立科学博物館 日本館2階回廊で行われている科博NEWS展示
「北海道縄文人 全ゲノム完全解析」を見てきました。(〜7月21(日)まで)

縄文人、弥生人のゲノム解析は進んでいて、科博でも何度か企画展が開催されてきました。

日本人は大陸からどのようにして、どのようなルートでこの地に辿り着いたのか?
そして、それぞれの時代の各地の人々に大陸人のゲノムがどの程度含まれるのか?

先日『3万年前の航海 徹底再現プロジェクト、最後の挑戦!』が行われ、丸木舟で台湾から難関黒潮を乗り越えてみごと与那国島にたどり着きました。琉球海洋ルートの実証実験成功です。

 

この展示の、北海道縄文人は大陸集団から別れた後の縄文人で(北海道はかつて大陸と陸続きだった)、旧石器時代に日本列島に入ってきた人々の子孫なのだろうと・・・・・・


以下に展示パネルの内容を、書き写しておきます。
 1.今回の研究の概要

国立科学博物館の研究者を含む国内7研究機関11名からなる共同研究グループは、北海道礼文島の船泊遺跡から出土した約3800年前の縄文人のゲノムを高精度で明らかにし、論文で発表しました。この研究によって、船泊遺跡出土の縄文人がエスキモーなどと同じく高脂質食の代謝に有利な遺伝的変異を持つことや、現代の狩猟採集民と似た集団の遺伝的特徴を持つことが明らかになりました。また現代の東アジアの広い地域の沿岸部周辺の集団と縄文人とのあいだに遺伝的親和性があることも示され、縄文人の起源を考える上で重要な発見となりました。この縄文人が大陸集団から別れたのは3万8千年〜1万8千年前で、縄文時代以前であることもわかりました。縄文人は縄文時代より前の時代(旧石器時代)に日本列島に入ってきた人々の子孫なのでしょう。なお現代の日本人には、この縄文人のゲノムの10%程度が伝わっていることも明らかになっています。 

 

 

2.研究の意義

これまでも全国から出土した数体の縄文人のゲノムが明らかになっていました。しかし、それらの研究では膨大なゲノム情報を部分的に明らかにしただけで、現代人と同じ精度で調べられたわけではありませんでした。古代人のゲノムは、人骨が長い間地中に埋まっているために破壊されてしまっており、今回のような精度の高い分析を行う事は非常に困難なのです。古代人のゲノム解析は2010年頃から行われるようになりましたが、これほどの精度で解析ができた古代人はそれほどなく、アジアでは初めての報告となります。

現代人のゲノム研究は現在、猛烈な勢いで進んでおり、多量のゲノムデータが集積されつつあります。今回の縄文人のデータを、これらのデータと直接比較することで、さまざまな解析が可能になります。現在私たちのもとには、世界中の研究者からこの縄文人のゲノムデータのリクエストが来ています。近い将来、このデータを使った研究が発表されていくことになるでしょう。
002_20190720172501

 

3.船泊遺跡の紹介

北海道の最北端に位置する礼文島には10カ所以上の縄文時代の遺跡があります。今回分析した人骨が発掘された船泊遺跡はその中のひとつです。1998年に町の教育委員会によって大規模な発掘調査が行われ、縄文時代後期の住居後や作業場跡、墓などの遺構と、土器、石器、骨角器、貝製品など大量の文化遺物とともに28体の人骨が発見されました。

今回、ゲノムの分析を行ったのはそのうちの男女2体(23号女性と5号男性)でDNAの残りの良かった女性で、高精度のゲノム情報を得ることができました。

今回の解析では、彼女がCPT1A遺伝子の変異を持つこともわかりました。

この変異は高脂肪食の代謝に有利で、北極圏に住むヒト集団ではこの変異した遺伝子の頻度は70%を超えています。しかし、現代日本人にはこの変異はほぼ存在しません。船泊遺跡の出土遺物の分析から、船泊縄文人の生業活動は狩猟・漁撈が中心であったことが示されており、この変異は彼らの生活様式と関連していた可能性があります。考古遺物から推定される彼らの生活が、遺伝子からも裏打ちされたことになります。

 

 

4.復顔像の紹介

ゲノムの働きを推測する研究の成果

ヒトの持つDNAには、ごくわずかだが個人差があり、ゲノム全体では、おおむね1000文字分のDNA配列につき1箇所の割合で塩基が異なっていると考えられています。集団の内部に見られるこのような変異を一塩基多型(SNP)と呼び 、21世紀になって各個人が持つ膨大な数のSNPを一度に分析する技術が発達したことで、分析が急速に進みました。SNPは広くゲノムの中に散在するので、これを目印にして遺伝子の働きを推測することができます。

例えば、ある病気にかかっている人の集団と、そうでない人たちのSNPを比較するとしましょう。特定のSNPが病気になっている人たちだけに見つかると、その病気の原因となっている遺伝子が、特定されたSNPのそばにあると見当を付けることができます。

この手法は病気の原因となるDNAの変異を見つけるだけではありません。

例えば目の色の違いや、身長の高低、髪がストレートなのか縮れているのか、など、さまざまなな見た目の違いに関するSNPを探すことも可能です。SNPに関する知識が増えていくと、SNPを調べるだけで、その個人の持つ様々な遺伝情報を類推することができるようになります。実際にこのような方法で、現在では多数のSNPと表現型の間の関係が分かっています。

古代人のゲノムを現代人と同じレベルで知ることができれば、このSNP情報からその人がどのような姿形をしていたのか、という情報を取得することも可能になります。今回の縄文人の復元も、このSNPデータをもとに行ったものです。

001_20190720172601 003_20190720173001

プレスリリースはこちら

 

| | コメント (0)

より以前の記事一覧