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2019.09.09

畦地梅太郎・わたしの山男

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「畦地梅太郎・わたしの山男」は、
町田市立国際版画美術館で開催されています。

会期 2019年7月6日(土)~9月23日(月)

畦地梅太郎の作品を、「見たことがない」という人はあまりいないのではないでしょうか。
この展示会場にいると、「山は良いな〜、久しぶりに行きたい」自然にどっぷり浸かりたい、と思ってしまいます。描かれた山男の姿かたち、表情を見て感じるんですから、畦地の伝える力、巧みな表現力は素晴らしい。

展覧会の構成は次の通りです。(会場のキャプションを参考にしています)
1.山男があらわれるまで
都会や故郷の風景を描いていた畦地は、
1937(昭和12)年、噴煙をあげる浅間山を目にし、力強い生命力に深く感動します。これ以降、本格的な登山にとりくみ、山での感動を作品に表現するようになりました。
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《小雪渓》1955年 木版

2.山男誕生
畦地が初めて「山男」を主題とする作品を発表したのは1852(昭和27)年のことです。
畦地の作品が人の目にふれることが多くなると、実際の風景との違いを指摘されることも度々ありました。畦地が作品に意図したことは、そのようなことではありませんでした。畦地は「山男」を通じて自分の気持ちをだしていく、山を歩いて感じたことを彼らの姿をかりて表現するようになります。同じテーマでも、風景から人物へと大きな変化をとげました。

このコーナーでは、山男と「山の道具」「鳥」「のみもの」というくくりで、作品が展示されています。
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《山男(二)》1955年 木版

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《冬の山男》1955年

「登山の道具」
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《白い像》1958年 木版

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《圏谷にたつ人》1967年 木版

「鳥」 
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《鳥のすむ森》1975年 木版

「のみもの」

「抽象」
戦後日本の新しい美術のながれに刺激を受けて畦地も抽象的な表現をします。評価はえられませんでしたが、その後の自由な表現にいかされます。

「火の山 山を下りた山男たち」
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《山の家族》1975年 木版
山男たちは山を下り、家族のもとに帰ってきます。山男の家族は6人、4人の子をもつ畦地と同じです。
畦地は、自分の経験以外のことを作品で発言することは苦手だと語った。作品に表現した「山男の気持ち」とは、畦地自身が毎日の生活のなかで経験し、あるいは考えたものだったのです。


—HPの解説より—
山の版画家・畦地梅太郎(1902-99)は愛媛の農村に生まれました。16才で故郷をあとにした畦地はさまざまな仕事についたのち、 版画をつくり始めました。創作版画運動の先達や仲間たちにならい、都会や故郷の風景を描いていた畦地がたどりついた主題、それが「山」でした。浅間山、石鎚山…、決して大きいとはいえない版画の画面に、大きく力強い山のすがたを描き、「山の版画家」としての評価を確立しました

その畦地の表現を一変させたのが、「山男」の登場です。1952年の国画会秋季展で発表した「山男」の作品は、それまでの山の風景に親しんでいた人びとに驚きを与えました。素朴で温かな山男は人々の心をつかみ、「山男」は畦地作品の代名詞となっていきました。

畦地は自らの表現と造形を追求し、常に先に進もうとした版画家でした。自身が齢をかさね、時代とともに美術表現が移り変わっていくなかでも、自分自身の心をうつものを表現することに真摯にとりくみつづけました。「山男」シリーズを中心とする100点の作品を通して、畦地が「山男」を通じて伝えたかったものは何かを探ります。

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