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2018.09.29

安部龍太郎著 「信長はなぜ葬られたのか 世界史の中の本能寺の変」を読んでみました

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信長はなぜ葬られたのか 世界史の中の本能寺の変
著者 安部龍太郎
2018年7月30日 第一刷発行

イエズス会との断絶はスペインとの断交を意味している。
五か月にも及ぶ交渉でも合意できなかったのは、スペインが明国征服のための兵を出すように求めたからだと思われる、日本にはそれを示す資料は残っていないが、ヴァリニャーノがマニラ在住のスペイン総督にあてた手紙を読めば、そうとしか考えられない。
イエズス会とスペインを敵に回したために、信長政権はとたんに不安定化した。キリシタン大名や南蛮貿易で巨万の富を得ていた豪商たちが、信長を見限りはじめたからである。

信長政権が弱体化したのを見た義昭は、朝廷や幕府ゆかりの大名たちに檄を飛ばし、幕府再興のために兵を挙げるように求めた。これに応じたのが義昭の従兄弟で義兄弟にあたる近衛前久であり、前久の工作によって明智光秀が本能寺の変を起こしたのである。
(中略)
この当時、日本には三十万人のキリシタンがいたといわれている。その五分の一が成人男子だとしても、六万人の軍勢を集めることができる、こうした力を持つ日本のゴットファーザーは、高山右近、中川清秀、黒田官兵衛らであった。
そして彼らはいイエズス会と協力し、信長が光秀に討たれた直後に決起し、光秀を討つことで羽柴秀吉に天下を取らせる計略を立てた。秀吉の中国大返しは、こうして実現したのである。
(本書「はじめに」から抜粋)

浅学の私にとっては、「なるほど〜」と感じ入るしかないようなエピソード満載の楽しい読み物です。
安部龍太郎さんの小説は「等伯」を読んだことがあって・・ストーリー展開も絶妙で読みごたえがありました。
ということもあって、新聞広告でこの本を知り読んでみました。
他の作品も読んでみようかな~

以下に長々と目次を記しますので、その中身を想像してみてください。
この本は、雑誌に掲載した短文をまとめたものなので、この様な目次になっています。


信長はなぜ葬られたのか/目次
はじめに
本能寺の変、二つの真相
信長とポルトガル、そしてスペイン
イエズス会との断絶
中国大返しと日本のゴットファーザー
戦国時代は大航海時代だった 
火薬や鉛玉の調達が生命線

第一章 消えた信長の骨
秀吉は信長を見殺しにしたのか
殺気はらむ信長像
なぜ阿弥陀寺に墓があるのか
飴と鞭で旧勢力を組み入れる
本能寺から運び出された遺骨
近衛前久と朝廷黒幕説
清玉上人が秀吉の申し出を断った理由
遺された信長愛用の手槍

富士山麓に埋められた信長の首
一本の電話と西山本門寺
過去帳にある奇妙な記述
信長殺しの罪を光秀ひとりになすりつけた
馬揃えからわかる強い朝庭との緊張関係
不幸の原因は信長のたたりなのか
生前に位牌を納めた後水尾法皇

織田信長は、桶狭間の前年に上洛していた
朝廷と室町幕府の復権をめざす
朝廷を尊崇していた信長の父
最初の上洛は桶狭間の前年
幕府の令を逆手にとった信長
信長と前久の奇しき因縁
不発に終わった三好包囲網
景虎の関東管領職就任

第二章 信長の真の敵は誰か?
正親町天皇の勅命が、織田信長を滅亡の危機から救った
安土城跡で「清涼殿」が発見された
尊皇の仮面に託した意図
幕末と似た尊皇運動の盛り上がり
関白職を罷免、石山本願寺に潜伏
キリシタン禁制を「気にするには及ばぬ」
信長をおびき出した前久の計略

織田信長の覇業を陰から支えた」元関白
水面下で進められた信長包囲網の再構築
窮地を救った二度目の勅命和議
前久と信長、明智光秀の仲介で和解
乗馬や鷹狩りの腕も一流
にわかに中止された石山本願寺との和議
滅亡に瀕した本願寺を救う
加速する天下統一と公武の軋轢

織田信長を葬り去った闇の人脈
公武の両権を把握する
天下布武への周到なシナリオ
前久も同行した武田討伐
決裂の原因となっ恵林寺焼き討ち
室町幕府再興の謀計
前久と秀吉が手を結ぶ
改竄、抹殺された変の詳細

第三章 大航海時代から本能寺の変を考える
隠された信長
信長のことがわかれば日本がわかる
江戸史観四つの誤り
信仰が人種の壁を飛び越える
ミサと茶席の不思議な共通点
イタリアに学んだ今治城の築城技術
日本人の限界を打ち破った信長
ヴァリニャーノの青春
スペインによるポルトガル併合の影響

キリスト教禁教、イエズス会との断交
明国出兵の要求
スペインと決別した信長
明国出兵の本当の目的
ヴァリニャーノが送った天正遣欧使節
天下をとった秀吉は親スペイン派

第四章 戦国大名とキリシタン
黒田官兵衛の実力とは
戦国時代はキリシタンの時代だった
キリシタン十万の兵の根拠
関ヶ原合戦の全容

加藤清正の経済力
熊本城の築城資金
秀吉も唸った「地震加藤」
現代の商社マンのような才覚

北野大茶会の謎
白湯ばかり出す寺
戦国時代のスペースシャトル
北野大茶会は踏み絵だった
茶室は商談、ビジネスの場
利休の弟子にはキリシタンが多い

毛利家とキリスト教
我らの仲が変わることはない
下関に教会を作る
物言わぬ証人
二千人を超える秋月のキリシタン

ポルトガル船デウス号事件
島原藩主有馬晴信の実像とは
斬首はイエズス会を救うため
キリシタン勢力の一掃

室町幕府終焉はいつか
鞆の浦と足利義昭
高台にあった鞆幕府
キリスト教信仰に理解を示した福島正則
徹底した正則潰し

根強く広まるキリシタン信仰
種子島に眠るカタリナ永俊尼
江戸初期の厳しいキリシタン弾圧
景教は日本に伝わったか?
聖徳太子はキリスト教を学んだ!?

秋田のキリシタン弾圧
佐竹氏とキリシタン
大弾圧と火あぶりの刑
石田三成への内通の疑い
天空から一条の光

徳川幕府とキリスト教
千姫はキリシタンだったのか
石物や灯籠に刻まれた印
イエズス会に騙された秀吉
キリシタンに好意的な秀頼
もし七十万人の信者が蜂起したら
忠輝、長安、政宗を結ぶ線

おわりに「リスボンへの旅」

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コメント

ある種のバイアスによって歴史の解釈も変わってくるのでしょうね。
江戸史観(江戸時代に作られた?歴史観)を見直す傾向もあるようですし、司馬史観(小説イメージの流布)に違和感を覚える方も居るようです。龍馬の実像は・・
昨年受講した古文書講座の先生が「公文書管理、保存をして来なかった日本の歴史」を嘆いていましたが、今現在も変わらないですね。時の権力に不都合な文書は燃やしたり書き換えたりの歴史ですね。

投稿: 内田さんへ | 2018.09.29 22:21

明智憲三郎さんの「本能寺の変」に関する書物も面白いですね。子孫が理系の視点(歴史調査手法)で書いています。

投稿: 内田 | 2018.09.29 21:13

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