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2017.05.30

よみがえる画家-板倉鼎・須美子展

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よみがえる画家-板倉鼎・須美子展は、
目黒区立美術館で開催されています
会期 2017年4月8日(土)〜6月4日(日)

未知の画家板倉鼎の、この展覧会を観に行こうと思ったのは、チラシの作品《赤衣の女》を見たからです。
好きな画家のひとりキスリングの作品が頭に浮かんでのことです。
1
《赤衣の女》  板倉鼎 1929年 キャンバス・油彩 松戸市教育委員会蔵

板倉鼎が参考にしたか否かはわかりませんが、若い板倉鼎がエコール・ド・パリの雰囲気の中で、集う画家から様々の新鮮な刺激を受けて、自分なりの個性を世界に問う所までたどり着こうとした・・・その時期に病を得てしまったのか?
展示作品を観ながらその格闘が垣間見られたような気がしました。
興味深い作品を堪能できたと思っています。

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板倉鼎は1901(明治34)年に医者の家に生まれますが、中学校で洋画家・堀江正章に学び、画家を志します。
医者を継がせたかった父の意向に反し東京美術学校西洋画科に入学した板倉は、岡田三郎助、田辺至の指導を受けました。
在学中の1921(大正10)年には第3回帝展に初入選を果たしています。

1924(大正13)年に東京美術学校西洋画科美術学校を卒業。
翌年にロシア文学者 昇曙夢長女 須美子と結婚。
(媒酌は与謝野鉄幹・晶子です)

結婚の翌年1926年2月、板倉夫妻は、ハワイ、アメリカ本土経由で鼎の念願だったフランス留学を果たします。
ハワイ滞在中には、現地の日本人会の支援で個展を開催しました。

後に須美子は絵を描き始めますが、ハワイ滞在中の思い出が反映しています。

パリで鼎の作品は、今までの写実的な作品から、モダンで大胆な構成の作風に一変します。
1927年には、サロン・ドートンヌ入選、次々と魅力的な作品を発表ししていきました。
そして、日本国内でも気鋭の画家として注目をされ始めた矢先、鼎はパリで病没し(享年28)、須美子も帰国後25歳の若さで亡くなってしまいます。
二人の間に生まれた子供の次女二三(ふみ)は生後1か月余りにで亡くなり、須美子と国に戻った長女一(かず)も2歳と1か月で死去します。

晩年、須美子は有島生馬の指導を受けました。


短い生涯を終えた板倉鼎、須美子ですが、二人をめぐる多彩な人々との濃密な交流の中から、吸収し昇華した感性から生まれた作品は、とても魅力的に思いました。

二人をめぐる人々(本展から)
美術学校の先生岡田三郎助。
媒酌人の与謝野鉄幹、与謝野晶子。
須美子の父、ロシア文学者の昇曙夢と親交のあった中村屋創業者相馬愛蔵。
鼎の死後、パリを出発するまで寄り添った宮本百合子
パリでの友人、岡鹿之助、田邊喜規、後藤禎二、伊原宇三郎

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展覧会の構成は以下の通りです。
1-1 板倉鼎
生誕から須美子との結婚まで
1-2 板倉鼎
フランス留学
2 板倉/昇・須美子
3 板倉夫妻をめぐる人々
鼎と須美子の死

6
《木影》  板倉鼎 1922年 キャンバス・油彩 松戸市教育委員会蔵

2
《静物》  板倉鼎 1927年 キャンバス・油彩 松戸市教育委員会蔵

7
《金魚》  板倉鼎 1928年 キャンバス・油彩 松戸市教育委員会蔵

8
《画家の像》  板倉鼎 1928年 キャンバス・油彩 松戸市教育委員会蔵

9
《黒椅子による女》  板倉鼎 1928年 キャンバス・油彩 松戸市教育委員会蔵

10
《ベル・ホノルル14》  板倉/昇 須美子  キャンバス・油彩 松戸市教育委員会蔵

3
《ベル・ホノルル24》  板倉/昇 須美子 1928年 キャンバス・油彩 松戸市教育委員会蔵

4
《午後 ベル・ホノルル12》  板倉/昇 須美子 1927~28年頃 キャンバス・油彩 松戸市教育委員会蔵

5
《松の屋敷》  板倉/昇 須美子 制作年不詳 キャンバス・油彩 松戸市教育委員会蔵

《展覧会概要》(HPから)
1920年代、共にパリに留学し魅力的な作品を数多く残しながら、惜しくも早世した板倉鼎(かなえ)・須美子夫妻の画業を回顧するとともに、二人と親交の深かった岡鹿之助はじめ、当館所蔵の、同時代にヨーロッパ留学・滞在中の画家たちが描いた作品で学んだ作家たちの作品をあわせて展観し、これまで一般にはあまり知られてこなかった板倉夫妻を中心に、当館がテーマのひとつとしてきた戦前期の「画家の滞欧」の興味深い一側面をご覧いただきます。
本展は2015年10月10日から11月29日まで、松戸市教育委員会の主催で、松戸市立博物館で開催された「よみがえる画家 板倉鼎・須美子展」を参照して、企画構成にあたった同教育委員会の田中典子さんを監修者にお迎えし、主要部分を再現します。また、同時代の滞欧作家たちの作品および関連資料等については、当館所蔵品を中心に新たに構成いたします。

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2017.05.27

大英自然史博物館展

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特別展「大英自然史博物館展」は、
国立科学博物館で開催されています。
会期 2017年3月18日(土)~6月11日(日)

この展覧会は、撮影可です。(条件あり)
スマホで撮影しました。


講演で国立科学博物館の副館長が提示しています。

私たち(国立科学博物館)がこの展示で目指したもの

自然史博物館の過去・現在・未来

自然史博物館は西欧でどのような経緯で誕生したのか?
どのように発展したのか?
現在の自然史博物館の活動はどのようなものか?
そして、自然史博物館はどこに向かうのか?


序章 自然界の至宝~博物館への招待~
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展示風景

1章 大英自然史博物館の設立
1.1 ハンス・スローン 大英博物館の礎
1.2 理性の時代の科学 1650~1800年
1.3 リチャード・オーウェンと大英自然史博物館の創設
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展示風景

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古代エジプトの猫のミイラ。
女神のミイラの生贄だったそうです。


2章 自然史博物館を貫く精神
2.1 カール・リンネと自然界を分類する方法
2.2 比較解剖学の父リチャード・オーウェン
2.3 地球の歴史を解き明かす
2.4 チャールズ・ダーウィンの進化論

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モア

絶滅した恐鳥、オーウェンが存在を“予言”
リチャード・オーウェンは彼の豊富な解剖学的技能を駆使して、このニュージーランド産鳥類の絶滅種を同定しました。彼はこの生物の1つの骨を調査し、ヒトやカンガルー、ゾウガメに及ぶ14種と詳細に比較することで、巨大な飛べない絶滅鳥類の一部であることを正確に予測しました。4年後、多数の骨が見つかったことで、世界はオーウェンの予測が正しかったことに驚くこととなります。(HPから)

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ダーウィンのペットだった若いガラパゴスゾウガメ
ガラパゴス諸島 サンティアゴ島

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ジョン・グールドのセキセイインコ。
この展覧会の第2展示場にも1冊見開きで展示されていますが、ジョン・グールドの鳥類図譜は美術品としても素晴らしい価値がありますね。玉川学園教育博物館が全巻所蔵していて順次展示しています。この鳥類図譜の企画展も過去開催されました。機会があれば、観に行かれることをお勧めします!素晴らしいですよ!

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始祖鳥
ドイツ ジュラ紀後期 1億4700年前

恐竜か鳥類か。議論を呼んだ化石

1861年、最初の始祖鳥化石が発見されましたが、それはチャールズ・ダーウィンが進化論の発表によって論争を巻き起こし始めてからわずか2年後でした。1868年、ダーウィンの強力な支持者として知られるトーマス・ハクスレーは、始祖鳥によって恐竜と鳥類が進化的につながっていたことを提案しました。部分的には恐竜で、部分的に鳥類という始祖鳥は、進化論の議論の中心的な存在になりました。現生種とその祖先にあたる種の中間的な生物が発見されたのは始祖鳥が初めてのことでした。始祖鳥は最古の鳥類化石であることは今日も変わりません。これまでに10個体ほどの標本が発見されていますが、脳と三半規管の形が復元出来るのはこのロンドン標本だけです。
始祖鳥は、今から約1億4700万年前に生息していた、小型の肉食もしくは昆虫食の生きもので、現代の鳥類のような翼と羽毛をもっていましたが、歯やカギツメ、骨で出来た長い尾は恐竜のようです。CTスキャンによって始祖鳥の脳が3次元復元されたところ、始祖鳥は飛行に必要な視覚、平衡感覚、体性感覚を備えていた可能性が高いことが大英自然史博物館の研究者によって明らかにされました
(HPから )


3章 探検がもたらした至宝
3.1 太平洋を越えて
3.2 深海の探索
3.3 南極探検 氷点下の科学
3.4 オーダーされたコレクション
ウォルター・ロスチャイルドとトリング分館
3.5 日本への探検

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展示風景
かつて、Bunkamuraザ・ミュージアムで「バンクス花譜集展」が開催されましたね!
思い出しながら・・・・
(バンクスは、キャプテン・クック探検航海に同行)

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ニホンアシカ

ニホンアシカは日本と韓国の沿岸海域に生息していましたが、日本ではすでに絶滅したとされています。この標本は1896年に横浜の貿易商アラン・オーストンが大英自然史博物館の哺乳類研究者オールドフィールド・トーマスに送ったものです。博物館のアーカイブにはオーストンがこの標本を入手した時に送った手紙と写真が残されており、この個体が千島列島でアシカ類やラッコの毛皮を求めて無謀な収集を行ったヘンリー・スノーによって捕獲されたものだということがわかっています。(HPから)


4章 私たちの周りの多様な世界
4.1 昆虫に見る多様な世界
4.2 変化する社会
~多様性を守るために~

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展示風景

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展示風景

5章 これからの自然史博物館
5.1 地面の中の宝物
5.2 未来の至宝
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ピルトダウン人の頭骨片と下顎骨

人類史を揺るがした大ねつ造
この頭骨片と下顎骨は、科学史上で最も悪名の高い贋作事件であるピルトダウン人に関するものです。1912年の発見当時、それがヒトと類人猿をつなぐミッシングリンク(失われた環)であり、ヒトは類人猿から進化したと宣言されることになりました。1950年代になって、大英自然史博物館でピルトダウン人の新たな研究が行われて、頭骨は現代人のもの、下顎骨は現生のオランウータンのものであることが明らかとなり偽物であることがわかりました。これらはピルトダウンの発掘現場に埋められる前に、古く見せかけるために着色され、また加工もされていました。
 最近行われた高精度の計測と化学分析および3Dイメージングによって、この悪名高い贋作の背後にいる犯人が、ピルトダウン人の発見者であるアマチュアの考古学者、チャールズ・ドーソンであることがほぼ確定的になりました。

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HPの開催趣旨解説。
 大英自然史博物館の誇る8000万点の収蔵標本の中から、世界的にも貴重な「至宝」のコレクション約370点を選りすぐり、一堂に展示するのが、今回の「大英自然史博物館展」です。

同館は、伝統的に主要所蔵品の貸し出しを控えてきたため、これが初めての世界巡回展となります。その最初の会場に選ばれたのが、ここ日本の国立科学博物館です。出品される展示物は動植物、化石、鉱物など多岐にわたり、すべて日本初公開を予定しています。標本を紹介するだけでなく、会場ではさまざまな動画を上映。

「始祖鳥」が化石から復元されて大英自然史博物館内を動き出すなど、現実では起こりえない驚きの映像を見ながら、自然史の魅力に触れていただければと思います。

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この展覧会の公式動画はお勧めです。
内容が豊富で、とても勉強になります。予習、復習に役立ちますよ!

予習してから観に行こうと考えている方は是非、以下の動画を見てから・・・短時間で概要と要点が掴めます。

大英自然史博物館展について

始祖鳥について

日本から英国に渡った標本について

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2017.05.24

大エルミタージュ美術館展 オールドマスター 西洋絵画の巨匠たち

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「大エルミタージュ美術館展 オールドマスター 西洋絵画の巨匠たち」は、
森アーツセンターギャラリーで開催されています。
会期 2017年3月18日(土)〜6月18日(日)

今回のエルミタージュ展は国別ですね。
イタリア、オランダ、フランドル、スペイン、フランス、イギリス、ドイツを代表するオールドマスターの作品が並びます。ハズレはありません!
作品のサイズも見栄えするサイズばかりで、85点じっくり観て回ると結構時間がかかります。

プロローグには、エカテリーナ2世の肖像が展示されていて、この作品のみ撮影可になっていていました。
 18世紀後半にロシア帝国を統治し、その拡大と強化に貢献した女帝として知られるエカテリーナ2世は、エルミタージュ美術館を世界有数の大美術館に育て上げた人物でもあります。(HPから)
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ウィギリウス・エリクセン《戴冠式のローブを着たエカテリーナ2世の肖像》
1760年代 油彩・カンヴァス ©The State Hermitage Museum, St Petersburg, 2017-18

第1章 イタリア:ルネサンスからバロックへ
1
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《羽飾りのある帽子をかぶった若い女性の肖像》
1538年 油彩・カンヴァス
ティツィアーノの多くの作品が展示された展覧会は、今年、昨年と開催されてきましたね!

5
ポンペオ・ジローラモ・バトーニ《聖家族》
1777年 油彩・カンヴァス

第2章 オランダ:市民絵画の黄金時代
8
フランス・ハルス《手袋を持つ男の肖像》
1640年頃 油彩・カンヴァス 

9
レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン《運命を悟るハマン》
1660年代前半 油彩・カンヴァス

第3章 フランドル:バロック的豊穣の時代
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ピーテル・ブリューゲル(2世)(?)《スケートをする人たちと鳥罠のある冬景色》
1615-1620年頃 油彩・板
ブリューゲル「バベルの塔」展が東京都美術館で開催中、見てきましたよ!
(バベルの塔はピーテル・ブリューゲル(1世))

第4章 スペイン:神と聖人の世紀
2
フランシスコ・デ・スルバラン《聖母マリアの少女時代》
1660年頃 油彩・カンヴァス
この聖母マりアは斬新!

第5章 フランス:古典主義的バロックからロココへ
7
ジャン=オノレ・フラゴナールとマルグリット・ジェラール《盗まれた接吻》
1780年代末 油彩・カンヴァス 
ロココ作品は、国立西洋美術館常設展示室にも沢山?展示されていますね!

第6章 イギリス・ドイツ:美術大国の狭間で
6
ルカス・クラーナハ《林檎の木の下の聖母子》
1530年頃 油彩・カンヴァス
国立西洋美術館のクラーナハ展は4月に終了したばかりですね! 

HPの解説。
 エルミタージュの1万7千点にも及ぶ絵画コレクションのなかでも、特に充実しているのが、オールドマスターの作品群です。オールドマスターとは、16世紀ルネサンス時代のティツィアーノ、クラーナハなどから17世紀バロックのレンブラント、ルーベンス、ヴァン・ダイクなどを経て、18世紀ロココのヴァトー、ブーシェなどに至る巨匠たちを指します。

サンクトペテルブルクの街を建設したピョートル1世(大帝、在位1682-1725)は、オランダ絵画を大量に購入し、その後エカテリーナ2世は、オランダ、フランドルを中心に、ヨーロッパ絵画の流派をほぼ網羅するコレクションを築きました。これらオールドマスターの傑作は、今もエルミタージュの所蔵品の中核をなすものです。

本展は、出展される油彩85点すべてがエルミタージュ美術館の常設展示作品、すなわち美術館の顔ともいうべき作品群です。展覧会では、選び抜かれたこれらの作品を国、地域別に展覧していきます。西洋絵画の王道ともいえる珠玉のコレクションは、まさにエルミタージュ美術館展の決定版といえるでしょう。


大エルミタージュ美術館展 第1章・第2章
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大エルミタージュ美術館展 第3章・第4章
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大エルミタージュ美術館展 第5章
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大エルミタージュ美術館展 第6章
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2017.05.22

三社祭2017の最終日に行ってきました。

三社祭(浅草寺)最終日の午後に行ってきました。
今年はパスかな~
と考えていましたが、「迷ったら行く」という考え方をするたちなので・・・・

夏のような暑い気候の為でしょうか?去年より人出が少しだけ?少ない様な気がしました 。
と言っても、大変な賑わいですが・・・・ 

皆さん直射日光を避けて、日陰で観覧していたからかもしれません。

所要があって、宮入の時間までは居ることができませんでした。
宮入コースの屋台が店じまいを初めて、宮入り観覧目当てに人々が集まりだすのをしり目に帰路に着きました。

以下、同じような動画を何度も・・・で恐縮ですが・・・・

お祭り広場のの様子です。
皆さん、撮影ポイントは同じようで・・・・


神社境内を巡行する神輿です。
お祭り広場に戻ります。


巡行を終えて、町内に戻ってきたときの摸様です。
これで、今年のこの町内の神輿巡行は終了。

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2017.05.21

特別展 「茶の湯」

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特別展「茶の湯」は、
東京国立博物館で開催されています。
会期 2017年4月11日(火)~6月4日(日)

東京ですと、静嘉堂文庫美術館 、三井記念美術館、根津美術館、畠山美術館、五島美術館、トーハクなどで観てきた名品が展示されていて、この企画展、妙に懐かしい気分になったりします。

これだけ集めて展示していただくと、もう感謝しちゃいます。
ただし、展示期間が8期に分けられていて、ひとつ残らず見ようと思うと大変!

この展覧会で、茶の湯全般を網羅的に復習できたような気分になりました。

「茶の湯」は日本人の美意識の根幹をもっとも分かり易く表現していると、あらためて感じました。

今年の展覧会のお勧めは「陶磁器」と仰る方がいましたがこの展覧会は、象徴的意味合いを持つと思いました。

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12世紀頃、僧侶を中心とした往来により中国から唐絵などとともに抹茶の喫茶法が伝わり禅宗寺院、公家、武家の間で広まった。
1
国宝 観音猿鶴図 牧谿筆 中国南宋時代 13世紀 京都大徳寺蔵

室町時代になると、唐物を用いた喫茶が権力を示す一つの道具となる。
足利将軍家は、唐絵、唐物を収集し所謂「東山御物」 として現代に伝わる。
6
重要文化財 木葉天目 中国 吉州窯 南宋時代12~13世紀 大阪市立東洋陶磁美術館

7
重要文化財 青磁輪花茶碗 銘馬蝗絆 中国 龍泉窯 南宋時代12~13世紀 東京国立博物館


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室町時代の後期になると、茶の湯を嗜む人々が、戦国武将、豪商へと広がっていく。
禅に親しんだ村田珠光は、日常の暮らしの中から心と眼にかなうものを見出し取り合わせる茶、「数寄」の茶いわゆる「侘茶」を創出する。その精神は、酒井の豪商武野焼香ら町衆へと広がっていく。
茶道具も唐物から高麗物、和物へと移り広がる。
3
重要文化財 唐物肩衝茶入 松屋肩衝 中国 南宋~元時代・13~14世紀
東京・根津美術館

4
国宝 大井戸茶碗 喜左衛門井戸 朝鮮 朝鮮時代・16世紀 京都・弧篷庵蔵

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安土桃山時代になると、千利休により侘茶の完成を見て、天下人から大名、町衆に至るまで、広く深く浸透していく。さらに教えを受けた、古田織部、織田有樂斎、細川三斎へとその精神は伝えられていく。
2
重要文化財 黒楽茶碗 銘ムキ栗 長次郎 安土桃山時代・13~14世紀 文化庁蔵

8
伊賀耳付水指 銘 破袋 伊賀 江戸時代・17世紀
東京・五島美術館

9
国宝 志野茶碗 銘 卯花墻 美濃 安土桃山時代~江戸時代・16~17世紀
東京・三井記念美術館 

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太平の世、江戸時代になると、小堀遠州による武家茶の再興、それに倣った江戸後期の松平不昧が道具を収集。千家との交流化から三井家、鴻池家などの豪商が独自の茶の湯を展開していく。
5
重要文化財 祥瑞蜜柑水差 中国・景徳鎮窯 明時代・17世紀 大阪・湯木美術館

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重要文化財 色絵鱗波文茶碗 仁清 江戸時代・17世紀 京都・北村美術館

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そして近代、幕末から明治にかけて、寺院や旧家から流出した宝物、茶道具を平瀬露香、藤田春雪、益田鈍翁、原三渓らの実業家が収集し一大コレクションを形成する。
さらに大正、昭和にかけて、畠山即翁らの数寄者に引き継がれて行く。

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展覧会の構成は以下の通りです。
第一章 足利将軍家の茶湯―唐物荘厳と唐物数寄
第二章 侘茶の誕生―心にかなうもの
第三章 侘茶の大成―千利休とその時代
第四章 古典復興―小堀遠州と松平不昧の茶
第五章 新たな創造―近代数寄者の眼

HPの解説。
 本展覧会は、おもに室町時代から近代まで茶の湯の美術の変遷を大規模に展観するものです。「茶の湯」をテーマにこれほどの名品が一堂に会する展覧会は、1980(昭和55)年に当館で開催した「茶の美術」展以来、実に37年ぶりとなります。
各時代を象徴する名品を通じて、それらに寄り添った人々の心の軌跡、そして次代に伝えるべき日本の美の粋をご覧ください。

 12世紀頃、中国で学んだ禅僧によってもたらされた宋時代の新しい喫茶法は、次第に禅宗寺院や武家など日本の高貴な人々の間で浸透していきました。彼らは中国の美術品である「唐物」を用いて茶を喫すること、また室内を飾ることでステイタスを示します。その後、16世紀(安土桃山時代)になると、唐物に加えて、日常に使われているもののなかから自分の好みに合った道具をとりあわせる「侘茶」が千利休により大成されて、茶の湯は天下人から大名、町衆へより広く普及していきました。このように、日本において茶を喫するという行為は長い年月をかけて発展し、固有の文化にまで高められてきたのです。
本展覧会は、おもに室町時代から近代まで、「茶の湯」の美術の変遷を大規模に展観するものです。「茶の湯」をテーマにこれほどの名品が一堂に会する展覧会は、昭和55年(1980)に東京国立博物館で開催された「茶の美術」展以来、実に37年ぶりとなります。
各時代を象徴する名品を通じて、それらに寄り添った人々の心の軌跡、そして次代に伝えるべき日本の美の粋をご覧ください。


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2017.05.17

茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術

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茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術は、
東京国立近代美術館で開催されています。

会期 2017年3月14日~5月24日


千利休の求めに応じて、初代長次郎が制作した茶の湯の茶碗。
手捏ねの筒状、高台から見込みまで、艶なしの釉薬で覆った、その景色は、楽茶碗の原点ですね。
利休の茶室「待庵」と黒楽茶碗、侘びを象徴する景色[利休の愛した美]です。

初代長次郎から一子相伝15代樂吉左衛門、その子篤人迄、450年にわたる、楽家の歴史を辿る展覧会です。
450年伝わるのは、土のみです。器の景色を作るのは15代にわたるそれぞれ個性です。
彫刻を学んだ15代樂吉左衛門は茶器を越えた様々な造形作品も生んでいます。
吉左衛門がまだ初々しいと評する、子の篤人の作品のこれからは・・・・?

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初代 長次郎 黒楽茶碗 銘 大黒 桃山時代(16世紀)個人蔵

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初代 長次郎 赤楽茶碗 銘 太郎坊 桃山時代(16世紀)裏千家今日庵蔵
長次郎が利休から依頼され、制作し始めたころの素朴な作風。

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3代 道入 黒楽茶碗 銘 青山 (ノンカウ加賀七種の内) 江戸時代(17世紀)樂美術館蔵
艶のある釉薬と白。
道入作品の斬新でモダンな作品。導入の作品は多くの展覧会で展示されてきましたね。

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本阿弥光悦 赤楽茶碗 銘 乙御前 江戸時代(17世紀)個人蔵
樂家と姻戚関係にあった光悦。
薄造りで、蕾から花開いた様な光悦の美意識を感じさせる器形。
後の、樂家の茶陶にも影響を与えたとも・・・

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14代 覚入 色釉流水紋赤樂平茶碗 銘 綵衣 昭和38年(1963)樂美術館蔵
楽家歴代の中でも斬新な、モダンな作品を残した覚入。
その豊かな感性は、15代に引き継がれた?

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15代 樂吉左衛門 焼貫黒楽茶碗 銘 暘谷 平成元年(1989)個人蔵

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15代 樂吉左衛門 焼貫黒楽茶碗  銘 砕動風鬼 平成2年(1990)
焼貫・・・高温で焼くことで独特の荒々しい景色が現れます。

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15代 樂吉左衛門 焼貫黒楽茶碗  銘 厳裂は苔の露路 老いの根を噛み 平成16年(2004)樂美術館
銘は自作詩から採ったもの。

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(以下はHPから)
 茶碗の中の宇宙とは、全ての装飾や美しい形を捨て、手捏ねによる成形でさらに土を削ぎ落としながら造形を完成させていった茶碗を用い、その茶碗によって引き起こされる無限の世界、正しく宇宙のように果てしなく広い有機的空間のことと捉えています。

つまり、一服の茶を点てます。相手は、その茶を飲みます。その行為により二人の関係の全てが茶碗の中を巡ります。その茶碗の中を見つめながらの人間の思いは、他に想像もできないほどの大きく深い意味を有し、まさに宇宙と呼ぶべき無限の世界が広がるのです。

今から450年前、長次郎という人物によって創造された樂茶碗は、一子相伝という形態で現在まで続いています。一子相伝とは、技芸や学問などの秘伝や奥義を、自分の子の一人だけに伝えて、他には秘密にして漏らさないことであり、一子は、文字通り実子でなくても代を継ぐ一人の子であり、相伝とは代々伝えることです。

この様な考え方で、長年制作が続けられている樂焼は、長い伝統を有していますが、しかし、それらは伝統という言葉では片付けられない不連続の連続であるといえます。長次郎からはじまり15代を数える各々の代では、当代が「現代」という中で試行錯誤し創作が続いています。

本展では、現代からの視点で初代長次郎はじめ歴代の「今―現代」を見ることにより一子相伝の中の現代性を考察するものです。正しく伝統や伝承ではない不連続の連続によって生み出された樂焼の芸術をご覧いただけます。

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樂焼とは

樂焼は、織田信長、豊臣秀吉によって天下統一が図られた安土桃山時代(16世紀)に花開いた桃山文化の中で樂家初代長次郎によってはじめられました。

樂焼の技術のルーツは中国明時代の三彩陶といわれています。この時代には京都を中心に色鮮やかな三彩釉を用いる焼きものが焼かれはじめていましたが、長次郎もその技術をもった焼きもの師の一人であったと考えられています。

長次郎の残した最も古い作品は、本展に出品される二彩獅子、天正2年(1574)春につくられました。おそらく樂茶碗がつくられるのはそれより数年後、天正7年(1579)頃ではないかと考えられています。

東京国立近代美術館 茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術
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2017.05.15

神田祭神輿宮入(平成29年度)

江戸総鎮守神田明神平成29年度神田祭神輿宮入に行ってきました。

今年は、神輿宮入には行かずに神幸祭のみを観に行こうか?と思っていたのですが、神幸祭の日はあいにくの雨。
家は出たものの本降りの雨になってきたので引き返しました。

というわけで、神輿宮入の日に、三井記念美術館に寄り道してから行きました。
三井記念美術館でチョット不愉快なことがあって、早々に退館・・・・この美術館には10年以上ほぼすべての展覧会を観に行っているのですが・・・・顧客対応がどうも好きになれなくて、行くのに気が重くなることがあります。(あくまでも私個人の感じ方でです)

美術館を出て日本橋の街に出ると、室町で神輿巡行が行われていました。
宮入を済ませて町内に戻り、町内神輿巡行を行っているところの様でした。

そして神輿宮入観覧に神田明神へ・・・・
神田明神にはお茶の水駅から向かうことが多いのですが、今回は秋葉原駅で降りました。
駅前では、和太鼓の演奏、電気街の神輿広場?では二基の氏子を乗せた神輿が、行ったり来たりしていました。
2902
秋葉原電気街で・・・

何しろ、200基程の神輿宮入が行われるのですから、交通規制している巡行路には町会神輿毎の渋滞が発生します。担ぎ手達は、道端に座り込んで、お酒を飲んだり、タバコを喫ったり・・です。
2905

そして、神田明神では引っ切り無しに各町会の神輿が宮入してきます。
2901
随神門から境内に入ってきた神輿。

2903
神殿前で、神輿を正面に向かせるための調整を繰り返して・・・

一日中続いた神輿宮入も、終わりに近づいて千貫神輿「神田市場神輿」の宮入です。
皆さん千貫神輿の宮入時間をご存知のようで、観客の数がMAXになります。

警官が場内整理に従わない男を怒鳴りつけたり、神輿が観客に迫って・・最前列の人が押し倒されたりの騒ぎです。

女神輿が先導して、神田市場神輿が大鳥居に向かい、神庭明神境内に入っていきます。
「担ぎ手は1グループ200人総勢2000人」という話を聞いたことがありますが、過大な表現でもない様な気もしました。
神田市場神輿は大きいので隨神門の下は通過しないで、道を右に曲がって神殿前まで巡行します。


2904
帰り道の子供神輿・・・かわいい子供たち。

ーーーーーーーーーーー

―神田祭とは―
HPからです。

江戸時代の神田祭

 「天下祭」として知られる神田祭は、元和年中までは船渡御であったと言われている。延宝年中までは毎年斎行されていたが、山王祭(千代田区・日枝神社)と隔年で斎行することになり、以後今日までに2年に一度斎行されることが恒例となった。
 江戸幕府の庇護を受け、江戸城・内曲輪内へ、2基の神輿、36番45本前後の山車や附祭、御雇祭などからなる祭礼行列が練りこみ、徳川将軍や御台所の上覧があったことなどから、江戸の庶民たちからいつからか「天下祭」と称されるようになった。
 また、江戸時代を通じて全国的に有名な祭のひとつとして「日本三大祭り」「江戸三大祭り」の中に数えられたている。

明治時代から昭和戦前
 
 明治に入り、神田明神から神田神社と名前を変えたが、明治17年に46本、明治20年に40本の山車が出され、江戸時代と同じくらい盛大な祭礼が行われた時もあった。しかし明治25年、台風の影響などから祭月が9月から5月に変更されたり、不景気と電線架線などの影響もあり、山車が出されなくなっていき各町に備え付けられるのみとなった。

 大正時代に入ると、神社の神輿が渡御する「神輿渡御祭」へと変遷していき、各氏子町は町神輿を作り担ぐようになっていった。渡御祭では、数日かけて神輿が氏子町々を隈なく渡御し長い日には1週間もの日数をかけて渡御が行われた。
 大正11年、2基の神輿を大鳳輦1基に改めた。残念ながら、この鳳輦は大正12年の関東大震災により焼失してしまい、たった1度の渡御しかしていない。
 関東大震災後、1度延期となったが昭和元年に復活、渡御祭の行列では葱華輦が出された。昭和9年には二の宮神輿が新調された。

戦後から
 
 戦後、祭の名称を渡御祭から神幸祭に変更され、昭和27年に初の神幸祭が斎行された。鳳輦が新調され牛が曳いて練り歩いた。また、この祭で氏子町会より町神輿の連合宮入が初めて斎行された。
昭和40年代になると、都心部における自動車などの交通事情の影響のため、5月中旬に行っていた神幸祭を祝日の5月2、3日に改められた。さらに神幸祭の日数も3日間より2日間、そして現在は1日となっている。昭和50年、三越より奉納された二の宮神輿が行列に加わった。
 昭和59年にご祭神に正式復座された平将門命の三の宮鳳輦が新調され昭和62年より行列に加わった。
 平成に入り、諌鼓鶏の山車の復活、相馬野馬追騎馬武者行列の特別参加、町田町火消行列、将門武者行列、静岡県三熊野神社より一本柱万度型山車が特別参加。平成15年には東日本橋二丁目町会により船渡御が復活。KIXプロジェクトやインターネット神田祭.chといったインターネットによる神田祭の生中継も行われ今に至っている。

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2017.05.12

特別展 「雪村-奇想の誕生-」

Photo


特別展 「雪村-奇想の誕生-」展は

東京藝術大学美術館で開催されています。

会期: 2017年3月28日(火)- 5月21日(日)
※会期中、作品の展示替えがあります。

雪村作品一番の魅力 は、動感あふれる作品、ありえない動きですね!
本展での、私のお気に入りは列子御風図です。
6
列子御風図 紙本墨画
東京・公益法人 アルカンシエール美術財団

もう、身体は宙に浮いちゃってるし、長いひげが強風で水平になびき、袖は千切れんばかり・・・・輪郭線の筆の動き、この勢いは素晴らしい!

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図録巻頭で、辻惟雄氏は語っています。(雪村の奇想から)
東北大学教授福井利吉郎著「雪村新論」を引用して・・・
 彼が雪村を"水-滝-雪-自然の威力”の画家と見るくだりである。学者の言としては意外な、このすばらしい、ロマンチックな形容に、私が何かを加えることが許されるならば、”風”と”波”を入れたい。その上でさらに加えたいのは、雪村が鳥羽僧正のような伝統的存在を例外として、日本絵画史上最初に誕生した「奇想の画家」と言うことである。

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雪村は、佐竹氏の一族として常陸の国部番で誕生。
常陸の国時代は、画僧雪村が生まれる第一期の修業時代です。
そして、50歳代半ばに会津へと旅立ち、さらに小田原、鎌倉へと向かい滞在します。
この時代が二期目で、中国の牧谿や玉澗を学んだ飛躍の時期にあたります。
そして、鎌倉を離れた雪村は、会津を経て奥州に向かい、この地で雪村芸術の絶頂期を迎えます。
晩年を三春で過ごした雪村の筆力に、衰えることはありませんでした。


雪村の足跡(公式サイトから)
(「○○か」という表現が多いですね)
1489~1492年(延徳年間)
常陸の国部番で誕生か(本朝画史)

1504~1521年(永生年間)
正宗寺にこの頃入寺か(10代)

1546年(天文15年)
この年までに、常陸を出発し、会津に向かう
会津で蓮な盛ん氏に「画軸卷舒法」を授ける
鹿沼の今宮神社に神馬図を奉納
この後、佐野、足利をまわり、小田原、鎌倉は向かうか
(50代)

1555年(天文24年)
景初周随賛(叭々鳥図)を描く(60代)

1560年(永禄3年)
この頃小田原、鎌倉を離れ、鹿島神宮を廻り、奥州へ向かう

1572年(元亀3年)
常陸に流寓(80代)

1573年(天正元年)
この頃までに、三春」に住す(雪村庵扁額墨書)

1573~1590年(天正年間)
86歳で《瀟湘八景図屏風》を描く
間もなく三春で没するか

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 雪村は、出家した正宗寺で、だれを師として(なにを模して)絵画を学んだのか?
鎌倉時代の学んだ牧谿や玉澗に学んだ作品、小田原狩野派からの吸収・・・
そして”禅僧雪村(自分)一人だけの絵画”「奇想の画家」への到達。
雪村の足跡を追いながらの観賞です。
そして、雪村に私淑した光琳、抱一、乾山など後世の画家の作品も含め全体像を検証しています。


展覧会の構成は以下の通りです。
第1章 常陸時代 画僧として生きる
第2章 小田原・鎌倉滞在 独創的表現の確立
第3章 奥州滞在 雪村芸術の絶頂期
第4章 身近なものへの眼差し
第5章 三春時代筆力衰えぬ晩年
第6章 雪村を継ぐ者たち


5
瀧見観音図 紙本彩色 室町時代 16世紀
茨城 正宗寺

1
重要文化財《呂洞賓図(りょどうひんず)》 紙本墨画 室町時代 16世紀
大和文華館蔵

2
山水図 紙本墨画 室町時代 16世紀
群馬県立近代美術館(戸方庵井上コレクション)

3
《龍虎図屏風》(右隻) 紙本墨画 室町時代 16世紀
根津美術館蔵

4
重要文化財《呂洞賓図(りょどうひんず)》
紙本墨画 室町時代 16世紀

HPの解説です。
 首の骨が折れるくらいに仰ぎ見る顔から、斜め上に向かってピンと伸びる長いヒゲ。足元を見れば、ギョロッとした目つきの龍。「呂洞賓図(りょどうひんず)」に描かれる場面は、何から何までありえません。
この作品を描いたのは、戦国時代の画僧、雪村周継(せっそんしゅうけい)です。武将の子として生まれながら出家して画業に専心した雪村は、故郷である茨城や福島、神奈川など東国各地を活躍の場としました。その生涯は未だ謎に包まれていますが、ひときわ革新的で、また人間味あふれる温かな水墨画を描き続けた、ということだけは確かです。雪村の作品は江戸時代の尾形光琳らを魅了し、狩野芳崖ら近代の画家たちへと受容されたのでした。
この展覧会は、雪村の主要作品約100件と関連作品約30件で構成される最大規模の回顧展です。
雪村の「奇想」はどのようにして生まれたのか、その全貌に迫ります。

東京藝術大学大学美術館「雪村-奇想の誕生-」
InternetMuseum

第1章「常陸時代 画僧として生きる」、第2章「小田原・鎌倉滞在 ─ 独創的表現の確立」


第3章「奥州滞在 ─ 雪村芸術の絶頂期」、第4章「身近なものへの眼差し」


第5章「三春時代 筆力衰えぬ晩年」、テーマ展示「光琳が愛した雪村」、第6章「雪村を継ぐ者たち」


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2017.05.10

『写真家ソール・ライター展』

Photo

ニューヨークが生んだ伝説
『写真家ソール・ライター展』 は、
Bunkamuraザ・ミュージアムで開催されています。

会期 2017年4月29日(土・祝)~6月25日(日)
*5/9(火)、6/6(火)のみ休館

83歳にして「衝撃の世界デビュー」を飾った写真家ソール・ライター(1923-2013)の全貌を明らかにする展覧会がいよいよ日本で開催される。2006年、ドイツのシュタイデル社が出版した作品集『Early Color』は写真界にとって「事件」といっても良い出来事だった。1940年代から50年代に撮影されながら長い間、光を見ることがなかったカラー写真の作品群は、写真界にとどまらず各界に大きな驚きをもたらした。その後、世界各地で展覧会の開催や作品集の出版が相次ぎ、2012年にはトーマス・リーチ監督によるドキュメンタリー映画「写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと」が制作される。本作は、2015年に日本でも公開され、独自の哲学に満ちたライターの人生観と作品が多くの人々の共感を呼んだ。(HPから)


《足跡》は、印象的な作品です。
雪の路面と赤い傘・・・・柿右衛門の余白と赤を思い浮かべる方もいるかもしれません。
また、浮世絵によく見られる俯瞰の構図。
4
ソール・ライター 《足跡》
1950年頃 発色現像方式印画
ソール・ライター財団蔵

ソール・ライターは、浮世絵、墨書、ナビ派の画家(ヴイヤール、ボナールなど)にシンパシーをもっていた写真家、画家だそうです。
観に行かれる方は、最初から意識して鑑賞・・・というのも良いかもしれません。


 ソール・ライターが写真家としてたどった人生は「伝説」と呼ぶにふさわしい。1923年、ペンシルバニア州ピッツバーグに生まれたソール・ライターは、ユダヤ教の聖職者ラビであった父親の跡を継ぐべく、幼いころから神学校で教育を受けるが、宗教的生活に情熱を見出せないソール少年は、独学で絵を描くことに没頭していった。1946年、息子の芸術的関心にまったく無関心だった両親の反対を押し切り、大学を退学したライターは真夜中に家を出てニューヨーク行きのバスに乗る。それは、家と宗教的生活への決別だった。
 1940年代後半のニューヨークは、アメリカが初めて世界に影響を及ぼす芸術運動となった抽象表現主義が頭角を現わした時代だった。ソール・ライターはニューヨークへ着いて間もなく、抽象表現主義の画家リチャード・プセット=ダートと出会う。暗室で様々な実験を試みた写真を使い作品を創作していたプセット=ダートとの親交を通じて、ライターは写真術を学んで行く、この友情がソール・ライターの写真の隠れた才能を引き出す重要な引き金になった。
 同時代のニューヨークは、ロバート・フランク、ウィリアム・クライン、ダイアン・アーバスら「ニューヨーク・スクール」と呼ばれる写真家たちを多く生み出した(のちにソール・ライターもその一人とみなされるようになる)写真表現にとっても重要な街だった。しかし、より内省的で、一般的には日常の中で見過ごされる一瞬のきらめきをとらえた「都会の田園詩」ともいえるライターのスタイルは、他の写真家たちと一線を画す。「写真は、しばしば重要な出来事を取り上げるものだと思われているが、実際には、終わることのない世界の中にある小さな断片と思い出を創り出すものだ」、というソール・ライターの言葉は、その写真哲学を端的に表している。ライターが敬愛したピエール・ボナールやヴュイヤールといったジャポニスムに影響を受けたヨーロッパの画家たちの、近代社会に対するロマンティックで繊細な感性と共通するものも見受けられる。(HPから)

ソール・ライターは、
「神秘的なことは馴染み深い所で起きると思っている。何も世界の裏側に行く必要はない」
「写真を撮らなかったら、もっといい画家になっていた」
と言っていたそうです。

ニューヨーク、イーストビレッジの街をいつもの様に歩いて、街中にある色彩の対比、バランスを探していたのかもしれません。
赤色系の色を中心に、その周辺の色彩のバランスを・・・・”カシャ”っと。
「ソール・ライターはニューヨークのナビ派であった」とも・・・
この展覧会で、展示されているカラー作品に新鮮な驚きを感じました!


この展覧会は以下パートに分けての展示です。
ファッション
ストリート
カラー
絵画
ヌード

1
ソール・ライター 《床屋》
1956年 発色現像方式印画
ソール・ライター財団蔵

2
ソール・ライター 《赤信号》
1952年 発色現像方式印画
ソール・ライター財団蔵

3
ソール・ライター 《カルメン、『Harper's Bazaar』》
1960年頃 発色現像方式印画
ソール・ライター財団蔵

5
ソール・ライター《看板描き》1954年
ソール・ライター財団蔵

6
ソール・ライター《雪》
1960年 発色現像方式印画
ソール・ライター財団蔵

7
ソール・ライター《タクシー》
1957年 発色現像方式印画
ソール・ライター財団蔵

8
ソール・ライター 《ジェイ》
写真 1950年代・描画 1990年頃
印画紙にガッシュ、カゼインカラー、水彩絵具

展覧会紹介動画(Bunkamuraザ・ミュージアム)

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2017.05.07

大国魂神社くらやみ祭神輿渡御2017

大国魂神社の例祭に行って来ました。
祭りを通して70万人の以上の人出でがあるとされるくらやみ祭り、例祭の5日 は浅草三社祭の大混雑に匹敵する賑わいでした。(三社祭は150万人だそうです)
屋台の出店数も半端ではありませんでした。

浅草とは、趣の異なる神輿渡御のように思いましたが・・神輿を担ぐ人々の意気込みは変わらないようでした。
歴史の重みと伝統をを感じさせてくれる祭事です。

(この記事は追記、画像の追加をすることがあるかもしれません)

次第
5月5日
■例祭 午前10時
年中行事で最も重要な祭儀
■道清め 午後1時30分
神輿・太鼓の通る道をお祓いして歩く儀式。神輿の渡御に先立ち、その道すじを祓い清める。

■太鼓送り込み 午後2時30分
御先祓大太鼓を始めとする、各宮の大太鼓が各町内から、隨神門内と拝殿前に送り込まれる。約1時間ほどの間、威勢良く打ち鳴らされる。

■宮乃咩神社奉幣 午後2時
境内摂社宮乃咩神社に行き奉幣行事を行う
■御饌催促の儀 午後3時30分
細谷・浦野両氏により神前に供え、神饌の調理催促する儀式
■動座祭 午後3時30分
御霊を御本殿より神輿に移す事を神前に報告する祭典。(一般非公開)
■威儀物授与 午後5時20分頃
神輿の露祓いの意味で奉持する刀や弓を渡す儀式
■御霊遷の儀 午後5時20分
各神輿に本殿から御霊を移す神事
■神輿渡御 午後6時【くらやみ祭のメイン】
花火の合図とともに6張りの大太鼓が打ち鳴らされ、祭の最大の見所である「おいで」と呼ばれる神輿渡御が行われる。8基の神輿は白丁を身にまとった威勢の良い担ぎ手と大太鼓に導かれ、御旅所まで渡御する。


■坪宮奉幣 午後8時30分
境外末社、坪宮に奉幣の儀式を行う神事。
■野口仮屋の儀 午後10時10分ごろ
大國魂大神が当地に降臨したとき野口家に 一泊の宿を求めた故事に基づく事柄を具現する神事。宮司と神職は野口の仮屋に向かい、そこで主人の野口氏の接待を受ける儀式を行う。
■やぶさめの儀 午後10時30分ごろ
宮司は野口の仮屋から神馬に乗って御旅所へ戻り、その北門前で馬上から弓を引き的を射る神事(但し鎌倉の鶴岡八幡宮の神事とは趣を異にする)。やぶさめの儀では矢が必ず的に当たるので、当社では「やぶさめあたり矢」という名前で御神矢を授与している。

5月6日
御神輿
■神輿還御(おかえり) 午前4時から8時頃
早朝午前4時に各神輿が御旅所を出発し、大太鼓に導かれ町内を巡行した後、午前7時半までに神社境内に還る。午前7時半から8時頃には8基全ての神輿が神社参道に揃う。
■鎮座祭 午前9時頃
還ってきた神輿から御霊を本殿に納め、無事大祭が終了した事を報告する祭典。くらやみ祭の終了となる。(一般非公開)

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

大國魂大神
小野大神・小河大神・氷川大神・秩父大神・金佐奈大神・杉山大神・御霊大神・国内諸神

御由緒
当社のご祭神は、大國魂大神おおくにたまのおおかみで武蔵の国魂の神と仰いでお祀りしたものである。この大神は 素盞鳴尊すさのおのみことの御子神でむかしこの国土を開拓され、人民に衣食住の道を授け、医薬禁厭等の方法をも教えこの国土を経営された。
当社の起源は、人皇第十二代景行天皇41年(一一一)5月5日大神の託宣に依って造られたものである。出雲臣天穂日命いづものおみあめのほひのみことの後裔が初めて武蔵国造むさしのくにのみやつこに任ぜられ当社に奉仕してから、代々の国造が奉仕してその祭務を掌られたといわれる。
その後、孝徳天皇(596-654)の御代に至り、大化の改新(645)のとき、武蔵の国府をこの処に置くようになり、当社を国衙の斎場とし、国司が奉仕して国内の祭務を総轄する所にあてられた。
又、国司が国内社の奉幣巡拝、又は神事執行等の便により国内諸神を配祀した、これが即ち武蔵総社の起源である。
後に本殿の両側に国内著名の神、六所ろくしょ (小野大神・小河大神・氷川大神・秩父大神・金佐奈大神・杉山大神)を奉祀して六所宮とも称せられるようになった。《※注》
寿永元年(1182)に至り、源頼朝が葛西三郎清重を使節として、その室、政子の安産の祈願が行われた。文治2年(1186)頼朝は武蔵守義信を奉行として社殿を造営し、また貞永元年(1232)2月に将軍頼経の代にも武蔵守資頼を奉行として社殿が修造せられた。
又、天正18年(1590)8月、徳川家康が江戸へ入城してからは武蔵国の総社であるために殊に崇敬の誠をつくし、社領五百石を寄進され、社殿及びその他の造営に心力をつくされた。
正保3年(1646)10月、類焼により社殿は焼失したが、寛文7年(1667)将軍家綱の命により、久世大和守広之が社殿を造営し現在に至る。形式は三殿を横につらねた朱塗りの相殿造りで、屋根は流造りであり、慶応年間に檜皮葺ひわだぶきが銅葺に改められた。本殿は都文化財に指定されている。
明治元年(1868)勅祭社に準ぜられ、同7年(1874)県社に列し、同18年官幣小社に列せられた。
当社はもともと大國魂神社と称したが、中古以降、武蔵の総社となり、又国内著名の神六所を配祀したので「武蔵総社六所宮」の社号を用い、 明治4年(1871)にもとの社号に復し「大國魂神社」と称するようになった。
当社は神威殊に顕著であるので、古来より崇敬者は、武蔵の国はもちろん、関東一円に亘っている。
5月5日には例大祭が行われるが、この祭が有名な国府祭で、当夜八基の御輿が古式の行列を整え、消燈して闇夜に御旅所に神幸するので、俗に「くらやみ祭」といわれている。昭和36年(1961)より御輿の渡御は夕刻に改められた。
《※注》
一ノ宮 小野神社 東京都多摩市一ノ宮
御祭神・・・天ノ下春命(国造の祖神)
二ノ宮 二宮神社(小河神社) 東京都あきる野市二宮
御祭神・・・国常立尊
三ノ宮 氷川神社 埼玉県さいたま市大宮区高鼻町
御祭神・・・須佐之男命・稲田姫命・大己貴命
四ノ宮 秩父神社 埼玉県秩父市番場町
御祭神・・・八意思金命・知知夫彦命・天之御中主神
五ノ宮 金鑚神社 埼玉県児玉郡神川町二ノ宮
御祭神・・・天照大神・素戔鳴尊・大和武尊
六ノ宮 杉山神社 神奈川県横浜市緑区西八朔町

祭事次第、御由緒は、画像を除き大国魂神社のHPからの引用です。

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2017.05.03

散策中に見かけた草花(2017年4月)

いっせいに咲き始めた花々、そして新緑・・・いい季節ですね!

写真は、スマホで撮ったものです。
55
黄色い花が咲くんですね!
赤い実もそろそろ・・・・
ヘビイチゴ(蛇苺)
名の由来
へびが出そうなところに生え、へびが食べそうなイチゴと例えたことから。
無毒、無味、食用不向き

1_2
ひとりしずか(一人静)
その姿を静御前に重ねてつけられたもの。

2
しろばないかりそう(白花碇草)
白い碇に似た花を咲かせることからこの名が付いた。

3
しらねあおい(白根葵)
日光の白根山に多く見られ、花がたち葵に似ることから命名された。

54
たんちょうそう(丹頂草)

7
ほうちゃくそう(宝鐸草)
花の形や下垂する姿が、お寺の軒先に吊り下げられている宝鐸に似ていることから名付けられた。

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ゆきやなぎ(雪柳)

3311
はなずおう(花蘇芳)

512
しばざくら(芝桜)

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しゃが(著莪)

6
菜の花畑 

新緑の公園
8

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2017.05.01

観てきた展覧会備忘録 2017年4月

大エルミタージュ美術館展 オールドマスター 西洋絵画の巨匠たち
会期 2017年3月18日(土)〜6月18日(日)
森アーツセンターギャラリー


第76回展 「名所絵から風景画へ-情景との対話」
 (前期展示終了)
開催期間 平成29年3月25日(土)~6月25日(日)
前期:3月25日(土)~4月23日(日)
中期:4月29日(土・祝)~5月21日(日)
後期:5月27日(土)~6月25日(日)
三の丸尚蔵館


茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術
会期 2017年3月14日(火)~2017年5月21日(日)
国立近代美術館


マルセル・ブロイヤーの家具
会期 2017年3月3日(金)~2017年5月7日(日)
国立近代美術館


所蔵作品展 動物集合
会期 2017年2月28日(火)〜2017年5月21日(日)
東京国立近代美術館工芸館


日本、家の列島 ― フランス人建築家が驚くニッポンの住宅デザイン ―
会期 2017年4月8日(土)〜 6月25日(日)
パナソニック汐留ミュージアム


六本木開館10周年記念展
絵巻マニア列伝

会期: 2017年3月29日(水)〜 5月14日(日)
サントリー美術館


総合開館20周年記念
山崎博 計画と偶然
会期 2017年3月7日(火)~5月10日(水)
東京都写真美術館


『今様』―昔と今をつなぐ
2017年4月5日(水)〜5月21日(日)
渋谷区立松涛美術館


開館30周年記念特別展 柿右衛門展
会期 2017年4月1日(土)~5月14日(日)
戸栗美術館


特別展 「雪村-奇想の誕生-」
会期 2017年3月28日(火)〜 5月21日(日)
東京藝術大学美術館


第19回岡本太郎現代芸術賞 展 (会期終了)
会期 2016年2月3日(水)~4月10日(日)
川崎市岡本太郎美術館


『ロバート メイプルソープ写真展 ピーター マリーノ コレクション「MEMENTO MORI」』 (会期終了)
会期 2017年3月14日(火)~4月9日(日)
銀座 シャネル・ネクサス・ホール


企画展「三井家のおひなさま」
開館記念特別展示「江戸老舗所蔵の名品」 (会期終了)
会期 2017年2月21日(火)~4月2日(日)
三井記念美術館


「蘇る!孤高の神絵師 渡辺省亭」展 (会期終了)
会期 2017年3月18日(土)〜平成29年4月9日(日)
加島美術


ポーラ ミュージアム アネックス展2017-繊細と躍動- (会期終了)
会期 2017年3月31日(金)~2017年4月23日(日)
ポーラ ミュージアム アネックス

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