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2009.07.04

玉川上水情死行

Tamagawajyusuuiblog

少々、刺激的なタイトルですよね。
最近、あちらこちらで、太宰治が話題です。
梶原悌子の著作です。
2002年第一刷
作品社

私は、三鷹美術館に行った時は、必ず玉川上水沿いに歩いて吉祥寺まで行きます。
飲み屋等々の思い出もあることですし...。
三鷹駅から歩いて直ぐ、入水した場所があります。
太宰を熱心に読んだのは、高校生のころ、遥か昔なのですが、先日この本に出会いました。

この件に関しての著作はたくさんあります。
私も、過去に数冊読みました。
山崎富栄側からの視線は新鮮でした。

この本は、戦後、山崎富栄とその義姉とが鎌倉で美容院を経営していた当時、共同経営者池上静子の姪にあたる著者が、あるきっかけで、書くことになりました。
氏の山崎富栄に対する思い出と、流布されてきた山崎富栄のイメージがあまり違うからです。
この件に関して、名だたる作家達の富栄に対する評価があまりにもむごいと思ったからでしょう。

何故、あれほど知的で、美しく闊達な、山崎富江が、太宰と知り合って一年程で死ななければならなかったのか。

以下に、印象的な文章を....。

豊島はこの日の様子を二人の没後に「太宰治との一日」という文にし、富栄について次のように書いた。

[・・・・]太宰がどんなに我儘なことを言おうと、どんな用事を言いつけようと、片言のこうべんもしない。すべて言われるままに立ち働く。ばかりでなく、積極的にこまかく気を配って、身辺の面倒をみてやる。もし隙間風があるとすれば、その風にも太宰をあてまいとする。それは全く絶対奉仕だ。家庭外で仕事をする習慣のある太宰にとって、さっちゃんは最も完全な侍女であり看護婦であった。[・・・・]


そして、晩年「グット・バイ」を書いているころ...。

そして「グット・バイ」はこの女性を連れて、富栄をモデルにした美容師の愛人や、他の女たちと分かれる筋書きになっている。太宰はイメージした女性を実在の恋人のようにして富江栄伝えた。

同日日記から、(富栄の日記)

「僕には女がある。僕と一緒に死にたいというんだといたんだが、問題にしねえんだ。美容師ですって?と、よく知ってるんだ、おまえのことを_。」
「・・・・・・」
「その女、僕に逢うと、すぐ泣くんだ。」
「・・・・・・」
「[・・・・]僕はどうしてかう女に好かれるのかなあ!。貴男は、小説にいつも御自分のことをまずい顔の男とお書きになるけれど、ずるいつて_とも言うんだよ。」

この話を聞きながら富栄は激怒もせず、わめきもせず、涙を溜めて静かに耐えた。告白しながら太宰は富栄の態度と反応を観察し、小説の材料にそのまま活かした。「グット・バイ」では美容師が別れに際して態度の描写を、「泣きべそ以外、てが無かった」「その眼には、涙が、今にもあふれ出るほど一ぱい」と表現した。
 結核を病んで喀血し、息も絶え絶えの妻子持ちの四十男に、二十六歳の美人が結婚を迫るということがあるだろうか。少し落ち着いて考えればおかしな話と気づいただろうに、富江は疑いもしなかった。疑いもしないほど一途に思い入れていたのだろう。

さてさて、長くなってしまいました。
死を決意するに至った本当の理由は?等々、話題は尽きないのですが、今日はこれまで。

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