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2008.01.20

畦地梅太郎の世界

Azeti

町田市国際版画美術館常設展示室で観てきました。
4月6日まで開催されています。

私は、「山男シリーズ」が大好きです。
ユーモア、哀愁、畦地の人間性があふれています。

畦地梅太郎をご存じない方がおられるかもしれません。
以下に、HPから引用させていただきます。

畦地梅太郎は明治35(1902)年、愛媛県北宇和郡二名村(ふたなむら:現在の宇和島市)に生まれました。貧しい農家の子であった畦地は17才で故郷を離れ、船員や新聞配達などののち、内閣印刷局に職を得たのは大正14(1925)年のことです。ふと思いついて、職場にあった鉛の板に釘やナイフで絵を描き、刷ってみたことが、版画家となるきっかけでした。先輩版画家の仕事を手伝ううちに木版画の技術を身につけ、やがて多色刷りの都会風景を制作します。
 
 畦地の最初の転回点は、昭和11(1936)年の版画集『伊予十景』です。海に面した故郷の広々とした風景を描くために、単純な形をリズミカルに並べて空間の深さを表現する方法を生み出したのです。『御荘(みしょう)風景』ではぼかしを使うなど、さらなる試みが行われています。
 
 昭和12(1937)年、初めて浅間山を目にした畦地はその生命力に強く感動し、「山」を制作の大きなテーマに据えます。版画集『2600年版 山』(注1)は初期の代表作です。戦争末期の昭和19(1944)年刊行の版画集『満洲』は、前年に滞在した中国東北部の風景を描いたものです。
 
 戦後、畦地は再び大きく画風を変えます。「山の版画家」として知られていたにもかかわらず、風景を描くだけにあき足らず、山を歩きながら感じたものを表現するために「山男」を創り出します。表現も木版画の特徴を活かした平面的なものに変わります。山男の作品は高い評価を受け、国際展へも次々と出品され広くその名を知られていきました。時代の流行の中で一時的に抽象も試みましたが、評価は得られませんでした。しかしこの試みがのちの自由な表現へつながったことは間違いありません。70歳を過ぎ、山に登らなくなった畦地は、山をおり家族と過ごす山男の姿を描くようになります。それは家族を守り、長い人生の峰々を越えてきた畦地自身の姿だといえるでしょう。

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