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2006.06.11

骨董誕生--松涛美術館--

Kotttoublog

松涛美術館の企画は、とても好きです。
前回の展覧会には行くことができなかったので、今回は、早目に行きました。
気分爽快とはいえない雨の日曜日です。
そう、昨年9月には、この美術館で、あの和田義彦展が開催されました。
今回の展覧会のテーマは骨董です。

骨董の誕生から現在まで、所謂、数寄者有名人が収集した品々が展示されています。
素敵に古びたもの」という言葉が気に入りました。
「無駄に古びてしまった」私としては、大事にしたい言葉になりそうです。
白州正子氏の所蔵品も数点展示されたいました。
氏は、骨董を使いこなす名人ですね。
眺めているだけでは、満足できなかった方ですね。
拙blogで前に紹介しましたが、
「美術館のガラスのケースに入っている骨董は顔色が悪いのよね」
氏の骨董に対する愛情を見事に表現した名言だと思います。

「もののみかた」について考えさせられた展覧会でした。

以下に、HPから引用させていただきました。
写真は、チラシから切り取らせていただいたものです。

「素敵に古びたもの」である骨董。長い年月のなかで、自然の持つ古びの力によって美しさに磨きがかかったものや、実用の道具として歪みや傷を気にせずに造り出され、使い手によって新たな美しさを見出されたものたちです。そのような完璧を主張しない器物の、えも言われぬ味わいを愛でる美学は、遠く室町時代のわび茶に始まり、近代になって柳宗悦が民藝という新たな光をあて、青山二郎や小林秀雄といった文士たちによって、完成したのです。数寄者ゆかりの名品によって古器物愛好の歴史をたどりながら、その日本的な美学を現代生活に活かす術を探ります。
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コメント

>普通の人が生活して使い込んだ器の方が味があるような気がするのですが・・・。

仰るとおりですよね。民藝というジャンルを作った柳宗悦はこの発想で新たな美の発見をしたのだと思います。

足下の美を見つける。私のような庶民にはそのほうがはるかに価値があるのかもしれません。

投稿: elmaさんへ | 2006.06.16 05:09

うしろの正面さん、コメントを頂き有難うございます。
松涛美術館に入ったことがありますか。
喫茶店がわりにも使えますよ。二階は、展示室件喫茶室です。
「何でも熱心に観続けるしかないですね」その中から、誰になんと言われようと、「私が好きなもの」を発見できたら幸せです。白州正子の感覚は良いですね、真似は出来ないですけど。アッいけない、日和ってしまった。

投稿: うしろの正面さんへ | 2006.06.16 04:54

こんにちは、makoさん!

骨董趣味などはないのですが、見るのは好きですね。土物の器などいいですね。昔は、萩焼や備前焼きなどを好んでいました。

近くのギャラリーで個展が開かれているのですが、1点50万円からの作品群でした。
普通の人が生活して使い込んだ器の方が味があるような気がするのですが・・・。

投稿: elma | 2006.06.15 12:49

これはまた、いい切り口の展覧会ですね。
そもそも骨董とはなんぞや?という基本的な疑問に答えてくれそうです。

絵画、彫刻といった鑑賞を旨として生み出されたものと違い。器物はやはり使ってこそ意味が有り、また新しい美も付加されるというものです。
道具として使用することにより、より愛着も生まれますし。
なーんて、私の買えるようなレベルの骨董(そんなのは骨董とは言わないか。古物-フルモノ-か)だからそんなことを言っていられるのですが、例えば家の蔵からとんでもないものが出てきたとして、それを使えるか?といったら・・?
・・・やはり、モノはあるべきところにあるのが望ましいようです。
骨董の育成は白洲正子のような上等の数寄者にお任せするとして、せいぜい顔色の悪くなった骨董を拝ませていただくことにしようっと。

投稿: うしろの正面 | 2006.06.15 12:35

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