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2006.06.15

写真展「メディアは命を救えるか」

Sukuerukablog

days フォトジャーナリズム写真展と同時開催です。

明大前駅に近い小さなビルの三階で開催されています。
エレベータを降りると、無人の展示室。黒い壁面にモノクロームの報道写真が展示されており、解説が添えられています。
大半がお馴染みの有名な写真ですが・・・・・・・

折りたたみの机と椅子、机の上にはアンケート用紙と手作りのアンケート回収箱がおいてありました。

若い男女が、そのアンケート用紙の裏まで使って、びっしり、熱心に書き込んでいました。
学生時代に、タイムスリップしたような気分になりました。

「報道か命か」のジレンマがテーマです。
彼らは、何故、その瞬間、カメラを捨てて、命を救う行動に出なかったのか?
何故、その瞬間シャッターを押し続けたのか?
報道カメラマンの抱き続けるジレンマなのかもしれません。

以下は、一枚の写真に添えられた解説です。

沢田は川岸まで降りていって、写真を撮った。爆弾から逃れた親子が岸にたどり着くと、彼は一番小さな子どもの目を拭いた。この受賞によってベトナムの惨劇に多くの人々の関心が集まったが、同時にそれが彼へのプレッシャーになり、彼を寡黙にさせてしまったという。

写真はチラシから切り抜きました。更にトリミングしています。
Sukuerukakatto
1965年世界報道写真コンテスト大賞
米軍の爆撃を逃れて川を渡る母と子。撮影者/沢田教一/UPI・サン


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コメント

elmaさん、コメントを頂き有難うございます。

拙blogで以前紹介しましたが、開高健はベトナム戦争取材で米軍と同行しますが、ベトコンに包囲されて、九死に一生を得るという経験をします。
それから毎年、その日に、同行カメラマンであった秋元啓一と、開高健の書斎で酒を酌み交わすことになります。二人とも殆ど無言で・・・・・

この話がとても好きです。
機会があったら、茅ヶ崎の開高健記念館へも是非。

投稿: elmaさんへ | 2006.06.17 05:46

こんばんは、makoさん!

 強烈なメッセージですね。
目の前にいる人を救えないカメラマン。救うべきか、写真を撮るべきか。
彼は、救いたかったのでしょうね。だから、ジレンマに陥ってしまった。

 冷徹・非情な目をもたなければ、報道カメラマンとしての立場は貫けないのでしょうか?
それとも、心ある人間として目の前の悲惨な現状にいる人々を救うべきなのか?
考えさせられます。

 聞くところによりますと、彼は、受賞後気を病んでしまって、カンボジアでは、自責の念で自殺的行為のように、戦火の中で身を滅ぼしてしまったと・・・。自分の死ぬところはここと。

 私は、沢田教一氏のことを知りませんでした。でも、南ベトナム政府の宗教弾圧に際して、焼身自殺をしたお坊さんのことは記憶にあるのです。

投稿: elma | 2006.06.16 23:39

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